創価大・立石正広 神宮大会歴代最多の10安打、今秋つかんだ「力を抜いて振る」感覚
下級生の頃から注目を浴びてきた創価大学の立石正広(3年、高川学園)は、右打席から広角に強い打球を放つバッティングが一番の魅力だ。夏の国際大会や秋の東京新大学リーグ戦では調子を落としたが、「力を抜いて振る」感覚をつかんだことから、関東地区大学選手権と神宮大会では見事なバッティングを見せた。「2025年のドラフト上位候補」とスカウト陣から熱視線を送られている。
1回戦はライトへ、準決勝はレフトへ2ラン
2024年秋の活躍で大きく評価を上げた。神宮大会出場権をかけた関東地区大学選手権では、3試合で打率3割8分5厘、1本塁打、4打点の好成績。6年ぶりの神宮大会出場に大きく貢献し、大会最優秀選手に選ばれた。
神宮大会では4試合で大会最多安打記録を塗り替える10安打に、2本塁打、6打点。佛教大学との1回戦では第1打席でライトスタンドに先制2ランを打ち込んだ。環太平洋大学との準決勝では七回の第5打席でレフトスタンドにダメ押しの2ラン。右に左にと大きな打球を打ち分け、ネット裏に陣取ったスカウト陣をうならせた。
創部50年という節目の年に初の大学日本一を目指した創価大だったが、決勝で青山学院大学に3-7で敗れた。それでも立石は「全国2位という結果なので、そこはプラスに考えて来年に生かしていきたい」と充実の表情を見せた。
試合を重ねるごとに立石を取り巻く記者の数は増え、「2025年ドラフトの上位候補」と評価はうなぎ登りだ。本人は現状「評価され過ぎかなと思う」と冷静にとらえており、「来年はその評価に見合った活躍をしたい」とドラフトイヤーに向けた決意を静かに語った。
大器の片鱗を見せた高3夏の甲子園
高川学園高(山口)3年の夏に甲子園に出場した。小松大谷高(石川)と対戦した1回戦は雨の影響により、プレーボールは午後7時10分。夏の甲子園の歴史で最も遅い試合開始ということで話題になった。この試合で立石は四回、バックスクリーンに2ランを打ち込み、大器の片鱗(へんりん)を見せた。
高校通算本塁打は10本。飛び抜けた実績を残すことはできなかったが、創価大学の堀内尊法前監督(現・創価高監督)に熱心に誘われ、進学を決めた。
高3のときは身長178cm、体重75kgと細身だった。大学で体作りに励んだことで10kg以上の増量に成功。1年春にリーグ戦デビューし、秋のリーグ戦途中からレギュラーの座をつかんだ。
飛躍を遂げたのは2年春のシーズンだ。リーグ戦で首位打者(打率5割)、最多本塁打(5本)、最多打点(14打点)の三冠とベストナインを獲得。6月の全日本大学選手権でも富士大学との1回戦でライトスタンドにソロ本塁打を放った。
「トスバッティングぐらいのイメージで」
3年生となった今夏は「侍ジャパン」大学代表に選ばれ、プラハベースボールウィーク(チェコ)、ハーレムベースボールウィーク(オランダ)と二つの国際大会に出場。青山学院大学の西川史礁(4年、龍谷大平安)、大阪商業大学の渡部聖弥(4年、広陵)らと一緒にプレーし、大きな刺激を受けた。
大学日本代表は両大会ともに全勝優勝を果たしたが、立石のバットからはなかなか快音が響かなかった。前半戦こそ「4番ファースト」でスタメン出場したが、後半戦はベンチを温めることが多くなった。2大会で打率1割9分、0本塁打に終わった。「悔しさしかないです。他の選手が活躍しているのに焦りを感じて、勝手に自分を変化させようとしたのが一番の原因だと思います」と立石は反省する。
秋のリーグ戦も調子は上がってこなかった。それでもチームはリーグ優勝を果たし、関東地区大学選手権に駒を進めた。
フォームの修正に試行錯誤する中、手応えをつかんだのは大会直前だったという。「振る力には自信があるので、そんなに振らなくても打球は飛ぶと思って、トスバッティングぐらいのイメージで楽に構えることを意識したんです」。それまで広めにとっていたスタンスも幅を狭め、力を抜くことを意識した。
中央学院大学との初戦。六回の第3打席で横浜スタジアムのセンターフェンスを直撃する二塁打を放った。続く七回の第4打席ではレフトスタンドに逆転3ラン。「(第3打席で)基本であるセンターにいい打球が出ました。その結果があったから4打席目もいいイメージで打てたと思う。これからに生きてくる打席になりました」と満足した表情を見せた。
神宮大会では足もアピール
創価大学を率いる佐藤康弘監督も「打球速度がすごい。大学にきてから体も大きくなって、(バットがボールをとらえたときの)音が違うんです。何事にも一生懸命で、真面目すぎるぐらい真面目な選手。まだまだ、これからの成長が期待できます」と期待を寄せる。
神宮大会では4試合で3盗塁を決め、足もアピールした。打ってから4秒2~4秒3で一塁まで駆け抜け、内野ゴロでも全力疾走を怠らない。
神宮大会後の11月30日~12月2日、松山市で行われた大学日本代表候補合宿に参加した。「夏の国際大会では悔しい思いをしたので、来年、絶対大学ジャパンに入って、チームを引っ張れるような活躍をしたい」と決意を新たにした。
2024年に成し遂げられなかった大学日本一と代表での活躍、そして夢であるプロ入りを目指し、ドラフトイヤーとなる2025年シーズンに臨む。