慶應義塾大・永山淳 卒業後はプロコーチ業一本に「若い選手の可能性を引き出したい」
ラグビーのユース年代の日本代表を経験し、将来を嘱望されながらも大学でブーツを脱ぐことを決めた選手がいる。日本ラグビーのルーツ校である慶應義塾大学4年のSO/CTB永山淳(國學院久我山)だ。黒黄ジャージーを着て試合に出ながら、大学で授業を受けて、しかも高校などでコーチもするという三足のわらじを履いて忙しく過ごした大学4年間を振り返ってもらった。またプロ選手となってリーグワンのチームに進む道も、一般就職の道も選ばずにコーチ業に専念した背景も聞いた。
ユース代表で受けた指導の経験が転機に
身長188cm、体重92kgと恵まれた体格とスキル、そして端正な顔立ちで、「花園」こと全国高校ラグビー大会には出場できなかったが東京・國學院久我山時代から注目を浴びてきた存在だった。高校時代はU17日本代表、そして最大の目標としていた高校日本代表などにも選出された。
複数の強豪大学から誘われる中、「大学ではラグビーだけになりたくない。勉強やコーチングなどその先につながるものもやりたい」と、AO入試で慶應大の総合政策学部に合格。しかし、2020年3月の高校日本代表のウェールズ遠征は、コロナ禍のため突如中止に。そして5歳から競技を始めた永山にとって初めて、3カ月もの長期にわたりラグビーをまったくしない期間が訪れた。
永山にとっては、簿記や経営の勉強をしつつ、将来のことをさらに真剣に考える時間となった。「U17日本代表や高校日本代表の練習や合宿で、選手としての可能性を伸ばしてもらった。コーチが1回のセッションにかける準備の量が違った。それを(全体の)1%にも満たない高校の代表選手たちだけでなく、部活でラグビーをしている選手たちにも経験してもらえれば、もっと伸びていく選手や、可能性を引き出してもらえる選手がいるのでは……」と自身の経験も踏まえて強く感じた。
コーチングアカデミー起業、競技と両立
そこで大学1年から「外部コーチとして、(学校の)部活動とは違う刺激を与えられるようになりたい」と、競技をする傍ら、母校などでコーチをはじめた。ただ、大学1年のときは大学の部活動の全体練習が夕方だったため、思っていたほど両立できなかった。1年生の終わりにはS&Cコーチ(ストレングス&コンディショニングコーチ、パフォーマンス向上だけでなく傷害予防を目的とした指導を行う)、栄養士、アナリストらとともに、コーチ業を展開する「ESC Academy」を本格的に立ち上げていたこともあり、「部活は大学2年でやめたい」と栗原徹監督(当時)に相談したこともあった。
ただ、大学2年時から部活の全体練習が朝になり、授業後がフリータイムとなったため、競技とコーチ業の両立が可能になった。「(前監督の栗原)徹さんは寛容な方でしたし、青貫浩之監督も全体練習以外になにをやってもいいというスタンスでした」
一方で、「もっと競技に専念したほうがいいのでは……」など賛否両論があったことも承知していた。競技とコーチ業を両立するにあたり「黒黄ジャージーを着て試合に出て貢献する」「練習は休まない」という二つの約束を自らに課して貫いた。実際に部活を休んだのは、高校日本代表合宿での指導と、日本協会のコーチング資格取得時の2回だけだった。
リーグワンを断り「新しい道を拓く」
大学2年から試合に出続けた永山に、勝利して一番うれしかった試合を聞くと、大学3年の10月の筑波大学戦(○16-12)を挙げた。「慶應と筑波はスキルが高い選手がいない中で戦う似たチームで、春季大会では引き分けていて、(在学中に)初めて勝った。チームとして準備して、内容も良かったし結果も良かった。勝つ喜びの詰まった試合でした!」と目を細めた。
しかし、早稲田大学との「早慶戦」は4年間で1度も勝利を挙げることができなかった。「3年間試合に出られたことはいい思い出です。4年生のときは点の取り合いになって(●19-43で)負けましたが、2年生(●33-40)、3年生(●13-19)は勝てた試合だった。後輩たちに『早慶戦』の難しさを伝えようとしましたが、出てみて初めてわかる部分もある」と悔しそうに振り返った。
高校時代から注目され、大学2年から中軸として活躍し体格にも優れた永山には、当然、リーグワンの強豪チーム複数から声がかかっていた。一般就職はまったく考えておらず、副業としてコーチ業をしながらプロ選手として競技を続けるかどうか悩んだが、3年生の終わりに、卒業後はコーチング業一本でやっていく決心をした。
「やるならやり切りたいし、コーチング事業を大きくしたい。中途半端に選手をやるなら、大学を卒業してすぐにコーチに専念した方が新しい道が拓(ひら)けるかなと思いました」
母校での指導経験を卒業論文にまとめたという永山。基本的には中学、高校といったユースレベルのコーチングに専念するつもりだ。「フィジカルは劣るが世界の中でもスキルは高いし、ポテンシャルを感じる」と理由を話す。「自分がまだ若いので体力もありますし、教える選手と歳が近いのは有利な点かな。また昨年や今年指導していた選手たちが、リーグワン、日本代表で活躍して引退する35歳くらいまでには、彼らが戻ってきてコーチができる箱を作っておきたい」と先を見据えた。
後輩へ「多様な価値観に触れ、貪欲に」
大学4年間で一番お世話になった人の名前を聞くと、前指揮官の「(栗原)徹さん」という答えが返ってきた。「新しく踏み入れた大学ラグビーの世界で、徹さんのおかげでいろんなことにチャレンジできたし、いろんな人を紹介してくださった。そのおかげで自分の将来のあり方が大きく変わりました」と感謝した。
後輩たちへのメッセージをお願いすると、「グラウンド内外で、自分からアクションを起こすことが認められているので、学生でいられる時間をうまく使ってほしい。いろんな人と話して多様な価値観に触れて、貪欲(どんよく)に時間を使ってほしい」とエールを送った。
競技と学業、そしてコーチング業を同時に実践した大学生活を振り返り、「17年間競技としてラグビーを続けてきましたが、大学の4年間はいろんな選手、コーチと接することができて、改めて人との出会いが一番貴重だったな……。いろんなことに挑戦できた4年間でした!」と笑顔を見せた。
春からは一人の社会人として、ラグビーの指導に専念する。「大学生だから、競技と両立しているから」という甘えはもう通用しない。日吉の練習グラウンドで学んだことを生かし、プロフェッショナルコーチとして、若い世代の育成、指導に邁進(まいしん)する。