立命館大・山下真之介 キックを極めて2年から司令塔に、共同主将の経験を次に生かす

1929年に創部された立命館大学体育会ラグビー部は、1992年以降、関西大学Aリーグで戦い続けている。そんな伝統あるチームで今季、SO山下真之介(4年、流通経済大柏)はLO本郷正人(4年、中部大春日丘)とともに共同主将を務めた。2年時から10番をつけ、スタメンに定着。卓越したキック力とスピード感のあるハンドリングを武器に、司令塔としてチームを牽引(けんいん)してきた山下の4年間を振り返る。
ラグビー選手だった父の影響で、小学5年からSOに
山下は茨城県出身。ラグビー選手だった父の影響で、4歳から楕円(だえん)球に触れた。「物心がついた時から、身近にラグビーがありました。他のスポーツをやりたいとか、ラグビーをやめたいとか、一度も考えたことなくて、ラグビー一筋で生きてきました」と語る。小学5年から父と同じポジションであるSOとして、ボールを蹴り続けている。
地元の水戸日立ラグビースクール時代は、太陽生命カップに出場した。進学先の流通経済大柏高校では、2年時にFBとして、3年時はSOとして花園でベスト8に進出。2年時にはU17日本代表に選出されたこともある。大学進学の際は関西と関東のどちらでプレーするか迷ったが、小学生の頃から指導を受けてきたコーチが立命館大出身ということに縁を感じ、声をかけてもらった中から立命館に決めた。

大学では1年目からスタメンでの活躍を狙った。「とにかく経験するために、上のチームにどんどん恐れず向かっていきました」。しかし、高校ラグビーとの違いを痛感。「体の大きさやスピード感が全然違って。思うようにいかなかった悔しい1年間でした」。Aチームの試合に出場することはできたが、「中身は全然です。悔しかったですね」と振り返る。
チームになじんできた中でケガ「一番悔しかった時期」
2年目は山下にとって、転機となるシーズンだった。自身のプレーに悩んでいた時、大学のOBで現役のプロ選手として活躍する先輩から「自分の武器を作れ」と声をかけられ、「キック」を極めることにした。「今でこそ自分の一番の強みはキックと言えるんですけど、それまではキックが長(た)けていると思ったことが無くて。客観的に自分を見つめ直して、他にはないキックがあるんじゃないかと思いました」。キックの正確さを追求し、種類を増やすため、色々な場面を想定した練習に取り組んだ。「他の人に手伝ってもらったおかげで、キックが武器になりました」

その成果か、2年時のリーグ戦から10番を背負い、全試合でスタメン出場を勝ち取った。しかし、3勝4敗で6位とチームは思うように勝てず、山下自身は苦しい思いをした。「SOというポジションは、強いチームほどうまい人が多いので、自分が弱いからチームも勝てなかったんじゃないかなと、背負うところがありました。スタメンに選んでもらって、『自分がチームの主力になったんだ』と感じると同時に、自分の無力さを痛感しました」
3年目は試合を重ねるたびにSOとしてチームになじんだところで、ケガを負ってしまった。春の最終戦でひじを痛め、復帰まで2カ月かかり、その後も後遺症に悩まされた。「秋は試合に出場できたんですが、パスが思うようにいかなくて。感覚が戻るまで4カ月はかかりました」と山下。「試合に出られない時、チームを外から見て『自分ならこう動く』と考えても、いざ自分がプレーする立場になった時に、うまくいかなかった。苦しかったですし、この感情をどこにぶつけたらいいんだろうと悩んだ時期もありました。チーム状況も良くなくて、大学生活で一番悔しかった時期かもしれないです」

創部初の共同主将体制で「話し合い」を重視
ラストシーズンは、選手間の推薦で本郷と共同主将に就任。共同主将体制は創部初のことだった。2人とも下級生の頃から主力としてチームに貢献しながらも、「背中とプレーで引っ張る本郷」と「持ち前のコミュニケーション能力で引っ張る山下」とリーダーとしてのタイプは異なった。
「本郷と2人で『どういうチームにしていこうか』と話し合いを重ねました。本郷は普段はクールなんですけど、プレーになったら先頭で体を張って熱いプレーをする。背中も中身も熱い男です。その姿を見て僕も頑張らないといけないなぁと、常に刺激を感じていました」。本郷は山下について「ポジション柄、司令塔として引っ張ってくれるのはもちろん、持ち前の明るさでチームを照らしてくれる太陽みたい。キックもうまくてカッコいいし、ちょっとジェラシー感じています(笑)」。お互いにべた褒めだ。

チーム内でも「話し合い」を重視した。「新チームになってからは、何か気づきがあるたび、選手主体でミーティングを開いていました。1回あたり3時間話すのが普通でした。学年などは関係なく、場合によっては少人数に分けて、思いを伝え合いました」
勝負の秋シーズン、チームは6年ぶりの大学選手権出場を目標に掲げたが、開幕の近畿大学戦を落とした後、まさかの4連敗を喫した。3位までに出場権が与えられる中で5位となり、目標には届かなかった。「4連敗して、正直チームはどん底というか、沈んでいました。残りの3戦をどう戦うのか、チームで話し合って、前年の2勝5敗を超えようと新たに目標を立て、勝ちだけにこだわって取り組みました」
「悔いが残らないように出し切ろうと。後輩たちも頑張ってくれました」という残り試合で、3連勝。順位も前年の6位から一つ上がり、「全部出し切りました」とすがすがしく語った。

プロでは「ワクワク感や夢を与えられる選手に」
山下は「人として成長できた4年間でした」と総括する。自身初の主将も経験し、「1、2年生の頃は自分のレベルアップしか視野に入ってなかったですが、上級生になり、主将になり、チーム全体を見られるようになりました。勝てない悔しさもたくさん経験しましたが、それ以上に最高の仲間とラグビーができて楽しかったです」と充実感を漂わせた。
卒業後は、リーグワンの三菱重工相模原ダイナボアーズで、長年の夢であったプロ選手としてプレーする。「子どもたちにワクワク感や夢を与えられる選手になりたいです」。すでにチームに合流しており、対外試合にも出場。「みんなが温かく迎えてくれるチーム。色々な人がいて、刺激的で、楽しい毎日です」
ラグビーを心から愛している。オフは友人と趣味のカフェ巡りをするが「最初は話が盛り上がっても、気付いたらみんなでラグビーの動画を見ています」。誰とでもすぐに打ち解け、「人見知りするタイプじゃないんで。大学に入るまでは、ただのおしゃべりなヤツでしたけど(笑)。主将経験を生かして、色々な人の意見を聞きたい。新しい出会い、人とのつながりを大切にしていきたいです」と山下。これからも「ラグビー選手・山下真之介」として、輝き続けてほしい。

