陸上・駅伝

連載:私の4years.

初の日本選手権で体感した陸上の「可能性」にかける 元亜細亜大陸上部・鹿居二郎5

昨日の敵は今日の友。走り終わったらみんな友達!(右端が鹿居、写真は本人提供)

今回の連載「私の4years.」は、今春に亜細亜大学を卒業後、サンベルクス陸上競技部で競技を続ける鹿居二郎(22)です。スタート前の「ジョジョ立ち」というスタイルを持つ一方で、学生時代には東海選手権800m優勝・大会新、関東インカレ2部800m3位入賞などと実績を残しています。5回連載の最終回は4年生の時に初めて出場した日本選手権、そして実業団で走る現在についてです。

いろんな思いを胸に渾身の「ジョジョ立ち」を 元亜細亜大陸上部・鹿居二郎4

日本選手権に出る、が私の目標だった

中学から始めた陸上競技も今年で11年目。その間にたくさんの貴重な経験をさせていただきました。競技を通じて多くの知り合いや友達ができたこと。オリンピアンである佐藤信之監督からの指導を受けたこと。学生日本3位という肩書でテレビに出演し、馬から逃げたなんてこともありました(笑)。

そして競技面で特に大きかったことは、大学4年生の6月、800mを始めてからひとつの目標だった日本選手権に出場したことでした。日本選手権とはその名の通り、日本一を決める大会で、出場するには厳しい標準記録を突破しなければいけません。昨年の第103回日本陸上競技選手権大会では、男子800mの出場者数はわずか23人。このことからも出場が容易ではないことが分かると思います。出場が決まってからは「自分も日本トップレベルの選手になったんだな!」なんて、少し天狗にもなっていました(笑)。

日本選手権出場を競技人生の最終目標と考える人も多く、実際、私も出るまではそう考えていました。ではなぜ、鹿居二郎はいまだに走り続けるのか? 今回はそういったお話をさせていただこうと思います。

日本一をかけた戦いの重さを知らされて

大学4年目にして初めて立ったその舞台は、私には大きく見えました。私も大学に入ってからは全日本インカレをはじめ、多くの主要大会には出場して場数は踏んでいたつもりでした。なめていたわけではないですが、正直めちゃくちゃに緊張するようなことはないと思っていました。

しかし、日本一を決める大会。そうはいきませんでした。

出場選手は年代や所属まで多種多様にわたります。さらにそのすべてが有名選手。当たり前かもしれませんが、高校生から実業団のベテランまでが一堂に会する舞台です。

初めての日本選手権にて。どんなに緊張する場面でもしっかりパフォーマンス(写真は本人提供)

何より、スタンドの観客に私は驚きました。「え、大勢の前で走ることなんか慣れているでしょ?」と思う方も多いと思われますが、そういうことではないんです。人の多さにもちろん緊張しますが、日本選手権ともなると実業団選手の所属する会社の方が集団で応援に来ていることもあります。観客の年齢も性別もばらばら。みなが陸上経験者や走ることが好きな人ばかりではなかったと思います。その方々が同じTシャツを着て、一体となって応援している姿を見て、改めて「このすべての声援や期待を背負って走ることが『企業を背負って走る』ということなのか」と感じました。

「そんな人達と今から勝負するのかっ!」と思うと、緊張からか武者震いからかは分かりませんが、本当に足が震えたのを覚えています。

常に周りをワクワクさせたい

はじめての日本選手権、結果としては予選で敗退し、結果を残せませんでした。この連載を書かせていただきながら、「私の競技人生、負けてばっかりだな」と思っています(汗)。

とにかく緊張だらけの大会でしたが、今思えば学生時代にそんな貴重な体験をできたことは、自分の中で大きな財産となっています。日本選手権という大きな舞台で、私は「スポーツを通して老若男女が一体となることの素晴らしさ」、それと同時にもっと陸上は盛り上がれるという「可能性」を感じました。だからこそ、私はそれに人生をかけたい。大学卒業後も競技を続けると決断し、実業団選手として競技を継続する道を選び、現在に至ります。

競技レベルで言えば、私は中距離の実業団選手の多くが掲げる「世界を目指します!」なんて目標を言えるレベルの選手ではないです。こういうと、「結果は二の次って考えているよな」と思われてしまうかもですが、もちろん結果にこだわらないわけではありません。今は日本選手権の表彰台に立つことを意識し、日々結果に結びつくよう、考えて練習に励んでいます。

ですが、私が競技を続ける上でそれと同じくらい大切にしたいと思っていることがあります。それは「常に周りをワクワクさせること」です。

何かが変わりそうな時、期待を抱いた時、そういったタイミングで人ってワクワクしますよね。私が走って結果を出して記録の面でも変えていくことはもちろん、それ以外のことでも閉塞している部分を打破していきたい。誰かにとって、自分が日本選手権の時に感じたような「可能性」を感じさせる存在になりたいんです。そのためには、自分自身がまずワクワクし続ける必要があると私は思っています。

成功も失敗も全部含め、走ることが楽しい

実業団に入って学生時代とは大きく環境が変わりました。働きながら練習をするという生活リズムにはまだ慣れない部分が多いです。学生時代であれば当たり前のようにメニューの相談に乗ってくれた監督も、今はいません。自分で一からメニューを組み立てるのはとても難しいし、本当にこれでいいのかと不安になることも多いです。正直まだうまくいっていない部分も多いですが、その成功も失敗も全部含めて、今は走ることが楽しいと思っています。

「陸上のすべてを楽しんで、それを見たすべての人を楽しませる」。それが今の私の目標であり、陸上を続ける上でのテーマです! 

7月にあった東京選手権がサンベルクスでの初レースとなった。鹿居(中央)は予選敗退ではあったものの、久しぶりのレースで走る楽しさをかみしめた(撮影・松永早弥香)

ここまで連載を読んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。普段文章で自分を伝える機会がないので、貴重な体験をさせていただきました。こういった機会をくださった4years.さま、本当にありがとうございます。私はこれからもどんどん恐れず、変わり続けます。みなさんもワクワクしながら、これからも応援のほど、よろしくお願いします!

私の4years.

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