フィギュアスケート

特集:駆け抜けた4years.2024

早大の川畑和愛が引退 19年全日本で3位、スケート人生は「自己成長の場所だった」

今季限りで競技引退を決断した早大の川畑和愛(撮影・浅野有美)

フィギュアスケート女子で2019年全日本選手権3位に入った早稲田大学3年の川畑和愛(ともえ、N高東京)が、3月9日にダイドードリンコアイスアリーナ(東京都西東京市)で行われた「WASEDA ON ICE 2024」で競技引退を発表した。涙をこらえながら、支えてくれた家族やコーチ、ファンに感謝の気持ちを伝えた。

【特集】駆け抜けた4years.2024

「悔いがないことを確認した」

早大スケート部創部100周年の節目に開かれた「WASEDA ON ICE 2024」。部員や観客が見守る中で川畑が進退について語った。

2019年全日本選手権でジュニア選手ながら3位に入り、新星として注目された。しかし2021年11月に交通事故に遭い、その後は「高いレベルで競技をするには体が万全な状態に戻らなかった」と明かす。2023年1月のインカレで再び3回転ジャンプを跳べたことで気持ちの整理がつき、今シーズンは競技から離れて大学生活を送った。「1年間の環境変化をへて、スケート競技から離れることに悔いがないことを確認した」と、競技引退を決意。最後に演技を見せることはかなわなかったが、次の道に進む川畑に温かい拍手が送られた。

涙を浮かべながら競技引退を発表した(撮影・浅野有美)

受験勉強をしながら全日本3位

川畑は5歳の頃、姉の影響でスケートを始めた。JR高田馬場駅近くにあった「シチズンプラザ」のリンクで都築奈加子コーチに師事した。加えて神奈川スケートリンクで、オリンピック2大会連続金メダルの羽生結弦さんを育てた都築章一郎コーチの指導も受けるようになった。

川畑はダイナミックなジャンプが持ち味だ。1本目は大きく跳べるが、2本目のコントロールが難しく、連続ジャンプの習得に苦労した。中学時代は全日本ジュニア選手権に出場するも、2年連続でフリー進出を逃した。

誕生日が2日違いで同じリンクで練習する青木佑奈(日本大学4年、横浜清風)や本田真凜(明治大学4年、青森山田)ら同世代が活躍する姿を見て、競技に対する意識が変わった。

「自分はスケートに対して真剣になれていないんじゃないかと思いました。一つのことにすごく注力する、やり抜くという経験を得たいという思いが強くなりました」

高校は通信制のN高に進学し、練習時間を増やした。トレーニング方法も工夫するようになり、技術が向上。連続3回転ジャンプの成功率が上がり、高校1年の全日本ジュニアで6位に入り、全日本に推薦出場を果たした。

高校2年次にジュニアグランプリシリーズを経験し、全日本ジュニア3位、全日本10位で世界ジュニア選手権にも出場。高校3年次に明治神宮外苑アイススケート場に拠点を変え、樋口豊コーチと太田由希奈コーチのもとでさらに成長。全日本ジュニアで2位、全日本で3位に入る快挙を成し遂げた。会場だった国立代々木競技場第一体育館には父親や姉、町内会の人たちも駆け付けてくれたという。当時のフリー「夢二のテーマ・Sikuriadas」は和テイストのプログラムで、ダイナミックなジャンプに加えて表現力も光り、川畑の代表作になった。

「順位というより、高い成果を求めて練習してきたことが本番で全部発揮できたことが本当にうれしくて。フリーの演技後、スタンディングオベーションしてくださっている中であいさつをした瞬間が一番達成感を感じました」

当時は国立大学受験のためセンター試験(現・大学入学共通テスト)を控えており、勉強と両立しながら結果を残した。

2019年全日本フリーの演技。競技人生で一番の思い出だ(撮影・川村直子)

万全な状態に戻らず、次の道を模索

大学はスケート部がある早大に進学した。コロナ禍で大学生活が始まり、1年次の国民体育大会の成年女子フリーでは、2019年全日本の得点を上回る132.88点を出し、世界選手権2連覇中の坂本花織(シスメックス)に続く総合2位に入った。

世界で戦っていこうとした矢先、不運が襲った。全日本を1カ月後に控えていた2021年11月末、交通事故に遭い、全日本を棄権。その後は自分が求めるレベルまで技術が戻らなかった。「思ったような演技ができない現状は受け止めてはいましたが、周りの期待に応えられない自分に怖さも感じていました」

苦境に何度も心は折れかけた。それでも「中途半端に物事を終えてはいけない」と自らを奮い立たせ、その時の自分に合った目標を設定してモチベーションを維持した。けが明けから約1年後のインカレでは、3回転ジャンプを跳ぶことができた。

そこが一つの区切りになった。

「体の微妙なバランスだったり、筋肉の感じだったりが万全な状態まで戻らなかった。万全な状態に戻るのが大学卒業後かもしれないと考えた時、社会人になる道も考え、フィギュアスケートで自分がやり切りたいことはできたんじゃないかと思いました」

2023年2月に行われた「WASEDA ON ICE 2023」に出演後、川畑はリンクを離れる決断をした。

ジャンプだけでなく表現力も魅力だった(代表撮影)

スケート以外で見つけた自分の居場所

競技を離れて以降、学業に専念してきた。社会言語学のゼミに所属し、「言葉の受け取り方は人それぞれ。グループワークを通じて、その気づきを得ていく授業です」と話す。

ゼミ以外に、昨春から国際関係を学ぶ学生団体「十大学合同セミナー」に参加している。大学の垣根を超えて学生同士が議論を交わし、約3カ月かけて共同論文を執筆した。いまはセミナーの運営委員として関わる。

参加を決めたのは、当時のテーマがウクライナに対する軍事侵攻だったからだ。川畑はジュニア時代、国際大会でカミラ・ワリエワらロシア選手と同じ大会に出ていた。軍事侵攻したロシアは国際大会から除外された。「それまでは政治に深い関心はなかったのですが、自分の経験から国際問題に意識が向くようになり、考えてみたいと思いました」

スケート界とは別のコミュニティーでつながった仲間と一つの論文を作り上げる取り組みは、川畑にとって「新たな挑戦」だった。「フィギュアスケートだけじゃなくて、もう一つ自分の居場所がある方が自分はうまくいくタイプなのかな」とほほえむ。

昨年のWOIの演技。これ以降、競技から離れた(撮影・浅野有美)

自分と向き合った時間「何を成し遂げたいのか」

氷上から離れた大学生活を続けて約10カ月が過ぎた今冬、競技引退を決断した。3月9日に開催された早大のアイスショー「WASEDA ON ICE」の場で発表し、家族やコーチ、ファンに向けて感謝の思いを涙ながらに語った。

スケートを始めて15年。川畑は「すごくみっちり自己成長できた場所だった」と感慨深げに語る。

「スポーツは成長機会を感じられる場面が多いと思います。15年間って長いですけど、人生で見たらやっと一部になったかなという実感です。それくらい力を注ぎました」

全日本表彰台という喜びも味わった一方、交通事故後のつらい時期に前を向けたのは、「挑戦をずっとし続けたい」という人生を通じたビジョンがあったからだ。

「人の笑顔が見たいから頑張る、フィギュアスケートのここが好きだから頑張るといった目の前の目標も大事だし、それを今日やることに落としてくるのも大事だと思いますが、ぼんやりとでいいので、『自分が人生で何を成し遂げたいのか』というもう一つ大きなビジョンがあれば、つらいことがあっても崩れないのかなと思います」

就職活動中で、世界と関わる企業で働きたいと話す(撮影・浅野有美)

川畑は1年間休学したため、現在大学3年生で就職活動真っ最中だ。スポーツ業界だけにとらわれず、世界と関わりがある企業で働きたいという。

スケート靴を置き、次のステージへ動き始めた。川畑の新たな挑戦を応援したい。

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