立命館宇治高校コーチ・東正名朗 高校日本一のキャプテンが大学1年生で選んだ道
各地で高校アメリカンフットボールの春の大会が始まっている。昨年12月のクリスマスボウルで2年ぶり3度目の高校日本一を手にした立命館宇治も京都府大会で新たなスタートを切った。そのサイドラインには昨年度のキャプテンとしてチームを引っ張り、立命館大学へ進学した東正名朗(とうじょう・なお)さんの姿があった。
「2個下の子らまでは、面倒を見てあげたい」
東正さんは大学でプレーするのではなく、母校で後輩たちのコーチをする道を選んだ。4月7日の新チーム初の公式戦となった龍谷大平安戦。東正さんはサイドラインでヘッドセットをつけ、戻ってきた選手たちに声をかけた。相手ディフェンスのセットが遅れたときに立宇治オフェンスも「お付き合い」していると、「はよ始めろ!」と叫んだ。
43-0でコールド勝ちしたあと、東正さんはこう振り返った。「自分たちが抜けたことで不安だったと思います。春合宿までは『こいつら大丈夫かな?』と感じてましたけど、合宿で北川(廉)がキャプテンとしての自我を持ち始めた。チームとして2023年を一回忘れて、新しいパンサーズとして生まれ変わろうという意識が出てきました。北川は今日はけがで出られなかったんですけど、今年は自分のチームだという意識が見られた試合だったのかなと思いました」。やはり誰よりもキャプテンに目がいくようだ。
昨年のクリスマスボウルの時点で身長166cm、体重92kgと高校レベルでも小さなDL(ディフェンスライン)だった。それでも読みの鋭さとOL(オフェンスライン)をかわす俊敏さを生かして、ボールに絡んでいた。彼が大学でプレーしないと聞いたとき、私は「やっぱり大学でやるにはサイズが足りないという判断かな」と想像した。
まるで違った。東正さんは決断理由について「体が小さいのは関係ないです。大学のチームからも誘っていただいて、プレーしたい気持ちもあるんですけど、自分の2個下の子らまではコーチとして面倒を見てあげたい。自分たちの代で日本一になる楽しさを知ってほしいんです」。高校3年間で2度日本一になった経験のすべてを還元するつもりだという。
小さいからこその長所を見つけ、プレーの意図を考えた
大阪府東大阪市で生まれ育った。幼稚園のころから英語を学んできて、英語教育に力を入れている立命館宇治中を志望した。入学後に顧問の先生から誘われ、「楽しそうやな」と感じてアメフト部に入った。中学のタッチフットボールではOLとして1年から試合に出た。初めて出た試合のことはいまもよく覚えている。「1、2プレーだけだったんですけど、周りの人の視線や歓声があって、これは楽しいなと思いました」
高校でもDLで1年生からスターター。サイズの不利をどうやってカバーしようと考えたのか尋ねると、答えに力がこもった。「デカいヤツは小さいヤツに対して『勝てるやろ』と思ってやってくる。でも小さいからこその長所もあって、低く当たれるとかスピーディーに動けるとか。みんな気づかないんですけど、そこに目を向けることによって短所だと思ってたことが実は長所だったり、実はみんなが持ってなかったことだったりっていう場合がある。あと、相手のプレーの意図についてはなかなか考えないんですけど、そういうことを考え出すと、高1のときから少しずつコーチの方に認めてもらえ始めて、試合に出る機会を増やしていけました」。低く、速く、賢く。こうして東正さんは高校トップレベルの領域にたどり着いた。
高1でクリスマスボウル優勝、2年のときは全国8強で終わった。そして中学時代に続いてキャプテンとして最終学年を迎えた。春は関西大会の決勝で関西学院(兵庫)に1点差で負けた。卒業後すぐコーチをすることは、このときにほぼ決めたそうだ。「後輩にもうこんな思いをさせてはいけない」という思いを強く持ったというから、ただ者ではない。
監督「負けたら彼を日本一のキャプテンにできない」
昨年12月の関西大会決勝でクリスマスボウル進出を決めたあと、私は立宇治の木下裕介監督に東正キャプテンのチームにおける存在感について聞いた。「抜群のリーダーシップがあって精神的な支柱になってます。負けたら彼を日本一のキャプテンにできない、と思わせられるほど頼もしい存在です」。木下監督から選手への最大級の賛辞を聞いたのが初めてだったから、驚いたのをよく覚えている。
東正さんは去年の立宇治について、「3年に結構自由な子たちもいて、自由なヤツがいると楽しいんですけど、そういうヤツばっかりになるとまとまれない。一緒にふざけたら楽しいのは分かってても、ここはちょっと引き留めようみたいなことは多々ありました」と言って笑った。「でも最終的には一人ひとりがリーダーシップを持ってくれた。自分が暴走というか、ちょっと言い過ぎたりしたときには抑えてくれました。最後は3年生みんながリーダーとして活躍してくれて、チームを引っ張ってくれたと思います」
1年のクリスマスボウルは、さすがにプレー面では相手の上級生に圧倒されたシーンも多く、「個人としては負けた感覚が強かった」と話す。しかし3年のときはプレー面でも6年間で培ったものを示せて、「いい感じの日本一としてちゃんと終われた感覚でした」と振り返る。だから最後の試合のあとは大学でも選手を続けたい気持ちが沸き上がってきたそうだが、初志を貫いた。「コーチとして一回残って、1年やってまだ大学でプレーしたい気持ちがあれば、2回生から入部することも考えてます」
高2の秋シーズンに残した後悔
3年間で唯一クリスマスボウルに出られなかった高2の秋シーズンには心残りがある。「3年の先輩にはやっぱり強くは言えなかった」。3年生に変えてほしい、変わってほしいと思うことがあっても、自分の中にとどめていた。「僕が3年生に強く言って、チームが変わってたらどうなったかなというのは、いまでも考えます。僕が嫌われたとしても、高3のみんなが最後に笑顔で終われたのかなって」。やはり、ただ者ではない。
練習ではダミー役で入り、高校生の当たりを受けている。体重は少々減ったが、筋力トレーニングの数値は落ちてはいない。彼はどんな4years.を過ごすのだろうか。また一人、フットボール界にずっと見ていきたい人が増えた。