大学陸上・駅伝

連載:私の4years.

箱根駅伝と800mで揺れ、自分を通すと腹を決めた 元亜細亜大陸上部・鹿居二郎3

800mではとくに、ラスト100mは限界を超える。その必死さは選手の表情からも漏れ伝わるほど(写真はすべて本人提供)

今回の連載「私の4years.」は、今春に亜細亜大学を卒業後、サンベルクス陸上競技部で競技を続ける鹿居二郎(22)です。スタート前の「ジョジョ立ち」というスタイルを持つ一方で、学生時代には東海選手権800m優勝・大会新、関東インカレ2部800m3位入賞などと実績を残しています。5回連載の3回目は3年目の関東インカレで訪れたターニングポイントについてです。

たった2周に詰まった魅力

800m……トラックをたった2周。当然ですが、距離としては短距離より長く、長距離より短い。その一方で、短距離のような力強さと長距離のようなしなやかさ、この両方の動きが同時に求められる種目でもあります。陸上種目では唯一、セパレートレーンとオープンが合わさっているのも800mの特徴。それぞれのレーンを走るのは最初の100mだけ。ブレイクラインを割ることで、選手はレーンから解放されます。その瞬間、俗に「トラックの格闘技」とまで言われる駆け引きが始まります。あまりの激しさに選手同士の接触はもちろん、転倒することもあります。

ほぼ無酸素で空っぽの頭になりながら、ペースやポジションを考え、自分のレースを作り上げ走り抜ける。そんな過酷な部分が800mの魅力なんだと私は思います。

いきなり800mの魅力を語りましたが、そんなことより、1~2回目を読んでくださった方には一つの疑問が浮かんでいると思います。「あれ、鹿居って箱根駅伝を目指して亜細亜大にいったんじゃないの? 何で中距離やっているの?」って。今回はそんな僕の人生におけるターニングポイントについて話をしていきます。

決断ができない

大学3年生の5月、私は岐路に立っていました。800mをこのまま続けるのか、箱根駅伝を目指して長距離に専念するか。元々私は箱根駅伝のために、まずは得意なスピードを伸ばそうと考えて中距離に取り組んでいました。だから2年生の時、5月の関東インカレまでは800mのトレーニングをこなし、その後は長距離メインの練習に移行。10月の箱根駅伝予選会に向けて走り込んでいました。正直、移行期間はめちゃくちゃきつかったです。1年生の時にできていた練習が2年生ではできなくなることもあり、メンタル的に結構沈みました。800mから20kmへ。今考えてもとんでもない振り幅で競技をやっていたなと思います(笑)。

ハーフマラソンを走る鹿居(左)

そんなやり方で競技をした結果、どうなったのか。2年生での関東インカレでは2部800mで前年に次ぐ3位入賞を果たすも、9月の全日本インカレでは相変わらず予選落ち。長距離の方は箱根駅伝予選会メンバー入りを目指して夏に走り込みましたが、箸にも棒にもかからずに終わってしまいました。どちらもタイムこそ縮まってはいたものの、残った結果は同じという意味で、2年目は1年目から何の進歩も得られませんでした。

原因は自分の中では分かっていました。二兎を追うものは一兎も得ず。どちらに対しても中途半端な気持ちで取り組んだつもりはありませんでした。でも、より結果を出したいのであればどちらかに絞り、今以上にすべてをかける必要がある。「箱根をずっと目標にしてきたし、監督にもそのために関東(の大学)に呼んでいただいた。だから箱根を目指すのが普通なんだろう」と、頭では分かっていました。ですが、すでに800mで結果が出始めている上、冒頭で述べたような800mの魅力にはまっていた私は、簡単に捨てられませんでした。

そんな悩みを決断できないまま、3年目の関東インカレが始まり、800mで3年連続3位という結果で幕を閉じました。決して悪い結果だとは思いませんが、自分としては例年と変わらないこの順位に対して、まったく満足できていませんでした。

私が思う私でいいんだ

競技が終わり、私は複雑な気持ちで亜細亜大の陣地に向かいました。「なんだ、また3位かよ」「相変わらずラスト弱いな」なんて責められるのかな。そう思いながらだったので、おそらく入賞した人とは思えない暗い表情をしていたと思います。

しかし、そんな私を迎えたのはチームメートの歓喜の声でした。冗談交じりに前述のような言葉も言われましたが、「お疲れ! かっこよかったよ!」「やっぱお前すげーよ!」などと、ほとんどが前向きな言葉でした。「責められるかなー」なんて考えていた自分の心の小ささが恥ずかしくなりました。

そしてこの時、自分は周りからどう評価されるか、ということばかりを気にして競技をしていたんだと気づかされました。自分で勝手に、“鹿居二郎”という選手像を作り上げていたんだなって。箱根駅伝を目指さずに自分の我を通して800mを選んだとしても、チームを盛り上げることはできるんじゃないか。だったら自分が好きな800mで勝負して、今度こそ心から満足できるレースをしたい。その結果、みんなにも喜んでもらえたらいいな。ある種、当たり前のようなことかもしれないですが、私はこの瞬間にようやくそう思えるようになりました。

初めて日本選手権のA標準を突破

そんな関東インカレを経て、私は800mに専念すると決断しました。その前からも、細い体を中距離的な体にするためにウエイトトレーニングをしたり、より無酸素的なメニューを増やしたりもしていました(練習後に酸欠で倒れてしまい、動けなくなることもしばしばありました)。でも、明確な目的意識や覚悟を持って臨んだ3年生以降は、陸上競技というものが格段に楽しく感じました! 結果としても、その年の7月にあったトワイライト・ゲームスで1分49秒76を出し、当時の日本選手権の参加標準記録Aを突破できました。

トワイライト・ゲームスで日本選手権標準を突破。みんな、自分のことのように喜んでくれた(下段中央が鹿居)

気持ちも変わった! タイムも出た!! そんな状況で4年生になり、ある意味、私の人生を変えた“あのポーズ”のお話になります。

私の4years.

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