明治大学・丹羽政彦元監督 100回積み重ねた早明戦 その重みにふさわしいプレーを
明治大学ラグビー部と言えば「前へ」。今でも精神的支柱となっているこの言葉を残した北島忠治監督が1996年まで67年間、指揮官を務めた。その北島監督に選手時代に直接薫陶を受け、2013年から17年までの5年間、監督を務めたのが丹羽政彦氏(56歳、現・スカウト統括)だ。現在でもスカウトとして明治大ラグビー部に関わり続けている丹羽氏に、当時の選手時代の思い出、監督時代、そして100回目の「早明戦」を迎える現役選手へのエールを聞いた。
「前へ」北島先生に出会い人生が変わった
―明治大ラグビー部への入部の経緯は?
私は北海道苫前町の出身で、隣町の羽幌高校でラグビーを始めました。花園予選では準決勝で中標津に敗れ、決勝戦には進めなかったですね。ただ高校2年生のとき、明治大が北海道北見で合宿を行っていた際に、試合をやらないかと高校の監督が声をかけられた。僕は当時SOでしたが、ディフェンスで良いプレーを見せて、5回ほど明治大の選手を止めて、北島忠治先生の目に留まった。その翌日に、今度は明治大のBチームに入り、SH安東文明さんなど当時の有名選手たちと一緒にプレーさせてもらった。それで、北島先生に誘われて入部しました。
―当初は明治大に入ろうとは考えていなかったのですか?
自分の頃は故・SO平尾誠二さんの同志社大の全盛期で、明治大はあまり強くなかった(苦笑)。それに、父親を早くに亡くしていることもあったので、就職か実家の農家を継ごうと思っていたので、東京の大学に進むなんてことは全く考えていなかった。北島先生との出会いで人生が変わりましたね。
―北島監督の印象は?
入部前に、いろいろ明治大ラグビー部の歴史や伝統を勉強すると、北島先生がずっと指導している。明治大ラグビー部には才能ある選手がいっぱいいる中で、「前へ」に代表されるように、北島先生の芯となる教えがあって、それが浸透しているなあっていうところを感じました。入部すると、グラウンドでの北島先生の存在感は大きく、先生が座っているだけで練習の雰囲気が変わり、凛(りん)とした緊張感がありましたね。
―北島監督の指導は具体的にはどのようなものだったでしょうか。
明治大は難しいことをやらない。「前へ」に代表されるように、「まっすぐ」前に進むことを基準として、コンタクトを重視していた。またスプリントや走力も非常に重視していた。走るスピードとか、例えば1本ダッシュするにしても、最後のトライラインのところが一番厳しいから、ゴールラインに向かってスピードを上げろとか、大事な部分を意識高くするようになっていた。先進的なウェートトレーニング練習も早くから取り入れていたと思っています。
また練習時間についても、主将を中心に練習メニューを決めて、入学当初は毎日がコンタクト練習で、1時間半程度でしたがかなりダメージはありましたね。短い時間で集中してやっていましたが、突然北島先生の号令で始まる部内マッチが必ずあり、常に実戦練習で明治は成長していた。4年時はこれに走るトレーニングが増えて、3時間程度まで延長され、かなり練習するチームになったと思います。
大学4年で大学日本一を達成
―選手時代の早明戦の思い出を聞かせてください。
自分は大学2年から公式戦に出場し始めました。同期のWTB吉田義人が日本代表に呼ばれた頃から、その代わりにWTBとして出るようになりました。早明戦には3年と4年のときに出場しました。
3年生のとき、対抗戦の優勝がかかった試合だったので、国立で6万人以上の観客の前で試合をしたけど、前半は全く覚えていない(笑)。
ずっとSOだった加藤尋久さんがインサイドCTBでゲームコントロールしたいという希望で、10月の同志社大学との定期戦から僕がSOを担当することになりました。BKはWTB竹ノ内(弘典)主将、加藤さん、FB高岩(映善)さんに戦略などを教えてもらったりして、ボールを動かすことを意識はしていました。非常に成長できた1年でした。だから先輩たちのために勝ちたかった。
試合は、清宮(克幸)主将(現・日本ラグビー協会副会長)率いる早稲田大がFW戦で真っ向勝負をしてきて主導権を握られ、明治大は15-28で負けてしまいました。
4年生では、慶應義塾大学戦でのケガで離脱もありましたが、北島先生がずっと信頼して使ってくださいました。明治大は9年ぶりの大学選手権単独優勝を目指していて、何とかそれを達成したいという思いで臨みました。しかし、早明戦は早稲田SO守屋泰宏のプレースキックの調子が良くて、最後に(FB今泉)清に走られて24-24で早明戦は引き分けでした。その後、大学選手権の決勝で早稲田大と再戦し16-13で勝利して日本一になることができましたね!
監督就任後、寮に住み込んでチーム再建
―大学卒業後も清水建設で選手をしながらも明治大ラグビー部のリクルート活動に協力していたそうですね。そして2013年に母校の監督に就任されました。
OB会の推薦を経て、北島先生が亡くなった後から「リクルート活動」を十数年やってきた経歴を評価してもらい、最終的に「もうお前しかいない」という形で就任することになった。結局、5年間やりました。これは明治大の監督としては北島先生に次いで2番目に長いんですよね。チームを右肩上がりにして次の監督に渡すというのが僕の使命だと思っていました。本来は4年で交代予定でしたが、後任の育成のため1年、延長しました。それともう1年アドバイザーもやりましたね。
監督在任中は、1度も日本一になることはできなかったものの、常に大学選手権で正月を越えられる(=準決勝)チームに成長することができたかな。もちろんチャンピオンになることがベストですが、常にファイナルに近いところにいるチームでいることが大事だと思っていました。
―監督時代に何か具体的な改革を行ったのでしょうか?
僕が監督になった2013年ごろの明治大ラグビー部は、FWはかつての「重戦車」なんて名前ばかりで「軽トラック」と、そして鉛筆みたいに細いBKで、体格面で他チームにかなり劣っていた。それじゃ勝てるわけがないと、フィジカル面を強化しました。
監督になる前から長くスカウトをやっていましたので、いい選手がいるのかはわかっていました。SO田村優(現・横浜キヤノンイーグルス)など、選手はそろっていたのに勝てないところが歯がゆかった。その問題は選手を取り巻く私生活の環境だと思っていたので、監督になったら寮に住み込んで、主にラグビー以外の部分、例えば生活面での規律、学業との両立、自主性の重視などを変えようとしました。
特に、選手の自主性を重視しました。細かい規則を決め、違反に対してペナルティーは課しましたが、過度に厳しく取り締まるのではなく、選手たち自身による自制と自主的な規律を保つことを促しました。
最終的に試合に勝つか負けるかは、そういうところから出てくると思っています。やはり、選手たちが自分たちで言ったことやったことは、自分に返ってくるし、その方が責任感も出るし納得感がある。だから明治大はそういう方が強くなると思っています。
―監督時代の「早明戦」はどうでしたか? 対抗戦は2勝3敗でしたね。
普通に勝てるという状況にしとかないといけないと思っていましたね。最初の2年間は負けましたが、2015年のHO中村駿太主将(現・横浜キヤノンイーグルス)の代で、32-24でようやく勝てました。次の年も勝てる試合だったけど、22-24で負けてしまった。LO古川満主将(元・トヨタヴェルブリッツ)、CTB梶村祐介(現・横浜キヤノンイーグルス)の代は29-19で早明戦に勝ちました。このシーズンの大学選手権決勝で、帝京大に20-21で1点差で負けて、それで一つの区切りかなと思いましたね。
明治のスクラムはどこにも負けてはならない
―今年は丹羽さんが選手、監督などで10回関わった「早明戦」が100回目を迎えます。期待している選手は?
SH柴田竜成(3年、秋田工業)は、1、2年のとき、なかなか試合に出てこなくて本人も悩んでいたかと思っていましたが、やっぱり、試合に出るようになったら案の定、ボールさばきがいい。SO伊藤龍之介(2年、國學院栃木)や萩井耀司(1年、桐蔭学園)がグラウンドを上から見られる選手なので、ハーフ団によってFW全体をコントロールしつつ、いかにBKにいいボールを供給できるか。明治大はSHがキーになるのが間違いないので、そういう意味では今年の柴田はかなり成長しているので非常に期待しています。
FWは、やっぱり明治大の3番だからPR倉島昂大(4年、桐蔭学園)に頑張ってほしい。明治大は「スクラムを押す」のがスタンダードで、どのチームにも負けてはならない。これは現役選手の明治FWは全員強く思って欲しい。試合中ボールをあまり持たずスクラムだけが強くて試合に出場していた選手は、過去にもたくさんいました。地味な役割かもしれないけど、そういう選手が頑張る明治大は強い。近年は明治BKのスキルの高さに注目されていますが、明治ラグビーはFWが勝てなかったら絶対、試合に勝てないですよ。
「前へ」を体現するラグビーを100回目も見せて
―100回目の「早明戦」に期待することは?
「早明戦」は大学スポーツの特別な試合として位置づけられていて、イギリスのオックスフォードとケンブリッジの対戦のような、伝統的な重要性を持って未来につなげないといけないと思っています。100回まで歴史を積み重ねてきて、多くのファンに見ていただけるのは、間違いなく、日本のラグビー史の中で欠かすことのできない試合であったからです。
だから、選手たちには気の抜けたプレーやいい加減なプレーはしてほしくない。僕は監督時代に「見ている人に伝わるゲームをしろ!」ということを常に言っていました。学生が一生懸命にプレーする姿を感じてきたから、早明戦でドラマがあるし「この試合は見たい」となるのです。
監督に就任した2013年の「早明戦」も、誰もが明治大が大敗すると思っていた中で、3-15で負けはしましたけど、HO圓生正義主将(元・ホンダヒート)を中心に明治FWがタフに体を当てていく明治大のラグビーが帰ってきたなと思ってもらえたことは今でも良かったと思っています。
勝つために現代ラグビーに合わせて戦術を進化させる必要性もありますが、相手の人数に関係なく最短距離で「まっすぐ」突っ込んでいく「前へ」を体現する明治らしいラグビースタイルを100回目の「早明戦」でも見せて、勝ってほしいと思っています!