ボクシング

連載:私の4years.

世界に挑んで跳ね返され、それでも憧れのプロへ 元法政大ボクシング部・木村悠3

2年生の時の試合では、後手に回ってしまう展開も多かった(写真はすべて本人提供)

今回の連載「私の4years.」は、法政大学卒業後、商社に勤めながらの二刀流で第35代WBC世界ライトフライ級チャンピオンになった木村悠さん(36)です。木村さんは2016年に引退してからは解説やコラム執筆、講演活動など多方面で活躍し、今年、アスリートをサポートする会社「ReStart」を創業しました。4回連載の3回目は、法政大で知った世界の壁、一度、ボクシングを引退した時のお話です。

五輪を目指すも、攻めの姿勢は戻らず

法政大に進学して、1年目で目標としていた日本一を達成。とてもうれしいことでしたが、その時すでに、闘志が燃え尽きてしまったのかもしれません。思ったより早く目標が達成できてしまったことで、次の目標をどこに定めたらいいのか分からなくなってしまいました。2年後にアテネオリンピックが控えていたため、とりあえず、オリンピック出場を新たな目標と定めました。

2年生の年からはディフェンディングチャンピオンとしてリングに上がることになります。それまではがむしゃらにチャレンジャーの姿勢で戦えていたのですが、日本一になったことでその姿勢を忘れてしまいました。試合でも後手に回って相手を見る場面が増えてしまい、ペースを先にとられてしまうことも多々ありました。ボクシングでは主導権を握ることが大切です。自分のペースで戦えれば勝利につながりますが、相手に合わせた戦い方になってしまうと、主導権をとられてしまいます。

攻めの姿勢から守る姿勢になってしまい、翌年に行われた国体、全日本選手権では優勝できませんでした。私に勝った相手、昨年の全日本選手権で勝利した五十嵐俊幸(当時は東京農業大学)は、後にプロでも同門でライバルとなります。その年の結果がオリンピックにつながるものだったので、負けたことでオリンピックへの道は閉ざされました。

初の国際大会、村田諒太だけが決勝進出

翌年の全日本選手権では再び五十嵐と決勝で当たります。オリンピックに出場した五十嵐は注目され、大会の優勝候補でした。私が思った展開に試合が進み、勝ったと思いましたが、判定は僅差で五十嵐でした。

法政大学ボクシング部の仲間たちと(左から2人目が木村さん)

大学4年生の春には初めて国際大会にも出場しました。タイで行われるキングスカップという大会で、私は48kg級の日本代表としてエントリーしました。この大会には、後にロンドンオリンピックミドル級金メダリストで世界王者の村田諒太(当時は東洋大学、帝拳)や、ロンドンオリンピックバンタム級銅メダリストの清水聡(当時は駒澤大学、大橋)も一緒に出場していました。

私のライバルの五十嵐はフライ級でエントリーして、後にプロ入りする3人の世界チャンピオンが出場する大会でした。しかし、海外のボクシングのレベルが非常に高く、村田以外は初戦で敗退。村田のみ決勝まで勝ち進みましたが、結果は銀メダル。世界の壁を痛感した試合でした。

ボクシング引退、一人旅で世界が広がった

その後、大学では最後のリーグ戦の大会に出場し、ボクシングを引退しました。高校、大学とボクシング漬けの日々を送っていたので、一旦ボクシングを離れ、自分を見つめ直そうと思いました。

その時にハマっていた沢木耕太郎さんの「深夜特急」という本は、バスを乗り継いで海外を一人旅するお話でした。私もそれにならって、国内・海外をバックパックひとつを背負って旅に出ました。沖縄には10日間ほど滞在し、タイでは行き先も決めずフラフラと旅をしてました。予想以上に居心地がよく、1カ月くらい滞在しました。リングの上で戦い、過酷な減量をしてストイックに戦うボクシングとはまったく違う世界が、そこには広がっていました。

一人旅をしていると様々な人に出会います。沖縄のゲストハウス(安宿)に滞在している人や世界一周に挑戦している人、違う文化・思想をもつ人など。交流していく内に、自分が見ていた世界がものすごく狭い世界だったと気付きました。

学生の内に外の世界を知ることはとても大切だと思います。社会人になると時間がなく、海外旅行をするのも難しいでしょう。自分と違う価値観の人達との交流、一人旅などの「経験」をすることが貴重な学びとなり、自身の器を広げることにつながります。

今では母校である法政大学で講義をすることも

一人旅ではボクシング以外の青春をとことん味わいました。自由な時間を過ごしながらも、頭の片隅には大学卒業後の進路への不安がありました。ボクシングでプロになりたいという気持ちもありましたが、そこまでの覚悟はなく、なかなか決められずに迷う日々が続いていました。

ライバルのKO勝ちを目の当たりにして決意

周りは就職活動のまっただ中でしたが、私は一切していなかったので焦りもありました。友人たちが内定をもらって進路が決まる中、自分だけが将来をどう決めたらいいのか分からなくなってしまいました。プロの世界への憧(あこが)れはありましたが、そこまでの覚悟はありませんでした。

そんな時に、久しぶりにボクシングの試合を見に行きました。私が1年生の時に国体の決勝で負けた、八重樫東さんの東洋太平洋のタイトルマッチでした。一つ学年が上の八重樫さんはプロデビューから注目されており、プロ入りから1年で東洋太平洋のタイトルマッチを戦っていました。

試合は優勢に進めた八重樫さんが5ラウンドKO勝ち。ライバルがプロのリングで華やかに活躍する姿を見て、気持ちに火がつきました。自分も憧れだったプロのリングに立ち、チャンピオンになりたい。

「やらないで後悔するより、やってみて後悔した方がいい」

そう思えた時、プロになる決意をしました。

私の4years.

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