慶應大SO中楠一期 入学以来勝利のない早慶戦 学生最後、一期一会の機会に懸ける
100周年を迎える関東大学ラグビー対抗戦の伝統の一戦「早慶戦」が、11月23日(祝)、東京・秩父宮ラグビー場で行われる。2014年の勝利以来、早稲田大に7連敗中で、「今年こそ勝利を」と気合が入っている慶應義塾大。中軸として1年から司令塔を担っているのが、アタックリーダーのSO中楠一期(4年、國學院久我山)だ。
下馬評を覆すのが「慶應のロマン」 ラスト5分勝負に
チームの絶対的司令塔を担う中楠は、栗原徹監督(1年目のみヘッドコーチ)が指揮官に就任した2018年に入学し、4年間、ともに戦ってきた。2年時は、SOとしてゲームをリードし、明治大学(13-12)、帝京大学(30-27)に勝利した。
最終学年の今季、中楠は春に負傷した影響で、春、夏はメンバー入りできず、9月17日の立教大戦から復帰した。10月2日の青山学院大学戦から背番号「10」を背負い始めると、10月16日の筑波大戦は16-12で勝利。いまの4年生が入学後、初めて筑波大に勝った。「自分たちを小さくみているわけではないが、普通にやれば負ける。ジャイアントキリングじゃないですが、前評判、下馬評を覆すのが『慶應のロマン』とみんなで言っています。そのプロセスを楽しみたい」
ただ11月6日、開幕から4戦全勝同士で対戦した明治大戦は、3-54で大敗してしまった。中楠は「チャレンジするマインドを持って望み、最初の15~20分は想定内というか、しっかり作り込めたいい試合だった。しかし個人のミスで2本取られてしまった。拮抗(きっこう)した中で1回崩れると苦しかった」と悔しさをあらわにした。
早慶戦に向けて、「課題はディフェンスです。勝手にやるだろうと思っていて、ディフェンス練習をあまりやっていなかった。勝つときには失点を20点くらいに抑えないといけない。自分たちの得点と失点のリスクをコントロールしながら75分まで持っていき、最後の5分、どっちが我慢できるかという勝負にもっていかないといけない」と意気込んだ。
花園出場、高校日本代表にも選出
中楠は横浜市出身。岩手・盛岡第三高時代、高校日本代表候補に選ばれた父の影響もあり、3歳から家の近所の田園ラグビースクールで競技を始めた。CTBやFBとしてプレーもしたこともあるが、小さい頃から主にSOとしてプレーしており、好きな選手はオーストラリア代表のSOクエイド・クーパー(花園ライナーズ)だったという。
「ラグビーはあくまでも部活、遊びの延長。しっかり勉強もしないといけない」という教育方針もあり、中学受験でラグビー部のある國學院久我山中に入学。太陽生命カップでは伏見中、天理中に負けて2年連続準優勝だった。中学3年時は東京都中学校選抜に選ばれて全国ジュニア大会に出場したが、神奈川県選抜に負けて3位に終わった。
そのまま國學院久我山高に進学し、高校2年時は10番を背負い、「花園」こと全国高校ラグビー大会でベスト8進出に貢献した。しかし翌年は花園の東京都予選決勝で、早稲田実業に敗れた。「チームは余裕みたいな雰囲気がありましたが、僕は実は危ないかな……と思っていました。悔しかったです」
個人としては、高校1年からシオネ・ハラシリ(現・横浜イーグルス)らトンガ人留学生がいた目黒学院と試合を重ねたことで、1対1のタックルが強くなった。花園に出場できなかった高校3年時も、高校日本代表に選出されて、ウェールズ遠征にも参加した。
大学進学は「勉強とラグビーの両立ができる」と思った早稲田大、慶應大に絞った。両校ともAO入試で受けて、早く合格通知が届いた慶應大の総合政策学部に入学した。中学受験時も慶應普通部の受験を考えたり、小学校時代、自転車で慶應大の練習場に来てフェンス越しに見学していたこともあったりなど、身近な存在だった。
また4学年上に、中楠と同じく高校日本代表経験者で、キャプテンのSO古田京がいた。中楠は「(古田)京さんと入れ違いでの入学だったので、10番はチャンスがあるかな」とも思っていた。
栗原徹監督のもと、ラグビーの本質を知る
元日本代表FB栗原監督がちょうど就任し、もくろみ通り1年時からチャンスをつかみ、10番を背負い続けている。ただ、中楠は「この4年間、基本的に苦しかった。何回か(ラグビー部を)辞めようとしました。ただ、ラグビー面でも人間的にも成長できました」と正直に吐露した。
大学1年のときは「ラグビーの構造や本質的な部分を(栗原)徹さんに教わりました」と話す。週3、4回は栗原監督と一緒に試合を見てレビューをしていくうちに、ラグビーに対する理解度が上がっていった。2年生の頃あたりから、理解したことを少しずつ試合で出せるようになった。
自転車で練習場に通っていた大学1年時は、寮に入らず、本気で一般就職も考えていた。その考えは、ラグビーへの理解が深まるごとに変わっていった。「徹さんにすごく教えていただいて、2年時に慶應でも明治大や帝京大に勝つことができた。楽しさというか自分の力が見えてきた。そして、ラグビーを理解しているのを武器にできるかな」と、卒業後も競技を続ける意思が固まっていった。
チームの方向性と自分の持ち味が合致すれば
日本ラグビーのルーツ校で、毎年日本一を目標に掲げる慶應大には、150人以上の部員がいる。だが、ラグビーに対する意識は部員によって異なり、寮生もいれば、通いの学生もいる。また、ラグビー面ではディフェンス、モールなどを武器にしており、「できることとできないことがハッキリしているチーム」と感じていた。
中楠は「チームにアジャストし過ぎてもダメ、自分の持ち味を出しすぎてもダメ。そのバランスが難しい。自分のアピールにもならない。またライバルがおらす、良い試合をしても悪い試合をしても次の試合に出られてしまう。誰も助けてくれない。このまま、ここにいていいのかと悩み、苦しかった。でも、慶應大に来て後悔はない。どこに行っても正解はなかったのかな……」としみじみと話した。
大学4年間を通じて中楠は、「基本的に出た試合は細かく覚えているが、自分はここまでできると思っていても、チームにアジャストしたりメンタルの影響だったりで、半分くらいの実力しか出せず、納得したパフォーマンスはほとんどなかった」と懐古した。
チームのラグビーに対応しつつ「自分の持ち味を出すことができたかな」と感じたのは、昨季の明治大戦だった。試合には17-46で負けてしまったが、ゲームコントロールの部分だけでなく、自分の持ち味である攻撃的なラグビーも発揮できた。「初めてチームの方向性と自分の持ち味が合致した。みんな悔しそうだったが、自分の中でスッキリと雲が晴れた試合になりました」
大崩れか僅差か 満員の秩父宮を楽しみたい
改めて100周年を迎える23日の早慶戦について聞くと、「早稲田大に対してリスペクトはありますが、僕らとしては、すごく意識している部分は多くなく、僕は物おじしないタイプというか、1年時の早慶戦から変わらないメンタルでできている。対抗戦の一つの試合と考えていて、しっかり準備して遂行するというプロセスの中にある」と話した。
10番としてどんなプレーをしたいかと聞くと、司令塔は「早慶戦は大崩れするか、僅差(きんさ)になるかという試合になる。チームのラグビーの部分で、リスク、メンタルをコントロールしながら、アタックで冷静に自分の持ち味も出したい。満員の秩父宮ラグビー場で試合をすることは、なかなかこの先もないと思うので、楽しみたい!」と声を弾ませた。
早慶戦で「特に意識する選手はいない」という中楠だが、ラグビースクールが同じで幼稚園からの幼なじみで、高校時代のチームメートだった早稲田大WTB槇瑛人と、学生時代最後の試合となることは、「感慨深い」と話す。2人はチームこそ違うが、リーグワンのチームに進む予定だ。
趣味は友人とカフェに行くこと。卒論はリーグワンのセカンドキャリアについて書いている。また、一期(いちご)という名前は、もちろん「一期一会」が由来だ。「人に対してもそう、すべてのことに対して、1回きりかもしれない。そういった巡り合わせ、機会を大切にしよう」と心がけている。また好きな言葉は「ローマは一日してならず、です。苦しいときでもちょっとずつ積み上げていきたい」と話す。
楽しいときは、いいプレーができているとき
1年生から黒黄ジャージーの10番を背負い続けてきた中楠。悩みながらも、人間的にもラグビー的にも一回り成長した4年間となった。「タイガージャージ」を着てプレーできるのは、大学選手権を含め、多くても6試合だ。
「日本一を掲げていますが、僕たちはそこまで長い目で見られるチームではない。目の前の試合に準備して、一つ一つの積み重ねが良い結果につながればうれしい。僕自身、ラグビーが好きで、楽しいからやっています。楽しくプレーできているときは、いいプレーができているので、ファンには一緒に楽しんでもらえれば」
2014年度以来、早稲田大に勝利するだけでなく、正月越えを果たすことができていない慶應大。ライバルを倒して一気に上昇気流に乗れるかは、中楠の双肩にかかっている。