陸上・駅伝

特集:第93回日本学生陸上競技対校選手権大会

東洋大・重谷大樹 一時は「頑張り方を忘れた」、再起のきっかけとなった高校での合宿

つらい時期を乗り越え、ラストイヤーを迎えた重谷(撮影・井上翔太)

中学時代は陸上部がなかったにもかかわらず200mで全国優勝を成し遂げ、一躍脚光を浴びた東洋大学の重谷大樹(4年、九産大九産)。高校時代も実績を重ねていったが、大学進学後は苦しんだ。うまくいかない時に救ってくれたのは「お前をオリンピックに行かせる」と指導してくれた高校時代の恩師だった。

1人で強くなった中学時代、恩師との出会い

福岡県出身の重谷は中学1年生で陸上を始めた。体育の先生に誘われ、小郡市の陸上大会に出たことがきっかけだった。「大会に出たら勝っちゃって、『勝ったしやってみるか』って」

ただ、重谷が通っていた三国中学校には陸上部がなかった。3月中旬から5月ごろまでは特別に編成された陸上部の練習があったものの、それ以外の期間は、近所の公園や坂を1人で走っていたという。「1週間で毎日走るときもあれば、全く走らないときもあった。練習って言っていいかわからないくらいで。体の成長だけで走ってました」。今では笑って振り返りつつ、確かな力をつけていった。

才能はすぐに花開いた。中学3年時には、ジュニアオリンピックの男子200mで優勝。自力で全国トップにまで上りつめた。

九産大九産に進んだのは中学時代、先生から紹介されて高校の練習に参加したことが大きなきっかけだ。そこで陸上部顧問の石塚英樹先生と出会った。「お前をオリンピックに行かせるための練習をする」と言われ、「この先生と一緒にやりたい」と思ったことが決め手となった。

石塚先生のもと、高校1年目は「爆発的に記録が伸びた」 と言う。U18日本選手権の200mで、当時の高1歴代5位の記録となる21秒23をたたき出して優勝。2年目はけがに苦しんだものの、3年の全国高校陸上では100mで10秒54、200mで21秒02と、ともに自己ベストを更新した。100mは2位、200mは3位と両種目で表彰台にのぼり、存在感を示した。

中高と世代トップで活躍。3年の全国高校陸上では2種目で表彰台にのぼった(左から3番目、本人提供)

けがが相次ぎ「自分の律し方を忘れた」

高校で輝かしい実績を残し、重谷は東洋大に進んだ。選んだ理由は「直感」だという。1年目から関東インカレに出場し、男子1部200mの準決勝で20秒85の自己ベストをマーク。決勝にも進み、順調な滑り出しに思われたが、その後の秋シーズンはけがに悩まされた。

2、3年生になっても好調ぶりを感じた矢先のけがが相次ぎ、次第にやる気が失われていった。特に3年目は「『今年こそいける!』って思っていたところで、またけがをして。そこで頑張り方を忘れたというか、自分の律し方を忘れた感じがありました」。体ができるようになっても、心がついてこない。今振り返っても、一番つらい時期だった。「練習をやりたいけど、できなくて帰っちゃうみたいな。情けなくて、22年っていう短い人生の中で、一番無駄にした1年だったなって思います」

そんな時期を乗り越えさせてくれたのは、高校時代の恩師の言葉だった。

2、3年目はけがや気持ちのコントロールに苦しんだ(左から2番目、本人提供)

「あの3年間が石塚先生、一番楽しそうやったぞ」

「高校の顧問に言われたことを思い出して、『やんなきゃダメだ』って」。3年生の冬季練習に入り、石塚先生からもらった言葉が重谷を突き動かした。「『ちゃんとやる』ってことを教わったんです。人によっていろんな意味があると思うんですけど」。重谷の場合は、最後まで走り切る。補強もしっかりやる。一つひとつの練習に向き合い、重ねることで、次第にけがに耐えられる体ができていった。

年末、高校の合宿に参加したことで、さらにその気持ちが加速した。「当時見てくれていた先生に『(重谷がいた)あの3年間が石塚先生、一番楽しそうやったぞ』って言われて。『どうやって練習させるか考えて、一番大変だったけど、一番楽しそうだった』っていう話を聞いて。こんなんじゃ、やっぱ終われないなって」

重谷は恩師から自分に向けられた思いを知ると同時に、かつて言われた「お前をオリンピックに行かせるための練習をする」という言葉を思い出した。世界へ向けて育ててくれた恩師のため、重谷はもう一度、心を奮い立たせた。

後悔ばかりで終わらないようにしたい

その後に積み重ねた練習は、ウソをつかなかった。4年生になると、春先に200mで20秒76を出し、自己ベストを更新。9月上旬には4×100mリレーで1走を務め、東洋大新記録を出した。

今年は日本選手権200mにも出場。順調なシーズンを送っている(本人提供)

最終4年目にして、ようやく思い通りの結果がついてくるようになった重谷。「いい状態で走れている」と手応えをつかんだまま迎える最後のインカレは、「ワクワクするし、不安もある。いろんな感情が混ざって……。どうなるかわからないですけど、最低個人でメダルを取って、リレーで金を取って、チームに貢献したいなって思います」と意気込んでいる。

「インカレがどんな結果でも、この4年間に後悔はすると思う。だけど、いい締めくくりをして、後悔ばかりで終わらないようにしたいです」。苦しんだ時間が長かった分、「今」にかける思いは強い。4年分の思いを乗せ、最後のインカレを 駆け抜けた先で、心からの笑顔を見たい。

4年生チームでマイルリレーを走った重谷。最後のインカレで大輪の花を咲かせてほしい(東洋大学スポーツ新聞編集部)

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