アメフト

特集:駆け抜けた4years.2024

大阪公立大・篠原呂偉人 高校トップQBが選んだ道、正解にするための飽くなき前進

篠原呂偉人は常に何かを起こしてくれそうな雰囲気を持つQBだ(すべて撮影・篠原大輔)

2022年4月1日、大阪市立大学と大阪府立大学が統合し、新たな公立総合大学である大阪公立大学が誕生した。これを機に市大と府大のさまざまな部が一つになった。アメフトは関西学生リーグ2部の府大シュライクスと3部の市大ゴールデンシダーズが一緒になって、パラディンズ(「戦士たち」の意)ができた。そして2部で22年は同率2位、23年は同率3位と上位争いを演じた。この2年間チームを引っ張ったのが、エースQB(クオーターバック)の篠原呂偉人(ろいど、4年、関大一)だった。高校時代は同世代を代表する選手だったロイドが選んだ道は、想像以上に険しかった。

【特集】駆け抜けた4years.2024

「普通では経験できないような4年間、5年間に」

昨年12月3日のリーグ最終戦。大公大が同志社大学に勝てば6勝1敗で桃山学院大学、大阪大学と並んで同率優勝で、1部との入れ替え戦に出る2校を決める抽選に臨めた。しかし0-56の完敗。試合を終え、記念撮影を終えて引き揚げてきたロイドは「しょうもない試合をしてしまいました」。吹っ切れたような笑顔で言った。それでも整列し、観客席を見上げたときはさまざまな思いがこみ上げ、涙をこらえきれなかったと明かした。「想像よりもずっと多くの人が2部の試合を見ていてくれました。僕に期待してくれてる人もいたので、やっぱり後悔はあります。でも自分の選択を正解にするために進んできて、普通では経験できないような貴重な4年間、5年間になりました」

私がロイドのプレーを初めて見たのは彼が高2の冬、2017年12月のクリスマスボウルだった。関西大学第一高校のエースQBとして、日本一を決めるクリスマスボウルで佼成学園高校(東京)と戦った。身長170cm足らずと小さいが、走り出すと視野が広くて加速もいい。オプションやスクランブルからの鋭いランで相手ディフェンスを切り裂いた。16-36で敗れたが、計103ydを走って敢闘賞を受けた。プレーの躍動感の一方で、高校生らしからぬ落ち着きを感じさせる立ち居振る舞いも非常に印象的だった。

高校2年のクリスマスボウル。負けはしたが、鋭いランで何度も会場を沸かせた

その後、ロイドが国立大学を目指して浪人しているという話を聞いた。てっきり関大に進んで関西を代表する選手になると思っていたから意外だった。後に聞けば、彼は高2になる時点で、10クラス中に1クラスだけある国公立大を目指すクラスに進んでいた。ロイドは神戸大学に進学したかった。「神戸の経営学部で勉強したかったんです。母子家庭で育ってきたので、学びたい場所で学んだうえで、1部リーグでアメフトをやっていい結果を出すことが、親への恩返しになると考えていました」。この言葉を聞いたとき、彼のクレバーさ、落ち着きの原点を思い知らされる気がした。

府大と市大でアメフト文化が違い、来る日も来る日もすり合わせ

大阪市内で生まれ育ち、小学校から12年間一貫で学べる智辯学園奈良カレッジに通った。一方で5歳のとき、クラブチームの大阪ベンガルズでアメフトを始めた。QBとしてのプレーぶりを見て声をかけてくれた関大一高に進んだ。高校では磯和雅敏監督(現・関大監督)と一ツ橋嘉大コーチ(現・関大コーチ)から大きな影響を受けた。一ツ橋さんにはQBとしてのスキル、メンタルなどを教え込んでもらった。1浪したが神戸大学への進学はかなわず、大阪府立大学に入った。当然アメフト部からは熱烈なラブコールを受けたが、自分がずっと注目してきた関西1部でないと競技を続ける気はなかった。中学時代の恩師に会ってその話になったとき、「2部のチームを1部に上げるのも、一つの楽しみとしてはええんちゃうか」と言ってくれた。大事な人の言葉に背中を押され、ロイドはフィールドへ戻った。

府大2年の春、市大とのスクリメージで翌春からのチームメイトたちとプレー

当然のように1年からロイドは府大のエースQBとなった。クリスマスボウル以来で、私が彼のプレーを見たのは、2年の6月だった。府大と市大のスクリメージ(試合形式の練習)が組まれているのを知って駆けつけた。翌春に統合する両校の様子について取材したい気持ちは当然あったが、ロイドの「その後」を見て、話を聞きたいという思いの方がずっと強かった。高校時代のようにスムーズにオフェンスを展開できてはいなかったが、走りながらのパスを軽々と決め、スクランブルからの走りも光った。そしてベンチへ戻るたび、周りの選手に声をかける彼の姿があった。

大阪府大2年の秋シーズン、ベンチに戻るたび仲間たちに声をかけた

この年の冬から、府大と市大の両アメフト部は翌春の統合へ向けて本格的に動き始めた。お互いにアイデアを出し合って新チーム名が決まり、日常的に使うワードをそろえることから始めた。練習で使う器具一つをとっても、両チームで呼び方が違った。これは想像以上に大変な作業になったという。

ようやく春先から戦術面のすり合わせが始まった。ロイドらの府大は学生主体、市大は大人のコーチ主導と、フットボール文化がまったく違った。来る日も来る日もミーティングの日々だった。

戦術面の約束事がある程度決まったのは夏に入ってからだった。そこから先もエースQBのロイドは苦しんだ。「自分に合ってないプレーがどんどん降ってきた。それを否定し続けるのもよくないと思って、自分の思いをのみ込んでプレースタイルを変えようとしました。そしたら4年生がコーチに意見して、僕に合ったプレーを提案してくれた。4年生のおかげで、最終的には全員を信頼してやれました」

パラディンズ1年目の入れ替え戦で、味方のブロックを巧みに使ってタッチダウン

2022年秋の関西2部は実力伯仲。パラディンズは5勝2敗で、桃山学院大、大阪大と並ぶ2位で終えた。3校の抽選の末、大公大キャプテンの上田航大が「2位相当」を引き当てた。1部7位の甲南大学との入れ替え戦に進めることになり、パラディンズの面々はお祭り騒ぎ。ほかのチームには無縁の「生みの苦しみ」を抱えながらの奮闘に、フットボールの神様がほほえんだように感じさせられた。

「1年目で1部昇格」の目標まであと1勝まで来たが、はね返された。雨の中、甲南大はオフェンスの46プレー中パスは2回だけと、ラン、ラン、ランで勝ちにきた。大公大は1部でもまれてきた相手OL(オフェンスライン)、RB(ランニングバック)の力強さにやられた。26-36で敗れ、昇格はならなかった。ロイドはパスで三つ、ランで一つのタッチダウンを決めた。試合後のハドルでキャプテンの上田が話し始めると、ロイドはうつむき、悔しさをかみしめた。

入れ替え戦に敗れ、ロイドはうつむいた

何度もアメフトが嫌になった大学ラストイヤー

学生ラストイヤーを迎え、ロイドは副キャプテンとなり、オフェンスリーダーを担った。「最後の1年は何度もアメフトが嫌になりました。QBとして引っ張るのと、リーダーとして引っ張るのは全然違う。やったことがなかったんで……。高校までのフットボール経験者が少ないから、スタンダードを引き上げないと1部昇格は見えてこない。そこに必死で、自分自身のスキルアップを考えるのを忘れるほどでした」。春のチーム状態は散々だと感じていたが、後輩たちが4年生の言葉をまっすぐ聞き、前向きに取り組んでくれたことで夏には一体感が出てきた。

勝負の秋。3戦目までは危なげなかったが、4戦目の神戸学院大学戦は苦しめられて22-15で勝利。5戦目は昨秋に苦杯を喫した阪大との全勝対決。ロイドの率いるオフェンスがちぐはぐで、ドライブできない。先にタッチダウンを取られては何とか追いつく展開で、14-14で第4クオーター終盤へ。残り31秒、阪大がゴール前31ydからの第4ダウン14ydでギャンブル。ここで大公大がまさかのオフサイド。前進した阪大はフィールドゴールに切り替え、これを決められた。14-17で初黒星を喫した。

フィールドでは常にこうして堂々とオフェンスを引っ張った

そして全勝の桃山学院大戦。後がなくなった大公大はようやく一つになり、チャレンジャーとしての戦いを貫けた。オフェンスはこの日のために用意したプレーを実らせ、ディフェンスは決してロングゲインを許さない。20-10で1敗を守り、選手もスタッフも喜びをはじけさせた。試合後、いつものように応援団とチアリーダーへのあいさつを終えると、ロイドが跳び上がってガッツポーズをした。こんなにも感情を爆発させる彼を初めて見た。同時にこれまでの苦悩の大きさを知った気がした。「負けたら終わりなんで、試合までの2週間は一番しんどかったです」。ロイドは晴れやかな笑顔でそう言った。

大学最後の秋、桃山学院大を下して入れ替え戦進出へ望みをつなぎ、喜びをはじけさせた

続くリーグ最終戦は前述のように、なすすべなく同志社大に負けた。2年連続の入れ替え戦進出はならず、ロイドの大学アメフトが終わった。QBとしては2年連続で2部のベストイレブンに選ばれたが、パラディンズを1部に引き上げることはできなかった。泣いたあと、ロイドは高校卒業からの5年間を総括した。「中学、高校時代からの目標も、1部昇格も達成できなかったんですけど、自分の選択を正解にするために進んできた結果、普通では経験できないような貴重な時間になりました。人と向き合う難しさと重要性に気づけたのが大きな収穫かなと思ってます。思ったより多くの人が2部のアメフトも見てくれてて、その人たちににプレーで応えようと思ってやってきました」。選んだ道は想像以上に険しかった。でも、やりきった。

とくに感謝の思いを伝えたい3人の恩人

多くの人に支えてもらったおかげで充実した大学生活になったと感謝するロイドだが、中でもとくに3人、改めて感謝の思いを伝えたい恩人がいるという。

まずは府大に入ったとき、アメフトを続けるよう背中を押してくれた中学時代の担任の先生だ。大学ラストゲームとなった同志社戦を観客席で見守ってくれた。「常に応援し続けてもらいました。全部終わってからも『いい経験ができたね』と言ってくれました」。ロイドのプレーを大学でも見られたのは、先生のおかげ。私も感謝している。

そしてパラディンズのトレーナーである足立稔郎さん。ロイドは実は大学1年の冬に生命線である右肩を痛め、10ydしか投げられなかった時期もあった。そのとき出会った足立さんが、つきっきりで治療してくれた。フォームを見直し、2年秋の初戦から出られたのは足立さんのおかげだという。さらに4年生最後の同志社戦2日前には足首を負傷し、歩くのもままならない状況だった。このときも足立さんの治療のおかげで、見ていて違和感のない程度にプレーできた。「僕としては奇跡を起こしてもらえたと思ってます。4年間しっかりプレーし続けられたのは、足立さんがいてくれたからです」

1年の冬に右肩を痛めたあと、フォームを変えた

最後に関大一高時代のコーチだった一ツ橋さんだ。「僕の大学でのプレーを見てくださってアドバイスをくださったり、試合に足を運んでもらったりしたこともありました。関大に進まなかったのに、ずっと応援してもらいました。いつも、僕のことを一切否定せず、スキルやファンダメンタルがいい方向へ向くようにアドバイスしていただけるので、本当に助かりました」

大学3年の秋シーズン終盤、関大一高時代の同級生である関大アメフト部の4年生たちが、自分たちのシーズンが終わったあと、大公大の練習を手伝いに来てくれた。ロイドがうれしそうにそう教えてくれたことがある。

ロイドを支えた人たちに取材したわけではないが、その人たちがそうしてきた理由が私には分かる気がする。彼はいつだってまっすぐだ。心にブレがない。だから力になってあげたくなる。そしてフィールドに入ると明らかに小さいのに、時に忍者のような身のこなしでタックルをかわして走ったり、パスを投げたりする。「ロイドなら何かを起こしてくれるかもしれない」。周囲の人たちには、そんな期待が常にあったのだと思う。大学ラストゲームのあとに話を聞いたとき、最後に彼は「もうこうやって篠原さんに話を聞いてもらえることもないんですねえ」と言った。篠原呂偉人はこういう人だ。

「人間的に成長できたし、QBとしても見違えるぐらいにうまくなった自信はあります」とロイドは言う。春からは東京か大阪のどちらかで働くことになりそうで、いまはプレーの継続にすごく迷っているそうだ。「続けたい気持ちもあるんですけど、仕事とアメフトとプライベートの両立ができるかどうか分からないので、何とも言えないです。ただ『来てほしい』と言ってくださるチームもあるので、自分に余裕があれば選手として頑張りたい。それが難しくても、何らかの形でアメフトには携わりたいと思ってます」。いまはパラディンズの後輩たちから頼まれ、新チームのプレーについて一緒に考えているそうだ。

5歳で始まったロイドのフットボール人生は、まだ続く。

大学ラストゲームを終え、観客席にあいさつ。いろいろあった4years.が終わった

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