不良部員に殴られ、「弱い自分への悔しさ」で決意 元法政大ボクシング部・木村悠1
今回の連載「私の4years.」は、法政大学卒業後、商社に勤めながらの二刀流で第35代WBC世界ライトフライ級チャンピオンになった木村悠さん(36)です。木村さんは2016年に引退してからは解説やコラム執筆、講演活動など多方面で活躍し、今年、アスリートをサポートする会社「ReStart」を創業しました。4回連載の初回はボクシングとの出会い、高校時代に感じた悔しさについてです。
サッカー部主将として不良部員と向き合って
私は兄の影響で、小・中学生のころはサッカーをしていました。将来の夢は「Jリーガー」。中学に入学してもその夢は変わらず、サッカー部でトレーニングに励み、3年生の時には主将に任命されました。
しかし、そこで事件が起こりました。当時のサッカー部には不良が多く、練習に真面目に参加しない部員も少なくありませんでした。部をまとめる主将として、このままではいけないと考え、不良の部員に「もっと真面目に練習にこい!」と注意しました。すると、その部員が逆ギレしていきなり私に殴りかかってきたのです。部の中でも小柄だった私は手が出ず、一方的に殴られ続けました。今でも鮮明に覚えていますが、殴られながら感じていたのは恐怖や痛みではなく、「弱い自分への悔しさ」でした。その出来事をきっかけに、「心も体も強くなりたい」と私はボクシングを始める決意をしました。
手始めに、サッカーのために通っていたスポーツジムで、初心者向けのボクシングプログラムに参加しました。どんどんボクシングにのめり込み、家から数駅離れたところにあるボクシングジムに通い始め、本格的にボクシングをスタート。正直、ボクシングを始めた当初は殴ってきた部員に「復讐してやる!」という気持ちもあったんですが、いつの間にかそんな気持ちは消えていました。ただ純粋に「強くなりたい」、そんな気持ちだけが残っていましたね。
他競技からも刺激を受け、先輩の姿に学べる環境
中学卒業後は、ボクシングの強豪・習志野高校(千葉)に進学しました。自宅から電車に乗り継いで、1時間30分。朝は7時半から朝の練習があるので、毎日始発の電車に乗って通学していました。習志野高校は毎年全国大会への出場者を多数輩出しているだけあって、練習もハード。朝練では400mのグラウンドをペースを決めて走り込み、途中でダッシュ。練習後はいつもヘトヘトでした。
午後の練習では、基本練習と実戦練習をベースにして毎日トレーニング。休みは月曜日の午前中だけと、ボクシング漬けの日々を送っていました。とてもハードでしたが、日々成長して強くなっている感覚がありました。
また、習志野高校はスポーツが盛んな学校です。サッカーや野球、剣道なども全国大会常連校として活躍している選手が多かったので、他の部からも刺激を受けて、みんなで高め合っている印象がありました。強くなるために「環境」はとても大切です。
強い先輩と一緒に練習することで、自分がどうやったらその先輩のようになれるのか、日々考えます。ボクシングのスタイルだけでなく、練習への姿勢、普段の言葉遣いなど、それを真似ていくことで自分も強くなっていきます。私も、そんな環境に身を置いたことで、着実に実力がついてきました。他校とのスパーリング(実戦練習)でも優位に戦い、自信をつけていきました。
とんとん拍子に全国まで勝ち進んだ先でリベンジされ
高校1年生の時にはあまり試合の機会がありませんでしたが、2年生になってから初めて出た県大会で優勝することがきました。関東大会でも勝ち進み、全国大会出場者を倒しての優勝。まさか優勝できるとは思っていなかったので、自分でも信じられませんでした。
喜びも束の間、すぐに全国大会のインターハイが始まりました。高校の大会には、インターハイ・国体・選抜大会と3つの大会があります。その中でも、一番規模が大きいのがインターハイです。
県大会の予選を勝ち進み、岐阜で行われたインターハイに出場しました。その大会でも順調に勝ち進み、気がつけばベスト4までたどり着いていました。そこで対戦したのが、私が関東大会で勝った相手でした。1度勝った相手だったので、私は少し油断していました。しかし、相手はなんとしてもリベンジしようとすごい気迫で向かってきたのです。結果、公式戦で初めての敗戦を喫しました。本当に悔しい思いをしました。
その後の国体では準優勝と結果を残しましたが、その翌年、高校最後の1年は苦戦を強いられました。春の選抜大会には出られず、インターハイでもベスト8止まり。国体は初戦敗退でした。自分のスタイルを見失い、戦い方も相手に合わせた戦い方になっていたのです。
ボクシングは気持ちが試合に出るので、いくら技術があっても勝てません。絶対勝つという気持ちがないと、自分のペースを作れないのです。これはボクシング以外にも言えますが、受け身では自分の目標を叶(かな)えられません。主体的に考え行動することで、理想の未来を描けるようになれます。
高校卒業後にプロボクサーになることも考えましたが、国体での初戦敗退の悔しさが忘れられませんでした。だからまずは学生で日本一になる。そのために、私は法政大学への進学を決めました。