京都両洋高校・塩満琴 転校して出会ったアメフト、大学でもサイドラインから戦い続ける
マネージャーはチームの柱だと思う。大学4年生の私はかつて兵庫県内の高校のアメフト部でマネージャーをしていた。先輩からは「選手よりも先に、常に次のことまで考えて行動して」と言われ続けた。あらゆる雑用はもちろん、筋力トレーニングのメニューも考え、練習がない日も対戦する可能性のある相手の試合に足を運んでビデオ撮影。大事な試合の前にはお守りも作った。マネージャーの働き次第で、チームの柱は太くなると思う。私は大学に入ってからカメラを本格的に始めた。高校生のアメフトの試合を中心に写真を撮って、SNSで発信してきた。そんな中で、めっちゃ輝いてるマネージャーに出会った。彼女のことを書いてみたいと思った。
アップ中から笑顔で、劣勢でも変わらずに声かけ
10月27日、大阪府茨木市にある追手門学院高校のグラウンド。秋の京都府大会2位(参加4校)の京都両洋高校ウォリアーズは、創部6年目での全国大会初出場をかけて大阪京都第5代表決定戦に臨んだ。相手は大阪府4位の関西大学第一高校。両校の3年生にとって、負ければ引退となる試合だ。京都両洋のマネージャーの塩満琴(しおみつ・こと、3年)は、いつものように試合前から動き回っていた。同校のマネージャーは彼女と関ゆりあ(2年)の二人だけ。さまざまな役割をこなしながら、アップ中の約30人の選手たちに声をかけていく。もちろん笑顔で。彼女と選手との距離の近さが、お互いの信頼感の強さを示しているようだ。
試合は一方的な展開になってしまった。京都両洋は立て続けにタッチダウンを奪われ、0-21で試合を折り返した。「まだいけるよ!」。塩満の声は止まない。後半に入るとこの日の先発クオーターバック(QB)である福本大葵(はるき、3年)のロングゲインもあったが、第4クオーターが始まってすぐ、大会規定により0-41でコールド負けとなった。
最後のハドルでは、木戸宗子郎監督や水野彌一ヘッドコーチ(HC)の言葉に涙を流す選手もいた。彼らに寄り添って声をかける塩満の目にも、涙がにじんだ。後日、このときどんな気持ちだったか尋ねると「自分の中では、いい引退の仕方ではないです」と返してくれた。もし全国大会に進んでいたら、けがで戦列を離れていたエース福井悠吾(2年)やワイドレシーバー(WR)の斎藤巧弥(たくみ、3年)らとも一緒に戦えたかもしれない。それに劣勢の中で士気が下がっていく一方だった選手たちを見て、「もっといけるやろ!」との思いを強くしていたそうだ。彼女はフィールドには出られない。それでもサイドラインで確実に戦っていた。
仲間が祝ってくれた夏合宿最終日の誕生日
塩満は1年生の10月に京都両洋へ転校してきた。当初は「帰宅部」だったが、2年生になるとアメフト部副顧問の中村寅彦先生が担任に。先生や同じクラスのアメフト部員である山本就亮(しゅうすけ)と禮場紫苑(れいば・しおん)にも誘われ、夏休み前に入部することになった。
彼女にとって初めての公式戦は、昨秋の同志社国際戦だった。何も分からず、水が入ったボトルを選手に渡すのが精いっぱいだった。7-14で負けた。先輩のマネージャーが大泣きしていた。彼女は「なんで泣いてはるんやろ」と思ったそうだ。次の龍谷大平安戦は勝ったが、のちにクリスマスボウルを制する立命館宇治には大敗。引退が決まった先輩は、また号泣していた。そのとき塩満の心に「こんなに熱くなれるスポーツなんや」との感情が湧いてきた。
塩満の代が最上級生になった。同期の仲間とごはんを食べに行った。キャプテンになる梅垣圭佑が「このチームを俺らの代で強くする」と言いきった。その言葉にみんなが盛り上がった。彼女もここから一気にアメフトの世界へ入り込んでいった。梅垣と副キャプテンの平野万太郎、安東淳志、塩満の4人で頻繁に話し合い、最後まで走り負けないチームになるため、アップの段階から疲れるような練習内容にした。
春のシーズンが始まった。試合が終わるごとに、2年生QBの福井が「琴さん、いつもありがとう」と言ってくれるようになった。そのひとことが、何よりのモチベーションになった。どんどんウォリアーズにのめり込んでいった。5泊6日で毎日が3部練という鬼のような夏合宿では、午前4時半にグラウンドに現れ、夜は部員に出来上がった洗濯物を届けるところまでやった。最終日は塩満の18歳の誕生日だった。みんながサプライズで祝ってくれたが、5日間フル稼働だった彼女は高熱を出して部屋に戻ったそうだ。恥ずかしそうに振り返ってくれた。
関東1部TOP8チームの目に留まり、推薦入学へ
彼女と合宿の話をしていると、私自身の高校時代の記憶が蘇ってきた。2年生の夏合宿。朝から晩までアメフト尽くしで迎えた最終日、顧問の先生が頑張った人に贈る「プライズシール」を私たちマネージャーにくれた。そのシールは愛用のパソコンに貼ってあり、見るたびに当時のうれしさを思い出している。
高校最後のシーズンとなるこの秋、ウォリアーズは初めて1大会で2勝を挙げ、京都で2位になった。全国大会には届かなかったが、新たな一歩は刻めた。水野HCは塩満を「常に燃えている。自分のやるべきことがよく見えてますよ」と評する。木戸監督は「自然と鬼気迫る表情になるほどアメフトに打ち込んできました」。副キャプテンの平野は「選手のために動けるマネージャーです」と話す。
関東大学リーグ1部TOP8に所属する大学の監督が選手の勧誘のため、京都両洋の練習を見に来たことがあった。実際にその監督が目を留めたのは選手ではなく、選手たちに「ハリー、ハリー(急げ)」と叫びまくるマネージャーの塩満だった。そこから話が進んでいき、塩満はその大学へマネージャーとして推薦入学することになった。
アメフトは準備のスポーツ。塩満はもう春からの日々に向けて準備している。試合のビデオ撮影をしたことがないため、試合の動画を見ながらシチュエーションを口に出して言ったり、撮り方をイメージしたり。プレー分析の役割も加わってくるため、進学先の秋シーズンの試合はすべてチェック。関西の大学の試合会場にも足を運んできた。ときには水野HCの隣に座り、次はどんなプレーが来るかといった話を1試合通じて聞いた。
同期が3、4回生になったときの試合を見たい
これから始まる4年間を塩満は楽しみに待ち望んでいる。同期のほとんどが大学でもアメフトを続ける。「ちょっとした夢なんですけど、同期が3、4回生になったときの試合をこの目で見たいし、自分も同じフィールドで頑張りたいです」。でも彼女のことだ。上級生になったら自分のチームのために「ハリー」と叫び、同期の試合観戦どころじゃないだろう。
元マネージャーの私はこの4年間、「がむしゃらにアメフトに打ち込むアツい瞬間を届けたい」と思って活動してきた。撮影するたびにフィールドからの熱量をひしひしと感じ、思いがこみ上げてくる。だからこのスポーツはやめられない。そして最後に触れたらやけどしそうな熱量を持った人に出会えた。あと3カ月ほどで私の4years.は幕を閉じ、塩満琴というアツいマネージャーの4years.が幕を開ける。