ラグビー

特集:縦と横のコントラスト 第100回早明戦

早大・大田尾監督、明大・神鳥監督に聞く(上) 100回を迎える早明戦の歴史と意義

早稲田大学・大田尾竜彦監督(左)、明治大学・神鳥裕之監督(インタビュー写真は撮影・西田哲)

第100回のラグビー早明戦が、12月1日に国立競技場で開催されます。1923年に始まって以来、戦争を挟み、時代も大きく変わる中、脈々と大学ラグビーの大一番として注目を集めてきました。今年も優勝の行方が決まる試合となっています。この節目の1戦を前に、早稲田大学・大田尾竜彦監督、明治大学・神鳥裕之監督に、これまでの早明戦の思い出、日本ラグビー界に果たしてきた役割などをうかがいました。2回に渡りお届けします。(なお、お二人に同じ質問をして対談形式でまとめていますが、インタビューは別の日に分けて行いました)

縦と横のコントラスト 第100回早明戦

明治「最低でも五分に」 早稲田「先輩が重ねた重み」

―過去99回の対戦成績は、早稲田55勝、明治42勝、2引き分けです。99回積み重ねてきた重みと、この対戦成績をどう感じますか?

神鳥 明治も去年100周年を迎えて改めて歴史の重みっていうのを感じたんですけれども、やっぱり早稲田さんは我々が産声を上げたときにはもう既にラグビーのチームとしてスタートしていた。そういう歴史を考えると、我々が追いかける形はさほど驚きはないです。ただ、改めてこの両校の数字を見ると、先輩の方々の積みあげがあっての今かな、というように実感するところです。

―北島忠治監督が存命だったとき、「私の目の黒いうちに勝ち越したい」っておっしゃっていました。

そうですね、やっぱり最低でも五分ぐらいに持っていきたいっていう思いがありますよね。今の学生たちは目の前の試合をしっかりと戦って、いつしか肩を並べるというところまでは持って行ってほしいと思います。

対戦成績について「最低でも五分ぐらいに持っていきたい」と神鳥監督

大田尾 僕もこの対戦成績を初めて見たときに、この早明戦という試合の持つ意味がここにあるのではないかと思って。ほぼ100回やってほぼ互角ですよね。どっちが勝つかわからないということを100回積み重ねてきたことが、まさにこの試合の注目度を高くしてきたのだと感じました。これは先輩たちが作ってきたものなので、重みとして非常に受け止めないといけないし、この100回の名に恥じない早稲田でないといけないと、今年本当に強く思いますね。

―互角とおっしゃいますが若干勝ち越しているという、ここの部分についてはいかがでしょうか?

どっちが勝つかわからない、明治の圧力に早稲田がどれだけ耐えられるか、という基本的な構図でこの伝統は積み重ねられてきたと思うので、早稲田が若干勝っているというのは確かにそうかもしれませんけども、やはりここ100年100回重ねた意味というのは、早稲田にしても明治さんにしても、やっぱり先輩たちが試合に懸けた思いがここにあるのかなと思います。

ラグビーの認知、一般への接点として大きな役割

―早明戦が日本のラグビー界に果たしてきた役割を、どう捉えますか?

大田尾 対抗戦の一つである早明戦を、NHKが全国放送されてきたということは、ラグビーの全国的な認知という意味ではすごく大きな役割を果たしていると思いますね。実際私も早明戦は比較的簡単にテレビで見られるということで(見てきた)。日本の大学生のトップレベルのラグビーに触れることができる機会として、ラグビー界にとってすごく意味のあるものかなと思いますね。

大田尾監督はNHKの全国放送について「ラグビーの全国的な認知に大きな役割」

神鳥 全国放送があって国立競技場がいっぱいになるスポーツって他にはない。そこに見に来られた学生や観戦する人たちが将来「行ったことがある」とか「見たことがある」とか、潜在的なラグビーの観戦経験者(になった)って人が実は物すごくいるんじゃないかと思うんです。なので、対抗戦という意味合いを超越した、応援する時の一体感とか、学生時代の思い出とか、下馬評通りに行かない熱い試合を見て一生の思い出にするとか、ラグビーという競技面以外の部分でも、いろんな役割を果たしていると思います。

下馬評通りにならぬ、最後までわからない試合

―「雪の早明戦」など名勝負は数多いですが、お二人が最も印象に残っている試合は?

神鳥 難しいなあ。早明戦って、最後の最後まで結果が分からない。自分がプレーしてたってこともあるんですけど、大学3年生の時の早明戦(1995年度)がすごく印象深いです。ラストワンプレーまで勝ってて、しかも相手陣の22mまで押し込んで、そこでマイボールでキープしてたんですけれど、一つのノックオンで、そこからボールつながれてトライまで持っていかれて逆転されて終わった。もう勝ったと思いますよね、このシチュエーション考えたら。

自分自身経験したっていうか、足が止まったんですよね。明治がノックオンして、スクラムになるだろうと思って足止まったら、そのボールを早稲田はパッと拾って、アドバンテージ切らずにボールつなげてトライしていく力が向こうはあった。何が起こるかわからないという経験をした。我々も最後まで攻めましたし、で攻めた結果ノックオンしたボールをそのまま拾われて…。

―あっぱれという感じですか?

悔しかったですね。敵をたたえるほどまだ大人じゃなかったです(笑)。ぼうぜんとしてたのは思い出しますね。試合のときは何が起きたか分からなかった。

大田尾 雪の早明戦も印象に残っていますが、僕が大学1年生の時(2000年)の4年生の試合が、非常に印象に残っています。その年帝京にも慶応にも負けて下馬評は明治の方が圧倒的に有利と言われている中で、やっぱりその試合に懸ける4年生たちの意気込みを目の当たりにした(46-38で早稲田の勝利)。僕は早稲田1年目で「これが早稲田の力なんだな」と感じたのは非常に印象深いですよね。

―大田尾監督もやはり出場した試合を挙げられたということですね。早明戦は下馬評がどうであっても結構接戦になるというのは、互いに他の試合とはちょっと違うわけでしょうか。

やっぱり集中力を作りやすいですよね。監督をしていて思いますが、波がある中で、ピークを持って来やすい、分かりやすいところがあると思います。なので、その時々の下馬評があるのでしょうが、接戦を演じてきたっていうのは、やはり昔も変わらないのではないかと思います。

2004年1月の大学選手権決勝でフィフティーンに声をかける早大の大田尾主将(左端)

「タテの明治、ヨコの早稲田」今も残るDNA

―長年、「タテの明治、ヨコの早稲田」と言われ、その対称性がファンを魅了してきました。現在は昔よりカラーが薄まってきているかもしれませんが、タテとヨコへの思い・こだわりをお聞かせ下さい。

大田尾 うちは明治のタテの圧力にどれだけ対抗するかというところが、ディフェンス面ではすごくあるので、そこの対抗心はありますよね。で、ヨコの早稲田というところで言うと、ボールを動かしてスコアするというDNAは今もありますので。全体的な絵として、スクラムとかモールとか分かりやすいところにタテとヨコが集約されているのかなと思う。なかなかね、ラグビーが少し変わってはいるものの、タテの圧力は明治さんは素晴らしいものがあるし、早稲田としては展開力で負けられないという思いは今もあります。

神鳥 シンプルに明治の「重戦者FW」と言われている迫力、躊躇(ちゅうちょ)せず一歩でも前に進むラグビーは長く愛されてきてますし、ここは失わずに継承していく使命があると思っています。とはいえ現代ラグビーって、あらゆる面において情報がすごくオープンになって、強化手法やフォーカスするポイントはどこも似通ってくる。そこにどうやって色を出すか。現代ラグビーにコミットした新しい戦術や新しい能力を取り込みながら、進化していきたい。

昔は本当に色が濃かった。スクラムでは早稲田は必死になってボールを出して、で展開したら(今度は)明治がついていけない、みたいな。見てる人はコントラストが付いて面白かったと思うんですけども、今はディフェンス力が物すごく向上しました。相手にスペースを与えないシステム。今はボールキャリアに余裕が無くなっているので、そういう部分で圧倒的な破壊力を見せるのはどんどん難しくなってきている。

北島監督は「言葉の重み・存在感がすごかった」

―明治といえば、67年間指揮を執った北島忠治監督。神鳥監督は北島監督の教えを受けた最終盤の世代ですが、最も心に残っていることは?

神鳥 我々が4年生の時に亡くなりました。だから我々のとき黒襟で戦ったんですよね。指導はほとんど受けてないんです。大学2年生の時に倒れられたので、そこから2年近くずっと療養されてて、グラウンド戻ってこられることなく、亡くなられたんで。ただ2年生の途中ぐらいまではグラウンドに来られる姿っていうのは見てる。

諸先輩方から北島先生の話いっぱい聞くんですよ。いきなり(選手を)集めて「試合するぞ」とか「今から出たいやつ手あげろ」とか。(僕のときは)そういうのは無かったんですけど。だけどやっぱり言葉の重みはありましたよね。声かけられるとぱっとなるっていうか。存在感がすごくありました。はい。

クラブハウスの応接室には、北島忠治監督の肖像が掲げられている

清宮監督は「個々の選手を生かす、見極める力」

―早稲田は大西鐡之祐監督、日比野弘監督、宿沢広朗監督と多くの名将がいらっしゃいます。大田尾監督の現役時代は清宮克幸監督ですが、最も心に残っている教えは?

大田尾 選手を見極めるというか、自分たち独自の評価基準というか。身長が高くて、足が早くて、体が大きくて、バランスがいい選手が良しとされると思うんですけど、そうじゃなくて「自分たちのラグビーをやるには、たとえ身長が低くて足が遅くてもこの選手だろう」とか。個々を生かすということになってくるんですけど、常に言われたのは、「強みと弱みをすぐ言語化できる状態というのが非常にいい状態で、そういう状態に常に自分を置いておくのが大事だ」と清宮さんから教えてもらったことが一番印象に残っています。

「明治の圧力がすごかった」「トライさせてくれない防御」

―お二人は選手としても早明戦に出場されています。出場したときの思い出をお聞かせ下さい。

大田尾 僕は2年生の時(2001年)も勝ったんですけど、2年生のときはギリギリまで負けていて、明治がインテンショナルのファウルみたいなのをインゴールでして、(次のキックオフのリスタートが早稲田のペナルティーキックからの再開となり)ラストワンプレーでそこから逆転した。その試合もかなり思い出深くて。清宮監督は1年目で早慶戦に30点差で勝ったりすごく破竹の勢いがあったチームだったんですけど、早明戦に関しては明治の圧力がすごかったという印象がすごくあります。

神鳥 4年間で早明戦は3回勝ってます。時代も良かったですね。明治と早稲田が常に大学優勝を争う時代で、早明戦イコール大学のナンバーワンナンバーツーを決めるっていう試合だったので。両校が強かったことで本当にいろんな人に見てもらえた時代だったなあと。

4年生の時は認定トライで勝ったんですよね。スコアさせてもらえなかったんですよ。ゴール前でゴリゴリとフォワードで何度も何度もしかけるんですけど、必死になってタックルされて反則覚悟でバンバン止めに来て、結局グラウンディングトライができなかった。で最後認定トライで勝負が決まったのはすごく覚えてますね。もうトライさせてくれないぐらいしつこいチームだったっていう印象があります。

20~30年で大きく変わったトレーニング法・戦術

―お二人が現役だった頃と現在の違いは。ラグビーの戦術、選手の気質、ラグビーを取り巻く環境などなんでも。

神鳥 それはすごく感じます。私で30年ぐらい学生と年代違いますから。まず体作りや準備のところ。練習終わった後の身体のケアとか、食べるもの、ウェートトレーニングの仕方、回数、練習時間、どれを取っても、競技に向き合う時間と割合が、我々の頃よりも格段に上がっている。

体つきも我々のころとは全然違って、食べ物もすごく気を使ってるでしょうし。そういう選手たちがラグビーをしているわけなので、当然競技力も上がってきますよね。ラグビーそのものが、2015年の日本代表の成功によって、学生選手たちもいずれは日本代表やプロでやりたいっていう選手たちも増えてきて、そういった意識の違いっていうのはあると思います。

(戦術も)変わりました。アタックであれば、グループでしっかりとボールを動かす。ディフェンスのシステムのレベルも上がって、戦術は日々アップデートされている。なので選手も戦術の理解力が求められてきてます。「体を大きくしてりゃあいい」「プロップは飯食ってスクラム組んでりゃいいんだ」って言われた時代とは違う。どのポジションにおいても本当に色んなことが求められる時代です。

体の中に筋肉が詰まってるっていう感じの選手が増えてきました。プロテインは飲む時間まで指導されて。プロテイン自体の味もおいしくなってるんで、選手もどんどん飲みやすくなって。我々の時代はもうめちゃくちゃまずくって、買ったけどずっと飲まないでいてコーチに怒られるとか。どんどん選手が成長する手助け、環境、情報、選手のマインドも、全てかみ合いながら、競技性がすごく向上しています。

明治大学八幡山グラウンドに立つ神鳥監督

大田尾 今のラグビーはもう、鍛えられるところは全部鍛えるというか、アスリートとして極限まで追い込んでいるんじゃないかなと思うんですよね、大学生を。環境としては非常にプロに近いようなアプローチをして、選手を育ててるっていう印象がありますね。そこは大きく変わってるかなと思います。

ラグビー戦術に関しても、明治さんも、うちもそうですけど、リーグワン出身のコーチがいて、その時の最先端なものを入れているので、そこもかなり大きく違ってきてる。昔は主体性という自分たちで考えたものだったんですけど、今はやはり世界で流行しているものが自分たちにマッチすると思うと、それが入ってきますので、環境はどんどんプロ化してるかなと思いますね。

選手の気質に関しては、その時どきかな、と思う。学年によっても全然違います。例えば学生全員が答え待ちとか、全員が失敗するのを嫌う(気質)とかではない気がして、やはり個性がまだ生きているなと思います。その中でも、真面目な選手が増えたと思います。

【続きはこちら】早大・大田尾監督、明大・神鳥監督に聞く(下) お互いを「好敵手」と認めて100年
早稲田大学上井草グラウンドに立つ大田尾監督

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