東洋大学が箱根駅伝19年連続シード権 松山和希が「3位取ろう」と目標掲げ鉄紺再建
第100回箱根駅伝
1月2・3日@東京・大手町~箱根・芦ノ湖間往復の217.1km
総合優勝 青山学院大 10時間41分25秒(大会新)
2位 駒澤大 10時間48分00秒
3位 城西大 10時間52分26秒
4位 東洋大 10時間52分47秒
5位 國學院大 10時間55分27秒
6位 法政大 10時間56分35秒
7位 早稲田大 10時間56分40秒
8位 創価大 10時間57分21秒
9位 帝京大 10時間59分22秒
10位 大東文化大 11時間00分42秒
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11位 東海大 11時間01分52秒
1月2、3日の第100回箱根駅伝で東洋大学が4位に入り、継続中としては最長を更新する19年連続シード権を獲得した。今季は出雲駅伝、全日本大学駅伝ともに苦戦を強いられてきたが、最後の箱根にしっかりと照準を合わせてきた。エースで駅伝シーズンから主将を務める松山和希(4年、学法石川)は「自分が『3位を取ろう』という目標を立てて、そこにみんなが付いてきてくれた」とチームメートに感謝した。
2区の梅崎蓮が順位を八つ上げる好走
1区の九嶋恵舜(4年、小林)は5位集団の中でレースを進め、トップの駒澤大学・篠原倖太朗(3年、富里)と1分6秒差の区間15位だったが、酒井俊幸監督は「2区が走りやすいところでつないでくれたと思います」と評価した。2区は当初、松山を起用する考えもあったが、実際に託されたのは5月の関東インカレ男子1部ハーフマラソン3位など、今季結果を残してきた梅崎蓮(3年、宇和島東)。酒井監督は起用の意図をこう明かした。
「梅崎はチームでも一番スタミナに自信のある選手。昨年2月の熊日30kmロードレースは学生トップで走っていますし、延岡西日本マラソンにも出場予定なので、そういった意味では松山よりスタミナ面は上だなと」。梅崎は監督の期待に、しっかりと応えた。
スタート直後、梅崎は体力を温存しながら「他のチームの誰かと一緒に前を追いたかった」。ただその候補の一人で、自身よりも5秒早くスタートした法政大学の松永伶(4年、専大松戸)がぐんぐんと加速。後ろから来た選手に付いていく形となり「後半の権太坂までは力を使わないように意識していました」。この戦略がはまり、順位を八つ上げて7位で3区の小林亮太(3年、豊川)に襷(たすき)をつないだ。
酒井俊幸監督「ようやく役者がそろった」
1、2年時に2区を任された松山が今回出走したのは4区だった。「もともとセンスはあるけど、9、10月に継続したトレーニングができなかった。ただ、上りが強い選手なので4区で」と酒井監督。松山も期待通りの走りを披露した。
5位で襷を受けた後は、日本大学をかわして國學院大學の辻原輝(1年、藤沢翔陵)と並走。一緒に前を行く城西大学の山中秀真(4年、四日市工)を追った。1時間1分37秒で順位を一つ上げて、区間2位。「小学生の頃からずっとここをめざして陸上をやってきた。100回大会という運命にも恵まれてうれしかったです」と最後の箱根路を振り返った。
山登りの5区は緒方澪那斗(2年、市立船橋)が順位をキープ。4位で往路を終え、酒井監督は「2区の梅崎と4区の松山が当たったかなと思います。強いて言えば松山には区間賞を取ってほしかったですけど。九嶋、松山と全日本に起用できなかった子たちが戻ってきて、ようやく役者がそろった」と手応えを感じていた。
3位猛追の岸本遼太郎が区間賞を獲得
大会前に掲げた「総合3位」とは3分49秒差で復路がスタート。この時点でシード圏外の11位とは5分近くの差があったとはいえ、「一つ、二つブレーキすれば、あっという間に落ちてしまう」(酒井監督)とチームが緩むことはなかった。
2年連続で6区の山下りを任された西村真周(2年、自由ケ丘)は、昨年よりも1分以上速いタイムで区間8位の好走を見せ、7区の熊﨑貴哉(4年、高山西)へ。単独走となった熊﨑と8区の村上太一(4年、北見緑陵)はいずれも区間2桁順位で苦しい走りとなったものの、9区の吉田周(3年、広島国際学院)が区間2位、最終10区の岸本遼太郎(2年、高知農)は区間賞の走りで、3位の城西大学を猛追。目標順位にあと21秒差まで迫った。
「何位をめざすんだ」「3位を取りたい」
今季の東洋大は昨年10月の出雲で8位、翌11月の全日本は14位に終わり、苦しいシーズンを送ってきた。このままでは箱根駅伝でのシード権獲得は危ういという見方もあったが、酒井監督は「まだまだ発展途上のチーム。三つともベストを狙えるほどの戦術を組める選手層ではないので、箱根駅伝を見据えてという形でやってきました」と語る。箱根で総合3位をめざすこととなった経緯は、松山が教えてくれた。
「12月に入ったぐらいのとき、監督を含めてのミーティングで『何位をめざすんだ』と聞かれたんです。その際、東洋の再建を掲げたからには『3位を取りたい』という話をしました。『じゃあそこをめざすチーム作りをしていこう』ということで、最終的にチームがまとまりました」
そのためにはまず練習を積む上で、スタッフ陣との信頼関係を再構築する必要があった、と松山は振り返る。「まだ結果も出ていないのに不満が出てしまうというか……。そういうところもありました。『かなり基本的なところから抜け落ちているんじゃないか』という意見も出ていたので、4年生が主体的に動いて最初から積み上げていこうと」
新チーム結成直後、主将に就任したのは佐藤真優(まひろ、4年、東洋大牛久)だった。しかし「大人数の部活でもあるので『佐藤1人だけに任せるのではなく、4年生全員が主体となっていこう』となったとき、駅伝でエースと言われる自分が主将として佐藤をサポートして、一緒にやっていく形が大事だと思ったんです」と松山。夏合宿が終わりに差し掛かっている秋口、主将に就任。19年連続となるシード権獲得の背景には、言葉でも走りでもチームを引っ張るエースの強い覚悟があった。