明治大学・齋藤司、主務として箱根駅伝でかなえた夢「マネージャーは要の役職」
この春卒業する4年生のストーリー「駆け抜けた4years.」。今回の主役は選手ではなく、明治大学競走部の主務、齋藤司(城南静岡)だ。4years.でコラムを連載しているM高史さんの記事がきっかけで主務を志し、1年次から長距離ブロックのマネージャーとして強豪チームを支えてきた。3年次から主務を務め、運営管理車に乗って箱根駅伝を走る夢をかなえた。
4years.がきっかけで主務の道へ
齋藤は運動嫌いでゲーム好きの少年だった。小学生の頃、父親の勧めで軟式野球チームに入ったが指を骨折。投球や打撃練習ができず、ランニングばかりしていた。すると、校内の持久走で好タイムが出るようになり、中学から陸上に打ち込んだ。
長距離選手として高校まで続けたものの結果はからきしだった。全国高校総合体育大会(インターハイ)も地区予選会で敗退した。
部活動を引退し、進路を考えていた高校3年の夏。漠然と箱根駅伝への憧れはあったものの、選手としては「無理だろうな」と思っていた。そんな時、4years.でコラムを連載しているM高史さんの記事が目に留まった。
それは、駒澤大学陸上競技部で駅伝主務を務めたM高史さんがマネージャーの仕事について綴(つづ)った記事だった。
「マネージャー業務は、給水の準備やタイムの計測など雑用メインの地味な仕事というイメージが強かったんです。ですが記事を読んだら、日頃の練習の準備以外にも合宿先の手配や取材対応、SNS投稿などチーム運営において多岐にわたって仕事する要の役職だと知りました」
当時の齋藤にとっての箱根駅伝は「キラキラしている憧れの舞台」。選手でなくてもマネージャーとしてその舞台に関われたら。思いは決まった。
主務の仕事は「マルチタスクの鬼」
進学先として選んだのは、箱根駅伝に第1回大会から出場している伝統校の明大。マネージャーとして入部後、山本佑樹・元駅伝監督の計らいもあり、寮に入り、選手たちと共同生活を送った。
4年生が主務になることが多いが、齋藤は3年生から任された。
念願の役職に就けたものの業務量は想像を超えていた。「『マルチタスクの鬼』みたいな仕事です。365日通して気が休まることがなかったです」と笑う。
日商簿記2級を持つ齋藤は会計が得意で地味な仕事はコツコツこなせるが、社交的な性格ではなく、選手たちとのコミュニケーションには苦労した。選手兼任の主務が続いていたこともあり、マネージャー専任の齋藤は選手との距離感に悩んだ。
上級生に指示しづらい時は、寮で同部屋だった当時4年の下條乃將(だいすけ、現・NDソフト)を通して伝えてもらった。難しい交渉事はコミュニケーション力がある、同学年のマネージャー新藤陸(山手学院)に任せた。SNS運用は女子マネージャーが上手だった。齋藤はメディア対応など主に渉外を担当し、部員がそれぞれの得意分野で力を発揮し、協力してチームを運営してきた。
箱根駅伝の運営管理車に乗り、夢を実現
大学4年間のハイライトは、2023年1月の箱根駅伝だ。監督や主務らが乗る運営管理車で箱根路を走ることができ、夢をかなえた。
1区で待機している選手を見届け、いざ運営管理車の前に立つと感極まった。「ずっと憧れてきた場所にたどり着けて、すごく感動しました。泣きそうになってしまったのですが、スタートする前なので泣くわけにはいかないと、冷静になりました」
山本佑樹・元駅伝監督とともに車内でレース展開を見守った。選手の体調は? 前に他大学が見えた! 後ろから他大学が来た、やばいぞ! 一喜一憂した。
そして今年も主務として運営管理車から選手たちにエールを送り続けた。
「マネージャーは選手たちをずっと見ています。こういう過程があって、このレース、この駅伝を走っているんだと見られるようになったのは楽しく、やりがいでした。例えば、今年の箱根駅伝のアンカー古井康介(2年、浜松日体)は、夏までけがで苦戦していました。その時はまさか箱根駅伝を走れるとは思っていなかったので、実際に走っている姿を見ると感慨深いものがありました」
観客が目にするのはレース中の一瞬だけ。だがマネージャーは選手たちの苦労を日々見ているからこそ、特別な思いが込み上げる。
評価されることは当たり前ではない
「心労がすごく多かったので、よくやめずに持ち切ったな、というのが率直なところです」。齋藤は4年間をそう振り返る。
1年次はチームでスポンサー契約が可能になり、手続きに忙殺された。2年次は大学のグラウンドが工事に入り、練習場所の確保に奔走した。3年次の年度末は新しい寮への引っ越しと精算報告書の作成が重なった。4年次の夏は駅伝監督の交代もあった。多くの人に支えられて乗り切ることができた。
裏方の仕事を全うしたからこそ、気づいたことがある。
「選手として表舞台で活躍することは、そこに至るまですごく努力を重ねているので、尊いことだと思います。ですが、そこまで抜けられていない、スポットライトが当たっていない裏方は何百人、何千人といます。大学4年間で特に強く思ったのですが、人から見てもらえること、評価されることは当たり前ではありません。周りに見られてなくても、評価されなくても頑張れるというのは、それ以上に尊いことなんじゃないか、と感じています」
そして、裏方の仕事に興味を持っている人たちにメッセージを送ってくれた。
「人それぞれ得意分野があると思います。マネージャーの仕事はいろいろあるので、どんな人でも活躍できるフィールドがあります。一番大事なのは4年間やりきること。その覚悟が持てるかだと思います」
「組織として結果を出せるような人材に」
卒業後は不動産会社に就職する。総務や人事といった、マネージャーの経験を生かせる組織づくりに関心を持っている。「個人の結果もほしいですが、組織として結果を出せるような人材になりたいと思っています」
主務として箱根駅伝の舞台に立った齋藤。「ここが人生のピークにならないように」と気を引き締める。
OBからはこんな言葉をもらった。「苦労したことは財産。これから利子がついて財産がどんどん増えてくから、無理に気張ることなく頑張って」
入部して最初から仕事を立派にこなしてきたわけではない。4年間かけてようやく「主務らしくなった」と言う。「社会人になっても肩に力を入れすぎず、僕らしくコツコツ頑張っていけたらと思っています」
選手として大会で走ることはなかった。しかし、裏方としてチームを支え、自分の夢をかなえた齋藤。その4年間は、選手たちと同じくらい輝いているように感じた。