陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2024

大東文化大・中井脩太 「研修部員」からスタートし、日本選手権で入賞するまでの軌跡

3年時の関東インカレで連覇を果たした大東大の中井(撮影・藤井みさ)

大学4年間で大躍進した陸上選手がいる。大東文化大学の中井脩太(なかい・しゅうた、4年、深谷第一)だ。高校卒業時は400mハードルの自己ベストが54秒19で、当時の部員標準記録(入部条件)だった53秒50を突破できず、「研修部員」として陸上競技部に入部した。「部員標準記録を突破と関東インカレ出場」を目標に、大学1年の10月に部員標準記録を突破。2、3年では関東インカレ2部で2年連続優勝を果たし、4年目には日本選手権7位入賞を収めた。「大東文化大学で良かった。監督やコーチ、仲間のおかげで今の自分がいる」。多くの人に中井の活躍を知ってほしいと願い、その陸上人生をたどる。

【特集】駆け抜けた4years.2024

中学まではサッカーに打ち込み、高校から陸上へ

埼玉県出身の中井は幼稚園時代、園内のサッカークラブで活動していた。小学校からはクラブチームに所属し、中学3年生まで主にFWとしてプレー。攻撃の最前線で得点を決めていた。「陸上にはない体の使い方や動き方を学べた」と当時を振り返る。しかし中学で伸び悩みを感じ、高校では「県大会出場」を目指して陸上競技を始めた。

当初は100mや200mといった短距離を希望していたが、顧問の吉田裕太先生がハードル経験者だったことから、400mハードルを勧められ、始めた。初レースは62秒03。ハードルの高さに不安を抱いていたが「上に跳んでいいから、ゴールすればいい」という吉田先生からのアドバイスを受け、当時179cmの長身を生かし「ゴリ押しで突っ込んでいった」。レースを積むことで恐怖心を払拭(ふっしょく)していき、高校2年で県大会にも出場。自己ベストも56秒88までタイムを縮めた。

高校最後の年は「ハードル間すべての歩数を15歩」を目標に定めてスピードを強化。すると5月の県大会で、54秒19と自己ベストを更新し、3位に入る活躍を見せた。勢いそのままに6月の北関東大会で準優勝を果たし「大雨で天候も悪い中、チームメートの皆さんがサポートしてくれて、インターハイ(全国高校総体)を決めることができたので、めちゃくちゃうれしかった」と喜びを爆発させた。高校3年間を「全国の舞台まで行けたことは大きな成長でした。吉田先生には本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と総括する。 

高校3年の北関東大会でインターハイ出場を決めた(本人提供)

1年目からインカレ2部優勝のリレーメンバーに

インターハイ出場をきっかけに、大学でも陸上競技を継続することにした。進学にあたっては「父親が色々とホームページを見て、ハードル専門のコーチがいる大学を調べてくれました」。大東文化大の出浦教行コーチから指導を受けたいこと、さらには高校3年時に大東文化大の陸上部で体験部活をした際、「皆さん優しくて雰囲気が良かった」ことが決め手となり、研修部員としての入部を決めた。

入学した年は、新型コロナウイルスの影響で試合の延期や中止が相次ぎ、部の活動自体も自粛を余儀なくされた。その中でも「コツコツと、できる範囲で走り込みを行い強化していた」と中井は力を蓄えていた。

全体練習は7月に再開され「後れをとることがなかったので結構自信がつきました」。8月の大学初レースで400mハードル53秒66と自己ベストを更新。佐藤真太郎監督からは「部員標準記録を突破したら、関東インカレのリレーに出します」と伝えられ、10月の埼玉県選手権予選で52秒73をマーク。部員標準記録を突破し、決勝では優勝を果たした。「予選から全力を出し切るつもりで突破できて、少し解放された感じです。また優勝もできて初タイトルを取れてすごくうれしかった。チャンスを与えてくださったことで、やる気になった」と中井は言う。

初年度から自己ベストを更新し、リレーメンバーに。写真は3年時の関東インカレ(撮影・藤井みさ)

10月の関東インカレ2部では、4×400mリレーに出場。予選では4走、決勝では3走を任され優勝を果たした。「周りのメンバーに助けられた優勝でした。もっと速くなりたい」と中井。飛躍を遂げたルーキーイヤーについて「競技経験を積めたことが大きな自信になった」と振り返る。

2、3年目に400mハードルで関東インカレ2部連覇

成長はとどまることを知らず、大学2年5月の関東インカレ2部では400mハードルに出場し、予選から52秒08の自己ベストをマーク。決勝は強風を味方につけ、51秒36で初優勝を果たした。「関東インカレで大幅な自己ベスト更新と、勝ち切れたことがうれしかった」。9月の日本インカレは、大学で初となる全国の舞台。しかし「周りの選手は有名な選手ばかりで、緊張で体が固まってしまった」と本来の走りができず、予選落ちに終わった。直後10月の記録会で、再び自己ベストとなる51秒27をマークし、インカレの悔しさを晴らした。「勝てるレースが増えてきて、日本選手権とか上の大会を目指したい気持ちが強くなった」という思いが芽生える2年目となった。

上級生になった3年目は、4月の日本学生個人選手権で準決勝まで駒を進め「全国大会で予選突破したことがなかったので、自信がついた」と語る。5月の関東インカレ2部では、決勝で50秒42をマークし2連覇。6月の埼玉県選手権でも、50秒38を出し、「実業団の選手にも食らいつくことができた」とさらなる自信をつけた。今度は日本選手権出場の標準記録(50秒25)突破を目指し、冬季練習では「ケツが痛くなるような走り込みをした」と言うほど練習に励んだ。

チームメートとともに歩んだ4年間だった(本人提供)

大学ラストイヤー、ついに50秒切り

大学ラストイヤーは5月の静岡国際陸上400mハードルで49秒66をマークし、日本選手権出場の標準記録を突破した。「ギリギリの49秒ではなかったので大きな自信になりました」とトップアスリートへの仲間入りを果たした。直後の関東インカレ男子1部では、連戦中で「疲れた中でどれぐらい走れるか」と位置づけ4位入賞。そして6月の日本選手権に挑んだ。

「出場する前は、不安と緊張もありました。でも、持ちタイムも良くなったので、確実に2着を狙って決勝に行く気持ちで臨んだ」と中井。その通りに予選を組2着で通過し、決勝で7位入賞を果たした。10月には初の国民体育大会(国体)に埼玉県代表として400mハードルに出場。「高校の頃から自分より速い人がいて選ばれず、大学4年で最後選ばれてうれしかった」と振り返った。

日本選手権の大舞台でも堂々とした走りを披露した(本人提供)

今期の冬季練習では、白石黄良々(現・セレスポ)や多田修平(現・住友電工)といったトップアスリートに「必死に食らいついている」。改めてこれまでの競技人生について「無名だった自分を現在まで成長させてくれた、真太郎先生や出浦さんやコーチ陣の皆さんにはとても感謝の気持ちでいっぱいです」と語った。両親に向けても「自分のわがままを22年間聞いてくれて、遠くの大会でも駆けつけて応援に来てくれて大きな力になりました。これからは結果で恩返ししていきたい」と感謝の言葉を述べた。

陸上を始めた高校1年から大学4年まで毎年自己ベストを更新し、現在もさらなる高みを目指して、陸上に取り組んでいる。そんな中井だが「今でも自分はメンタルが弱くて、大会前になるとどうしようと精神的にやられてしまいます。出浦コーチが優しくケアしてくださり、本当に感謝です」と出浦コーチには絶大な信頼を寄せている。

出浦コーチとともに、歩んだ4年間だった(本人提供)

パリオリンピックと東京世界陸上出場に向けて

今後は「渡辺パイプ株式会社」で競技を継続する。「引き続き出浦コーチのもとで競技をさせていただける環境の中、会社初の世界大会出場者になりたい」という夢を持ち、入社を決めた。

尊敬する選手にはカールステン・ウォーホーム(ノルウェー)を挙げる。東京オリンピック400mハードルを世界新記録で優勝した選手だ。「東京五輪での45秒台での優勝は衝撃的でした。プーマ契約の選手で、自分も憧れてアウトレットのプーマショップで働いていた」というエピソードを明かし、中井も今夏のパリオリンピックや2025年に東京で開催される予定の世界陸上出場を目指す。「日本選手権決勝の常連になれるようにタイムも安定させていきたい」と今後は世界での戦いを見据えてチャレンジする。競技を続ける限り、自身が成長するための歩みは止めない。

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