仙台大学・平川蓮「挑戦」続けるスイッチヒッター、父の言葉を胸に臨むドラフトイヤー
プロ野球界で両打ちの野手が減りつつある中、仙台大学には今秋ドラフト候補のスイッチヒッターがいる。身長187cmの恵まれた体格と抜群の身体能力を生かした打撃が光る好打者・平川蓮(3年、札幌国際情報)。右投げ左打ちの投手として仙台大に進学したが、入部から約3カ月で野手に転向した。2年秋から両打ちに挑戦すると、3年目に大きく飛躍。春は仙台六大学リーグのベストナインと打点王の二冠に輝き、12月には「侍ジャパン」大学代表候補強化合宿に初招集された。勝負の大学ラストイヤーはさらなる進化を誓う。
高校では「4番でエース」、大学進学から約3カ月で野手転向
平川は札幌市出身。父・敦さんは北海高校硬式野球部の監督で、2016年夏の甲子園で準優勝した経験を持つ名将だが、幼少期に敦さんから野球の話をされた記憶はないという。小学校低学年まで水泳に励み、一時はサッカーに興味を持ちながらも、小学4年生になってから1歳上の兄とともに野球を始めた。
中学2年時から本格的に投手としてプレーするようになり、その後公立の札幌国際情報高校へ進学。敦さんのいる私立の北海高校も受験し合格したものの、「父親のもとで野球をすると家で気まずい。それなら父親を倒そう」と公立校を選んだ。
高校では早い段階から頭角を現し、3年の夏は「4番でエース」だった。体が大きくなったことで球速が伸び、直球の最速は3年間で124キロから140キロまでアップした。「投手でプロ」。明確になった目標を掲げ、高校卒業後は敦さんに勧められた仙台大に進んだ。
ただ、大学での投手生活は約3カ月で幕を閉じる。ある日の投球練習を終えたタイミングで、主に野手を指導する小野寺和也コーチから「野手をやってみないか」と声をかけられたのがきっかけだった。3カ月の間に最速が3キロアップし、春の新人戦にも登板するなど、手応えをつかんでいた矢先の提案。即決できず、しばらくは「投手5割、野手5割」で練習し、最終的に野手専念を選んだ。
左投手の苦手意識払拭のため、2年秋から両打ち挑戦
2年時にリーグ戦での出場機会を増やし、「シンプルに強く振る」打撃を磨いた3年時はレギュラーに定着。春は打率3割2分3厘、2本塁打、12打点と好成績を残して初のタイトルを獲得した。平川は「充実したシーズンになった」と3年目を振り返る一方、「春秋通してしっかりとした成績を残すことはできなかった」と打率が3割を切った秋を反省。そして、秋に本領を発揮できなかった要因は「左右のバランス」にあると考えている。
平川は対左投手に苦手意識があり、高校時代に右打ちの経験があったことから、2年秋以降は両打ちに挑戦していた。スイッチヒッターは対右投手の時は左打席、対左投手の時は右打席に立つのが基本だが、平川は左投手の時は相手のタイプによって左右どちらの打席に立つかを決める。秋は試合で相手の左右にかかわらず左打席に立つ機会が多くなり、それとともに右打ちを練習する割合が減ったため、「体の軸がずれてしまった」感覚があったという。
とはいえ、両打ちをやめる選択肢はない。「投手はインコースに投げて打者の反応を見ると思うんですけど、ボールにアジャストできる右打ちだとその裏をかく打撃がしやすくなる。(一方で)バッティング技術が高い左打ちは融通の利く打撃ができる。面白いなと思いながらやっています」。普段の打撃練習の際、球を受ける捕手と会話する中で、バッテリーとの「心理戦」において左右の使い分けが有効であると実感した。
運命のドラフトイヤーは「ひょっこり出てきたい」
「幅の広いバッティングを突き詰めていきたい」。そんな思いで再び右打ち、左打ちを同じ割合で練習するようになったオフの期間は、徐々に感覚を取り戻した。初めて参加した大学日本代表候補強化合宿でもアピールに成功し、「野手でプロ」の目標が確固たるものになってきた。
合宿で「ほぼ全員」の野手と打撃に関する話をした中で、最も印象に残ったのが今秋のドラフト候補に挙がる右打者の創価大学・立石正広(3年、高川学園)。世代屈指の強打者として注目される立石を「長打力があるだけでなくコンタクト率も高い良いバッター」だと再認識しつつ、「打席で心がけていることが一緒で、打球速度もあまり変わらなかった」と自信も手にした。
立石は昨秋の明治神宮野球大会でも活躍し、すでに複数球団が上位候補にリストアップするなど、ドラフトの目玉になり得る存在。同世代のライバルである平川に「立石選手に負けじと、もっと注目されたい思いはあるか」と尋ねてみた。平川の答えは「自分はひょっこり出てきたいです。『いきなり現れた謎の人』みたいな感じでいいかなと思っています」。ドラフトイヤーも、焦らずマイペースに進化を続けるつもりだ。
学生野球最後の挑戦は日本一とプロ入り
野手転向、両打ち転向に加え、遊撃、三塁、一塁、外野とあらゆるポジションを守るなど「挑戦」を重ねてきた平川。何度も訪れた「決断」を後押ししてくれたのは、父・敦さんだった。
高校時代から家では投球フォームや配球についての質問をぶつけた。大学進学後も試合の動画を送って技術面のアドバイスをもらうなど、頻繁に連絡を取り合っており、決断に迷った際は敦さんの助言に耳を傾ける。「野球のことを一番知っている人で、一番聞きやすい人なので心強いし、親でよかった」。困った時に頼れる父の存在は欠かせない。
そんな敦さんには、最上級生になるのを前に「過去は振り返らず、最後だから自分のやりたいようにしなさい」と発破をかけられた。平川の「やりたいこと」は、日本一の達成とプロ入りだ。「このメンバーで日本一を取りたい。個人としても春秋通して結果を残して、良い順位で指名されるよう頑張ります」。野球の恩師である父に最高の報告をすべく、学生野球最後の挑戦に立ち向かう。