慶大・丸田湊斗(下)エンジョイ・ベースボールは「主体性と成長を愉しむ」野球と認識
昨夏の第105回全国高校野球選手権大会優勝に、俊足巧打の1番打者として貢献した慶應義塾大学の丸田湊斗(1年、慶應)。自分たちに対する注目の度合いが高まってきたのではと感じたのは、3回戦で優勝候補の一角と見られていた広陵高校に勝ったあたりだった。
「こうあるべきだ」という固定観念をなくしたい
「(春の)選抜の時から、勝児(清原)がいたのもあって、注目されている雰囲気はありましたが、メディアを含めた周りの目が明らかに変わってきたと」
野球以外のところでも注目を集めた。一つは髪形だ。慶應は以前から髪形が自由で、2018年に春夏連続で甲子園に出場した際も、丸刈りではなかった。当時はさほど話題になっていない。
2回戦で敗れた当時の成績を超え、多様性の時代を踏まえて「脱丸刈り」にする学校が少しずつ増えている中、そのシンボルとして見られたのだろう。慶應はこれをプラスにとらえていた。
「僕たちには『高校野球はこうあるべきだ』という固定概念をなくしたい、という考えがあり、丸刈りもその一つだったんです。髪形で野球をするわけではないと。そもそも野球は帽子をかぶるので、髪形はプレーに影響を及ぼしません。陸上競技なら、空気抵抗の部分で関係するかもしれませんが……」
一方で「長髪」と報じられたことには違和感を覚えたという。丸田は「耳にかぶってないですし、襟足も長くない。ごく一般的な髪形ですからね」と苦笑する。
「楽しむ」と「愉しむ」の違い
もう一つは「エンジョイ・ベースボール」という言葉である。昨夏の慶應高校の躍進によって、広く知れ渡ることになったが、もともと慶應義塾大学野球部では古くから使われている。慶大の監督を2期18年間務めた前田祐吉氏は、40年以上前に提唱していた。
丸田は甲子園期間中、「エンジョイ・ベースボール」についてもたびたび質問を受けたが、限られた取材時間では、なかなかうまく伝えられなかったという。「エンジョイという単語が独り歩きしている報道もありましたね。単純に野球を楽しむのがエンジョイ・ベースボールだと思われていると感じてました」
選手たちはピンチの場面でも心からの笑顔を見せた。これはメンタルトレーニングのたまものである。はじめは意識的に笑顔を作っていたが、次第にごく自然と白い歯がこぼれるようになった。
しかし、多くの人はこのプロセスを知らない。こうした選手たちのしぐさが「エンジョイ」というワードと重なり、誤解されたところもあったのかもしれない。
「エンジョイ・ベースボール」は、楽をして野球を楽しむことではない。それは大前提だが、解釈は選手によって多少異なるようだ。丸田は次のように考えている。
「漢字にすると(楽しく過ごすの)『楽しむ』ではなく、(自分自身の気持ちから生まれるたのしい状態という意味がある)『愉しむ』の方かと。指導者の強制や暴言がないなかで、自分たちで考えながら、練習を一生懸命にやる。時に仲間同士で強い言葉も出し合うが、主体性を、成長を愉しむ。それがエンジョイ・ベースボールだと思ってます」
「KEIOフィーバー」が最高潮に達した甲子園決勝
準々決勝で沖縄尚学を破ると、慶應への注目度はさらに増し、「KEIOフィーバー」が巻き起こった。そして選手のなかで、一番熱い視線を浴びたのが丸田だった。丸田は準々決勝までの3試合で13打数6安打と、トップバッターとして打線を牽引(けんいん)。あまり日焼けをしていないことから、いつしか「美白王子」と呼ばれるようになった。
「注目されているのはありがたいと思ってました。誰もが注目されるわけではないので、前向きにとらえてましたね」
準決勝で土浦日大に勝ち、決勝に進出すると「KEIOフィーバー」は最高潮に達した。相手は夏連覇に挑む仙台育英。高校野球ファンからすると、最高の舞台が整った。
春の選抜で敗れた相手だが、チームに「リベンジしたい」という感情はなかったという。「仙台育英に対する意識はありましたが、それよりも『あと一つで日本一』というのが大きかったですね。何かを取り返そうと思うと、それが空回りにつながることをチームとして共有してました。目の前の相手に向かっていく。その一心でした」
107年ぶりの優勝がかかる決勝で、丸田は大仕事をやってのけた。決勝では史上初となる初回先頭打者ホームラン。高校通算18本目、公式戦では初となる一発は、チームを勢いづける「序曲」となった。
「選抜で甲子園に来た時から、『ここでホームランを打てたら一生の宝物になる』と思ってました。決勝戦の後、(公式戦初本塁打を)ここまで取っておきました、と話しましたが(笑)、運を引き寄せられたのは、データ班が仙台育英の投手陣を徹底的に分析し、いろいろな情報をくれたからだと。感謝してます」
決勝戦にはアルプス席に収まらないほどの慶應関係者やOBらが駆けつけた。立錐(りっすい)の余地がない慶應側スタンドからは、東京六大学リーグでおなじみの応援曲が響き渡った。
「自慢できる應援指導部です」と丸田は言う。打席では集中していたため、熱い声援や吹奏楽団が奏でる音楽に神経が向くことはなかったが、走者の時は応援のリズムに合わせながら、ひざをたたいた。
「これはあえてやってました。相手からすると、余裕があるように映りますし、その方が不気味ですからね。全てを真剣に出し切っているチームよりも怖いと思います」
丸田は二回にも3点目となる適時打を飛ばし、五回には8点目となるホームを踏んだ。大会通算では22打数9安打4打点3盗塁。不動のトップバッターは、歴史的快挙の担い手となった。
「限界を決めないで、可能性を信じてほしい」
夏はうまくいき過ぎていた。そう気付いたのは、U18ワールドカップ高校日本代表に選出され、チームに合流してからだ。高いレベルの選手とともにプレーして、自分の「現在地」を知らされた。同時に負けじ魂にも火が付いたという。「大学で野球を続けるきっかけにもなりました」
慶大では入部早々に堀井哲也監督から、50m5秒8のスピードを買われ、早い段階でAチーム入り。春のリーグ戦では、180人近い男子部員がいる中で、開幕2試合目となる東京大学2回戦でベンチ入りを果たした。丸田はこの試合の八回に代打でデビューすると、よけたバットに当たった打球を足で内野安打にした。
初打席初安打と「持っている」ところを見せた丸田は、次のカードの法政大学2回戦で高校時代と同じ1番中堅で初スタメン。滑り出しは良かったが、6試合に出場して14打数4安打で終わった。「(内容が)ひどかったです。目に見えるところで貢献できず、チャンスをいただいたのに応えられませんでした」
それでも「最初にこういうふがいない、情けない思いができたのは大きい」と、春の経験を前向きに受け止めており、これを糧に、改善に取り組んでいる。
今年もまた「甲子園の季節」がやって来た。丸田は「短い期間でも大きく成長できるのが高校野球。自分で限界を決めないで、自分の可能性を信じてほしいです」と、甲子園で戦う球児たちにエールを送る。
自ら実践したからこそのエールだ。丸田は3年春までは無名の選手の一人だったが、ひと夏で大きく飛躍し、一気にスターダムへと駆け上がっていった。
丸田の可能性への挑戦はいまも続いている。胸に深く刻んだ決意もある。
夏の甲子園で優勝した日を人生最良の日にはしない――。