アメフト

立命館大学・蓑崎航大 理工学部数理科学科で学ぶ、パワフルでまっすぐなタイトエンド

関大戦でパスを捕り、必死に走る立命館大のTE蓑崎航大(プレー写真はすべて撮影・北川直樹)

アメリカンフットボールの関西学生リーグ1部は11月11日、大阪・ヤンマースタジアム長居で立命館大学パンサーズと関西学院大学ファイターズの全勝決戦がある。勝てばリーグ優勝の決まる大一番だ。立命は最初の大一番となった10月29日の関西大学戦(38-27で勝利)で、ランを1回平均約6ydも進めた。ランのときはキーブロッカーとなり、パスの受け手としては力感のあるランアフターキャッチでスタジアムを沸かせたのが、TE(タイトエンド)の蓑崎航大(みのざき・こうた、4年、足立学園)だ。

今シーズン初キャッチが思わぬビッグゲインに

関大戦の数時間前に発表された立命のスタメン表には、蓑崎と主将の山下憂(4年、立命館宇治)、2人のTEが名を連ねた。「ランで勝つ」。パンサーズの決意表明のように感じた。果たしてファーストシリーズにランばかり10プレーを続け、RB山嵜大央(3年、大産大附)の先制タッチダウン(TD)につなげた。TE陣も第一線や少し下がった位置から激しくしつこいブロックを関大ディフェンスにお見舞いした。

蓑崎が一気に注目を浴びたのが第3クオーター(Q)。21-13で迎えた後半2度目の立命オフェンスは自陣9ydから始まった。自陣32ydからの第3ダウン残り2yd。ランでゴリゴリと攻撃権を更新するのかと思いきや、今年からオフェンスコーディネーター(OC)となった長谷川昌泳コーチは裏をかいた。

山嵜のランをフェイクに使った。QB竹田剛(2年、大産大附)は右のTEから縦に走った蓑崎へショートパス。関大のLB陣はランを止めるのに躍起になっているから、上がってくる。その裏のゾーンで99番はフリーに。10ydちょっとゲインの地点でキャッチ。すぐ左右から関大のDBがタックルにきたが、身長173cm、体重86kgの重厚な体を捕まえられない。99番がエンドゾーンへ向かって駆け出す。太い腕を必死で振って、走る、走る。王子スタジアムが沸く。ゴール前15yd付近で左から体当たりされたが、ぶち当たってはね返した。「うぉーーー」。さらにスタジアムを沸かせた次の瞬間、ゴール前1ydで倒された。

攻撃権更新を狙ったパスがタックルミスを誘い、蓑崎が駆けだした

今シーズン初キャッチが思わぬビッグゲインとなり、全勝対決に詰めかけた観衆の目を独り占めにした。蓑崎はここぞとばかりに派手なガッツポーズ。サイドラインに戻ると、仲間たちが寄ってきては体をたたいて祝福した。次のプレーでQB竹田が左サイドへのランでTD。28-13となった。

ゴール前で蓑崎(手前右)が相手をがっちりブロック
蓑崎らがこじ開けたスペースを走ってQB竹田がタッチダウン

出会いに恵まれた足立学園での6年間

試合後の蓑崎に取材する前にまず、副将のLB藤本凱風(がいぜ、4年、大産大附)に「彼はどんな人なん?」と尋ねた。「底なしにいいヤツです。みんなに優しい。でもフットボールになったら人格が変わる。えげつないブロックします」と藤本。へえー、と思いながら99番と向き合った。蓑崎は「もうちょっとでしたねー。大学に入ってからタッチダウンを取ったことがなかったんで、何とか持っていきたかったんですけどね」と言って大笑いした。豪快な笑いだった。「日頃から練習してたプレーです。ここだ、と思ったところに(竹田)剛が投げてくれた。あとはただ走っただけです」。タックラーにぶち当たってはね返したシーンについては「(オフェンスコーディネーターの長谷川)昌泳さんに常々『当たりにいけ』と言われてたので、自分から当たっていきました」と、満面の笑みで振り返った。

小学5年のときに父の勧めでアメフトを始めた

千葉市の幕張で生まれ育った。小学5年からジュニアシーガルズでフットボールを始めた。「日本一も経験させてもらいました。僕自身はベンチのベンチでしたけど」。中、高は東京都足立区の北千住駅近くにある足立学園へ。ここで6年間アメフトに取り組んだ蓑崎には、さまざまな出会いがあった。

アメフト部の高濱陽一監督と橋本洋コーチはともに競技経験がない。生活面の指導で人間力を高めるのをベースに、独学でフットボールを学び、指導にあたってきた。いまや足立学園高は関東大会の常連だ。蓑崎が苦笑いで振り返る。「高校生のときは問題児というか、ちょっとやんちゃな生徒でした。高濱先生、橋本先生には『私生活をきっちりやれば、フットボールでも活躍できるようになる』という話を何回もしてもらって、そのうち先生のプレーコールが読めるぐらいの信頼関係ができました」

数学の教諭にも大きな影響を受けた。「もうおじいちゃんなんですけど、あこがれの人です。話が面白くて、授業がうまい。ほんとに自由にやらせてくれるし。ボウリングが得意で、マイボールやシューズも持ってるらしいんです」。蓑崎がうれしそうに説明してくれた。この春、理工学部数理科学科で学ぶ彼は教育実習で母校の教壇に立ち、数学を教えた。就職先は決まっているが、いつか先生になって数学とアメフトを教えたいと思っている。「僕はほんとに指導者に恵まれました。足立での6年間があったから、いまがある。アメフトも大好きになりました」。さらに蓑崎の代が立命に入学すると同時に母校のコーチとなった長谷川昌泳さんにも心酔し、強い信頼関係がある。

取材の受け答えは「ミルズ杯」レベル(撮影・北川直樹)

高校時代の仲間といざ直接対決へ

高3のある日、いつものように学校の食堂の「アメフト部席」でたまっていたら、そのうちの一人が「翔馬、関学に決まったんだって」と言った。その場にたまたま翔馬はいなかった。翔馬とはいま、関学ファイターズの33番をつけてDBのスターターとして出ている山村翔馬だ。蓑崎はすでに立命館への進学が決まっていた。

足立の仲間の中でも特に仲のよかった山村と、大学ではライバルチームで戦うことになった。「6、7人で遊ぶメンツができてて、翔馬とはずっと一緒にいました。イケメンでスカしてるときもあるけど、いいヤツで。関西に来てからは下回生のときにゴハンに行ったぐらいですね」と蓑崎。お互いのポジション柄、直接対決の場面も多そうだ。ランではダウンフィールドブロックで立命の99番が関学の33番に当たりにいくだろうし、99番がパスを捕れば、33番がタックルに向かってくるだろう。蓑崎は言う。「今年こそ関学にちゃんと勝つ。そのシーンをイメージして練習してます」

立命にやってきて、最初は関西弁がこわかった。いま主将の山下にはずっと「標準語キモッ」といじられてきた。関学に負け続け、去年は関大にも負けた。2015年以来の甲子園ボウル出場を目指して、グリーンフィールドで練習し、トレーニングルームで鍛え上げてきた。そんなパンサーズでの日々も終わりが近づいている。

いざ関学戦。「昌泳さんを信頼してるので、出されたプレーをやりきるだけ。高望みせず、臆せず、地道にプレーします」。フットボールを初めて12年目の秋、蓑崎航大の決意表明である。

今年の個人スローガンは「背中で語れ」だ(撮影・篠原大輔)

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