桐蔭横浜大・肥田野蓮治 「無名の人数合わせ」が2発 チャンスに爪痕残し続けレッズへ

2026年度から浦和レッズへの加入が内定している桐蔭横浜大学の肥田野蓮治(ひだの・れんじ、3年、関東第一)。関東大学リーグで頭角を現したのは3年生からだったが、浦和はその前から目をつけていた。スピードあふれる左利きのストライカーは、いかにして見いだされたのか――。
浦和スカウト「プレースタイルガラリ、驚いた」
一昨年の秋が深まるころだった。初めて足を踏み入れたプロチームのクラブハウス。正面玄関の扉を恐る恐る開くと、間接照明に照らされたレッズの大きなエンブレムが目に飛び込んできた。
「すごくかっこよかった」
肥田野は感慨を覚えた光景を昨日のことのように記憶している。当時は大学2年生。桐蔭横浜大から練習パートナーとして、浦和に派遣された10人のうちの1人だった。テストを兼ねた練習参加とは意味合いがまったく違う。目的は実戦トレーニングの人数合わせ。それでも、貪欲(どんよく)な19歳は目をギラギラさせていた。
「プロの環境は初めてだったので、緊張しましたが、なにかしら爪痕を残してやろうと思っていました。僕にとっては、チャンスでしたから」
まだ関東大学リーグにも出場していない時期である。顔も名前も売れていなかったが、気後れは一切ない。紅白戦のメンバーには日本代表経験を持つ酒井宏樹(現・オークランド=ニュージーランド)、中島翔哉らが名前を連ねるなか、無名に近い左利きのFWは持っている力を存分にアピールする。持ち前のスピードを生かし、ドリブルで相手DFをかわすと、得意の左足でゴールネットを揺らす。さらに左足の強烈なシュートでニアサイドを抜く豪快な1発まで沈めてみせた。スピードとパワーを見せつける2ゴールのインパクトは大きかった。

その場に居合わせたスカウト担当の1人が回想する。「名前と顔をよく見れば、全国高校選手権で関東一がベスト4に進出したときの10番でした。高校時代は〝王様〟タイプだったのに、プレースタイルがガラリと変わっていたので、驚きましたね」
肥田野も練習後、クラブスタッフに話しかけられたことをよく覚えている。出身高校を聞かれ、そのスカウトとも会話を交わしている。
「本当に無名だったので、『この選手は何者なの?』という感じだったと思います。それでも、特徴を出せて、点を取れたのは良かった。僕、運はいいんですよ。これまでも、〝持っているな〟と思うことが何度かあったので」
伸びた身長生かすには「フィジカル鍛え怖い選手に」
レッズの練習場でスカウトの目に留まったのは運だけではない。高校の終わりごろから取り組んできたスタイルチェンジの成果でもあった。中高時代は典型的なゲームメーカー。ボールは足元で受け、ゴールに迫っても最後にパスを選択するタイプだったという。目立ったスピードもなく、体も強くなかった。
「昔は小柄だったので、フィジカルよりもテクニックを重視していました。それが高校の途中で身長が8cm伸びて、178cmになりました。ちょうどコロナ禍の時期です。関東一の小野貴裕監督にも『身長もあるし、もっとダイナミックなプレーをしたほうがいい』と助言され、自分なりに考えました。『どうすれば、スケールの大きな選手になれるのか』って。そこで行き着いたのが、ゴールに向かう怖い選手でした。僕よりもうまい選手はたくさんいましたから。自分で点を決め切る力がないと、これ以上は上にいけないと思ったんです」
無論、一朝一夕に変われるものではない。大学1年時はけがの影響で半年ほど出遅れ、最下層からのスタート。高校時代には取り組まなかった筋力トレーニングに着手し、コツコツと努力を続けた。すると、徐々にフィジカル能力が上がり、スピードも向上。身長は181cmまで伸び、体もたくましくなった。

ストライカーとして芽が出始めたのは2年生の頃である。当初、関東社会人リーグ1部を戦うBチームでもベンチスタートだったが、途中出場でゴールを奪うと、一気にスタメンの座を奪取。人数合わせで急きょ呼ばれた浦和に派遣されたのは、ちょうどその頃だった。
「僕はたまたまもらったチャンスをものにしてきました。もともと僕個人の実力はなくて……。1年生チーム、社会人リーグを戦うチームでもベンチ組でしたから」
本人は謙遜するが、ただの偶然は何度も続かないだろう。爪痕を残した無印の大学2年生は、浦和の24年冬の沖縄キャンプには練習生の1人として招かれ、ここでも結果を残している。大学チームとの練習試合で途中出場からゴールを奪い、J1の名古屋グランパス戦でも鋭い突破を見せてアピール。このキャンプが、ターニングポイントの一つとなった。自信をつけると、右肩上がりに成長していく。
裏に抜け鮮やかループ スカウト「間違いない」
大学3年目は関東大学リーグの開幕戦から活躍。長い下積み期間を経て、ようやく表舞台でもブレークした。つぶさに成長の過程を追っていた浦和のスカウトが視察に訪れていた9月29日の東海大学戦で、満点回答のゴールをマーク。時速35kmの最高速度を誇る俊足を飛ばして相手最終ラインの裏に抜けると、鮮やかなループシュートでプロ関係者の度肝を抜いた。
「あの裏への抜け出しを見たとき、『これは間違いない』と確信しました。常にゴールを狙っている姿勢がいい。スピードがあり、強引に縦への突破もできる。左足のシュートには重さもあるしね。即戦力候補だな、と思いました」(スカウト)
その翌月には肥田野のもとに正式なオファーが届いた。ただ、人生を左右するシュートまでの動きで、肥田野の足に異変が起きていた。スプリントしたときに肉離れを起こし、ゴール直後に負傷交代。そのまま全治約2カ月の長期離脱となった。
「抜け出しときには太ももの裏を痛め、もうこのあと試合に出られなくなると思ったので、我慢してシュートを打ったんです。それが、自分でもびっくりするくらいきれいなフィニッシュでした。大学のベストゴールかもしれません。点を決めたあと、立ち上がることもできなかったのですが……」

視察していたスカウトから東海大戦の1発が大きな決め手となったと聞いたのは、しばらくしてからだ。浦和からのオファーはうれしかったが、すぐに決断を下したわけではない。他にも選択肢があったのだ。キャンプ、練習参加の打診もあれば、正式な獲得の申し出もあった。
「少し悩みました。レッズの前線には多くのタレントがいますし、ポジションを取るのは簡単ではありません。プロに内定した先輩たちには『試合に出やすいクラブのほうがいいんじゃないか』という助言もされました。でも、どこのチームでもポジション争いはあります。最後は自分で決めました。レッズでプレーできるのは限られた選手だけです。そのチャンスを自ら手放すのはもったいないなって。難しいのは承知の上でチャレンジしようと」
「大学ナンバーワンFWとしてレッズに入りたい」
今季は浦和の内定選手として迎える大学のラストイヤー。気負うことなく、ゴールを量産することを誓っている。個人の目標は、はっきりと口にする。
「関東大学リーグで2桁ゴールをマークし、得点王になること。チームとしても、リーグ戦、インカレでタイトルを狙います。欲張りすぎかもしれませんが、大学ナンバーワンFWという形でレッズに入りたい。できることなら、特別指定選手になり、今年から勝負していければと。チャンスがあれば、ものにしたいです」
運を呼び込む男の言葉には、自信がにじんでいた。インタビュー前の練習試合でハットトリックを達成したばかりのストライカーは、取材を終えると、軽い足取りでチームの輪に戻って行った。

