中京大学・山田陽平 高校で「心」を、大学で「技」を学び、誰よりもバレーを楽しんだ
第77回全日本バレーボール大学男子選手権大会
11月26日@川崎市とどろきアリーナ(神奈川)
筑波大学 3-0 中京大学
(25-21.25-20.25-18)
身長で負けていたって、バレーボールを楽しむことでは絶対に負けない。中京大学の山田陽平(4年、福井工大福井)とマッチアップする筑波大学・牧大晃(3年、高松工芸)の身長差は34cm。小学2年でバレーボールを始めてから、何度も自分よりデカい相手に立ち向かってきた。むしろ小さいからダメだとか、弱いと言われるのが一番嫌。小さければ誰よりも跳べばいいし、そのために必死で跳べばいい。目の前にそびえ立つブロックも、「壁」ではなく利用できる道具だ。
だからこそ、ブロックだって負けてたまるか、とばかりに、体すべての力をジャンプにつなげるべく、両ひざを折って上体を深く沈みこませ、地面を蹴ってブロックに跳ぶ。だが、牧が放つスパイクは懸命に伸ばした手の上を越えていく。
「抜けたコースはレシーブしてつなぐ。そのための練習もずっと重ねてきて、うまくいったところもありました。でも牧選手の高さは、自分たちで想定していたよりもずっと上だった。最後の最後で、一番デカい相手にやられました」
想像以上だった、と苦笑いを浮かべながらも、山田の表情はすがすがしかった。
第1セットの序盤から、練習の成果を発揮
関東大学秋季リーグ8位、東日本インカレ3位の筑波大と、東海大学秋季リーグ準優勝、西日本インカレ3位の中京大が初戦からぶつかる。トーナメントでシーズン最後の公式戦。4年生にとって最後の「負けたら終わり」の大会は、初戦から大一番がやってきた。強打と堅守を誇る東の雄に対抗すべく、ブロックとレシーブの連係を密に図り、レシーブしたボールをスパイクにつなげるまでの2本目の精度。数字には残らないプレーもおろそかにしないようにと練習を重ねてきた。
その成果は、第1セットの序盤から発揮された。まずサーブで崩し、攻撃を単調にしたところへブロックがつき、抜けたコースはレシーブで着実に拾う。つないだボールはアウトサイドヒッターの山田と泉田丈琉(2年、福井工大福井)、オポジットの平野千尋(4年、瀬戸内)が決める。リベロの永田来(4年、福井工大福井)と山田がサーブレシーブの軸となり、セッターの髙橋優斗(3年、日南振徳)を起点にミドルブロッカーの澤口巧(4年、北海道科大高)、酒井優誠(3年、福井工大福井)を絡めた多彩な攻撃を展開。11-16と先行されてからも、連続得点で17-16と逆転した。
さらに得点すれば、一気に畳みかけることができる。平野のサーブが続く中、次の1点が大事なポイントになると必死で食らいつくのは筑波大も同じ。強打の応酬も好レシーブでつなぎ、ロングラリーが展開される中、後衛から山田もバックアタックを呼び、助走に入る。ドンピシャのタイミングで打てれば相手の虚を突く攻撃ではあったが、わずかにタイミングが合わず、ロングラリーの最後は筑波大の亀岡聖成(1年、駿台学園)が決めた。
「あの1本はめちゃくちゃ大事な1本だったので決めたかった。キャプテンとして、自分が引っ張るどころかミスしてしまったのが悔しいし、申し訳なかったです」
21-25で第1セットを制した筑波大が第2セットは20-25、第3セットも18-25で制し、中京大は惜しくも初戦敗退となった。「今日の自分に点数をつけるなら30点か40点。キャプテンとして本当にふがいないです」
「ぜいたくな学生生活でした」
中学3年時に福井選抜として全国大会に出場した仲間と、福井工大福井高校へ。今春の春高バレーで準優勝という成績が証明するように、紛れもなく全国で強豪と呼ばれるチームの一つだ。練習は厳しかったが、どんな状況でも点を取るために、スパイクはしっかりたたくこと。そして「心技体」と言われるように、技や体よりまずは「心」を大事にすることを学んだ。
「西田(靖宏)先生からは『どんな時も強い気持ち、心を持って戦うことが大事だ』と教えられてきました。僕は技もないし、パワーも高さもない。でも気持ちでは絶対負けたくないと思ったし、何より、どんな時、どんな相手と戦う時でもバレーボールを楽しむことは絶対に負けたくないと思い続けてきました」
高校時代の仲間の多くと中京大へ進学し、大学4年間もともに過ごした。高校時代の西田監督が「心」を教えてくれる人ならば、中京大の青山繁監督は山田いわく「まさに〝技〟の人」。練習でも手本として見せるレシーブは誰よりもうまい。スパイクのコースや相手との駆け引きと、指示されることは的確だが、「こうしろああしろ」とはめこむのではなく、自主性を重んじるスタイルが山田自身にも合っていたと振り返る。
「うまくいかなくてもフォームを矯正するのではなく、一人ひとりの個性に合わせて細かく教えてくれる。大きいチームじゃないですけど、個の力を最大限に生かしてくれる青さんのおかげで、小さい僕らでも大きくバレーボールができました」
現役時代に日本代表としてバルセロナ・オリンピックに出場した青山監督だけでなく、高校時代の師である西田監督もVリーグのNTT西日本やサントリーに在籍した経験を持つ。
「すごい選手だった人に指導者として出会えて、いろんなことを教えてもらえた。ぜいたくな学生生活でした」
プレーでも、それ以外でも支えてくれる仲間がいた
高校3年時はコロナ禍で、インターハイや国体など、春高以外はほぼすべての大会が中止になった。子どもの頃から憧れた「(福井工大)福井高校で勝ちたい」という夢も、一時は大会すらできないまま終えるのではないかと思うこともあった。
無観客開催の春高を経て、大学に入ってからも多くの制限が設けられる中での大会や学生生活が続いた。振り返れば苦しいことも多かったが、最後のインカレを終えて、浮かぶのはやはり感謝しかない、とかみ締める。
「僕はキャプテンに見合うような性格じゃないことは、自分でも自覚していて。でもそんな僕でも一緒についてきてくれて、プレーでも、プレー以外でも支えてくれる仲間がいた。4年間本当に楽しかったし、中京大でバレーができてよかったです」
できることならもっと長く、この仲間と戦いたかった。それがかなわないのは悔しいが、胸を張って言えることもある。
「誰よりもバレーボールを楽しんだ。それだけは、自信を持って言い切れます」
コートで見せた笑顔が、何よりの証拠だ。