陸上・駅伝

立命館大・工藤芽衣 追い続けた「マイルリレーで日本一」ラストイヤーで果たした二冠

日本インカレ女子400mハードルで力走する立命館大の工藤芽衣(撮影・立命スポーツ編集局)

10月6日、東京・国立競技場で開催された第108回日本選手権リレーの女子4×400mリレー(マイルリレー)決勝で、立命館大学が9月に行われた日本インカレとの二冠を達成した。優勝タイムの3分36秒64は学生歴代3位、関西学生記録を更新する好記録だった。

ともに2走を務め、優勝に貢献したのが副主将の工藤芽衣(4年、咲くやこの花)だ。工藤は1、2回生時の日本インカレと2回生時の日本選手権でもマイルリレーで優勝を経験。4年間で5度の日本一を果たした。近年の強い立命館を引っ張ってきた選手だが、ラストシーズンはケガに苦しみ、最後の関西インカレも走れなかった。それだけに誰よりも強く「マイルリレーで日本一」という目標を追い続けてきた。

日本インカレの女子マイルリレーを2年ぶりに制し、笑顔で記念撮影(撮影・藤井みさ)

4種競技から、高校で400mハードルに転向

工藤が陸上競技を始めたのは中学のとき。両親が陸上部だったこともあり、小学生の頃から興味があった。「やるからには強豪校でやりたい」と全国常連の咲くやこの花中学校を受験。彼女の陸上人生がスタートした。

当時から全国の舞台で活躍し、中3時の全日本中学選手権では4×100mリレーで4位入賞、個人としては4種競技で5位入賞を果たした。ただ、高校では400mハードルに転向。中学1年時、顧問の先生から「高校でヨンパーやったらいいやん」と声をかけられたことがきっかけだと言う。「『なんで4種競技続けんかったん?』って結構色んな人から言われたんですけど、なぜか自分の中でヨンパーをするっていうのが明確にありました」

顧問の先生の目は間違っていなかった。高校1年時から才能が開花し「3回目の試合でアンダー18の標準記録が切れたんです。結構早い段階から全国大会に出られて、『いけるやん』って思いました」と工藤は振り返る。

立命館大学でも実力を発揮した。1回生時の日本インカレでいきなり入賞。「当時はあまり自分がすごいと思ってへんかったんですけど、今振り返ってれば1回生であそこまで走れてたのは、すごいなあと思いますね」

工藤は1回生のころから活躍してきた(撮影・立命スポーツ編集局)

日本選手権では2回生時に8位入賞、3回生時に5位入賞と結果を残してきた。大学ラストシーズンは、どのような活躍が見られるのか、期待が膨らんだ。

しかし、シーズンインに工藤の姿はなかった。

左足の大ケガ、手術と懸命なリハビリで早期復帰

1月に左くるぶしの骨折と靭帯(じんたい)断裂の大ケガを負った。3月上旬まで松葉杖で過ごし、手術も受けた。「歩けないケガなんて初めてで……。人生で骨折したことがなかったし、部の練習を1週間以上休んだことがなかったので、『何をしたらいいんか』とか『走れるようになるんか』って思っていました」。最初は病院で「競技復帰には1年かかる」と伝えられたが、手術と懸命なリハビリが功を奏し、3月末にはジョグができるまでに回復。「もちろん最初は落ち込みましたけど、起きちゃったことはどうしようもできひんから、復帰するにはどうしたらいいんか考えようと思って。ケガの期間はひたすら上半身を鍛えていました」

大学ラストイヤーはケガからのスタート、見事に復活してきた(撮影・井上翔太)

関西インカレは走れないと分かり、6月の日本選手権に出場することを第一目標とした。「日本選手権から逆算して、急ピッチで仕上げました。何試合か出たかったんですけど、日本選手権がほぼ初戦になってしまって、ギリギリ間に合った、試合に出られるレベルに何とか持っていったという感じでした」

最後の日本インカレは400mハードルとマイルリレーに出場することになった。日本選手権後もなかなか本来の走りが戻らなかったが、8月に入って調子を上げ、9月初めの校内戦で出場権を勝ち取った。「立命はヨンパーもマイルも激戦区やったんですけど、走らせてもらうことなって、走れない子たちも多くいる中で頑張らないといけないなと思いました」と工藤は語る。

涙があふれた日本インカレでの優勝

迎えた日本インカレ。個人種目の400mハードルでは惜しくも9位で決勝進出を逃したが、「2年、3年と思うような結果が残せなかったことと比べると、ケガがあった中でギリギリ決勝に残るか残らないかというところまで戦えて良かったかな」と表情は暗くなかった。

最終日に残るレースはマイルリレー決勝のみ。2年ぶりの王座に向けて気持ちを高めた。工藤は日本インカレのマイルリレーに4年連続で出走しているが、前回は5位に終わり、悔しさを味わった。マイルリレーにかける思いが人一倍強く「絶対に日本一をとって恩返ししたい。『芽衣さんに走ってもらってよかった』と言ってもらえる走りがしたい」という覚悟を持っていた。

日本インカレ女子マイルリレー決勝、2走を務めた工藤(撮影・藤井みさ)

レースは1走の児島柚月(2年、市立西京)が序盤から攻めた走りを見せ、トップで工藤にバトンパス。工藤は100m手前で早稲田大学に先頭を譲ったが、オープンレーンになると、後ろにぴったりとつけて離されなかった。最後の直線で抜き返し、差を広げて3走の山本亜美(4年、京都橘)につないだ。山本はぐんぐん加速し、2位との差を離していく。アンカーのルーキー瀧野未来(1年、京都橘)が差を守り、歓喜のフィニッシュを果たした。

工藤は試合後「シンプルに一番はうれしい。実は当日走れるか分からない状況やったんですけど、その中で信じてもらってうれしかったですし、日本一になれて本当に良かったです」と感無量の様子だった。レース後、2年前の優勝時とは異なり、涙があふれた。「ケガもあったし、集大成ということでうれしさは格別でした。普段泣かないマネージャーの子が大号泣してて、本当に勝ててよかったなあと思いました」

「当日走れるか分からない状況」を乗り越え、優勝に貢献(撮影・立命スポーツ編集局)

ライバルに競り勝った「人生最後のマイル」

歓喜から2週間後、二冠をかけて日本選手権リレーに出場した。日本インカレで決勝進出を逃した園田学園女子大学がライバルに挙げられ、立命館は1走に山本、2走に工藤、3走に瀧野、4走に児島とオーダーを替えて挑んだ。

山本と工藤が園田学園女子大とのトップ争いを繰り広げ、ほぼ同時に3走へ。瀧野がバックストレートで先頭に立ち、児島にバトンをつないだ。園田学園女子大のエース安達茉鈴(4年、京都橘)に後ろにつかれたが、児島はラスト100mで得意のスパート。差を広げて優勝を決めた。

工藤は二冠達成に「私自身、人生最後のマイルやったんで、そのレースで悔いのないレースができて本当に良かった。立命に来た大きな理由が『マイルで日本一になること』だったので、最高の集大成になりました」と笑顔を爆発させた。歴史に残る記録を作ったことには「優勝することだけを目指していたので、インタビューで記者さんに言われるまで(関西学生新に)みんな気付いていなかったんです(笑)。『メダルが欲しい』ばっかり頭にあったんで、記録より結果でしたね」と笑った。

日本選手権リレーも制し、山本と笑顔でパシャリ(撮影・立命スポーツ編集局)

1回生の時から立命館の主力として走ってきた工藤。「陸上は大学で引退します。高校3年生の時にコロナがはやった学年だったので、男女合わせて同期が30人くらいと圧倒的に少なかったですが、その分結束力が高くて、仲の良い学年で楽しかった。ケガもありましたが、最後の最後に優勝できて、最高の4年間でした」と振り返った。

工藤が示してきた立命館の強さ。この4年間を糧に、新たな舞台でこれからも走り続ける。

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