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特集:駆け抜けた4years.2024

立命館大学・林原巧 大好きなパンサーズのRBとして、最後に初めて託されたボール

学生最後の公式戦で、立命館大RB林原巧(中央)は初めてフィールドに立った(撮影・北川直樹)

2023年の関西学生アメリカンフットボールリーグ1部は関西学院大学、立命館大学、関西大学の3校が同率優勝となり、キャプテンによる抽選の結果、関学が全日本大学選手権へ進んだ。立命にとってシーズン最後の試合となった11月25日の京都大学戦で、4年生の小さなRB(ランニングバック)が最終盤に初めて公式戦のフィールドに立った。

【特集】駆け抜けた4years.2024

5ydゲインに仲間たちは大喜び

林原巧(はやしはら・たくみ、六甲学院)は身長154cm、体重72kg。2023年の関西学生リーグのパンフレットを見ると、1部の選手の中で最も身長が低い。入学以来ずっと、サイドラインから試合を見つめてきた。この日も第4クオーターの途中まで、ユニフォームの上から目立つように黄色いユニフォームを着て、情報を伝達する役目を担っていた。

試合中はサイドラインで黄色いユニフォームを着け、オフェンスを支えた(撮影・北川直樹)

時は来た。コーチから「いくぞ!」と声がかかったのだろう。林原はいったん防具を外して黄色いユニフォームを取ると、また防具を着け、ヘルメットをかぶり、両手にえんじ色のグローブをはめた。そしてヒーターの前へ行って両手を温めた。試合時間残り1分13秒で立命にオフェンスが回ってきた。出番だ。4年目のリーグ最終戦にして初めて、林原が公式戦のフィールドに入っていく。大男たちのハドルの輪の真ん中に入り、QB宇野瑛祐(4年、立命館守山)のプレーコールを聞いた。

出番が近くなり、林原はヒーターの前へ(撮影・篠原大輔)
ハドルの輪の中に入り、QB宇野のプレーコールを聞いた(撮影・北川直樹)

自陣49yd、ハッシュ右から左のインサイドゾーン。自分のプレーがコールされ、林原は「いったろう」と思ったそうだ。同期の宇野からハンドオフを受け、走り出した瞬間に「レーン間違えた」「何とかせなあかん」「ゴリゴリいかな」と立て続けに考えた。必死に京大のLB(ラインバッカー)のタックルを外して5ydゲイン。サイドラインの仲間たちは跳びはねて林原の初キャリーを喜んだ。交代するため、ダッシュでサイドラインへ。エースRBの山嵜大央(だいち、3年、大産大附)をはじめ、仲間たちが寄ってきてヘルメットをたたいて祝福してくれた。36番は息を切らしながらも、文字通り胸を張ってフィールドを見つめた。

公式戦初キャリーは左サイドを突き、タックルを外して5ydゲイン。表情を緩め、ダッシュでサイドラインへ(撮影・北川直樹)

エースRB山嵜「4回生2人を出せてよかった」

代わりに出たのが、もう1人の4年生RBで今シーズンここまではボールキャリーのなかった村上太智(立命館宇治)。副キャプテンの村上が8ydゲインで攻撃権を更新すると、サイドラインがさらに盛り上がった。そして林原が再びフィールドへ。今度は左のアウトサイドゾーン。最初はボールを両腕で抱え、左に持ちかえて加速、のはずが、持ちかえる際に落としてしまった。

「うわっ、やってもうた」。そして「(自分たちのオフェンスが)残ってくれ」と祈ったが、京大の選手にリカバーされた。残り1秒からの京大のパスが決まらず試合終了。最後の整列で林原は泣き、顔を上げられなかった。「ずっとみんなで『ボールセキュリティー』って言ってきたのに、最後の最後でやってしまった。申し訳ない気持ちです」。林原はかみしめるように話した。

試合でボールを持つということの重みを誰よりも知っているからこそ、ファンブルして泣いた(撮影・北川直樹)

エースRBの山嵜は試合後、「4回生の2人を出すのが今日の僕らの仕事でした。実現できてよかったです」と笑った。「僕らは生意気言ってばかりでしたけど、2人とも優しかった。大好きな人らを最後に出せてよかった」。それを伝え聞いた林原は悔しさをいったん忘れ、「ダイチは『絶対に試合に出すから待っててくれ』って、言ってくれてたんです」と、いい笑顔で話した。

2浪で入学、最初は壁を作った

彼は神戸市で生まれ、小学生のころ岡山へ引っ越し、また5年生から神戸へ戻ってきた。岡山で暮らしていたころに『アイシールド21』をアニメで見て、「このスポーツをやりたい」と強く思った。ただ、岡山には小学生が入れるチームはなかった。それでも「アメフトを始めるときまでに、少しでも体を強くしておきたい」と、サッカー、水泳、体操といろいろやった。その間、アメフトへの気持ちは変わらなかった。神戸へ戻って中学受験し、アメフト部のある中高一貫の六甲学院へ入った。

念願のアメフト人生をスタートさせた林田はRBとLBでプレー。高3の7月には神戸・王子スタジアムで開かれた「パシフィックリムボウル」の関西高校選抜チームに、RBとして名を連ねている。受験の第1志望は神戸大学だった。アメフトは続けたいと思い、関関同立も受けた。2年間の浪人生活を経て、立命館大学の情報理工学部に進んだ。関関同立の中で立命以外にも合格した学校はあったが、姉がパンサーズのマネージャーだったことでチームの雰囲気を知っていたのが決め手になった。「一番楽しいフットボールができそうなチームだと思いました。僕のレベルだと試合に出られないだろうな、という気持ちはありました。でもそれをマイナスには考えてなくて、楽しくアメフトができそうという気持ちの方が大きかった」

しばらく涙が止まらなかった(撮影・北川直樹)

入学してみると、同じ新入生のレベルが高いことに驚いた。立命館宇治からのメンバーはクリスマスボウル優勝を経験して入ってきているし、世代別の日本代表経験者もいた。そして自分がほとんどの新入生より2歳上だということを妙に意識してしまい、最初は自分で壁を作ってしまったという。「でも話しかけていったら、ちゃんとリアクションしてくれた。そこから何も気にしなくなりました」と林原は笑う。

立川玄明さんと出会い、「このチームのために」

大好きなRBとして大学アメフトのスタートを切ったが、間もなく出ばなをくじかれた。右の前十字靱帯(じんたい)を断裂し、ほとんど練習できないまま1年が過ぎた。気持ちが沈むことも多かった1年目には、大きな出会いもあった。

当時のキャプテンで絶対的なエースRBだった立川玄明さん(たつかわ、現・パナソニック)が、常に声をかけてくれた。立川さんと話すようになり、一つのプレーに対する貪欲(どんよく)さに感銘を受け、周囲からとてつもなく信頼されている人だというのも分かってきた。「立川さんのおかげでパンサーズが大好きになったし、このチームのために何かできないかと考えるようになった」と振り返る。

2年生からは、立命ディフェンスの仮想敵となる「スカウティングチーム」の一員として過ごす時間がほとんどになった。「対戦するチームのRBの動画をずっと見てました。同じランプレーでも、チームによって1歩目の出し方が違うし、狙ってるレーンも若干違う。しっかり相手に似せるようにやってました」。日本の大学トップレベルのチームで自分がやれることは何か。立川さんとの出会いで得た思いを、ブレることなく持ち続けたところに林原のすごさがある。

試合後の取材で林原に笑顔が戻った(撮影・北川直樹)

「4年間は、気づいたらアッという間でした」と林原。ずっと相手のRBに扮し、試合でも裏方を務めてきた小さなRBが、最後の最後に2度ボールを託された。5ydゲインと3ydのロス。関西学生アメフトの長い歴史の中に、「林原巧(立命館)2回2yd」というラン記録がしっかりと刻まれた。

春からは茨城県内で働くことが決まっている。10年間やってきたアメフトについて、林原は笑ってこう言った。「仕事をやってみて、余裕とご縁があったら続けようかなと思います」。個人的にはもちろん、「2回2yd」の続きが見たい。

仲間たちと記念撮影。林原は最前列右から3人目(撮影・北川直樹)

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