駒澤大OB揖斐祐治さん 岐阜協立大学監督を務めながら、県全体の強化と普及に挑戦中

今回の「M高史の陸上まるかじり」では、駒澤大学のOBで現在は岐阜協立大学駅伝部の監督をされている揖斐祐治さんにお話を伺いました。揖斐さんの故郷でもある岐阜県で、強化と普及活動という新たな取り組みをスタートさせました。
学生3大駅伝では、計6度の区間賞を獲得
揖斐さんは土岐商業高校時代、5000mの自己ベストが13分57秒40。今でこそ13分台の高校生ランナーは増えましたが、1997年当時では高校歴代2位の記録でした。留学生の区間制限がなかった全国高校駅伝では、1区で2年連続日本人トップ(区間2位)の快走を披露されました。
駒澤大学では、学生3大駅伝に4年間すべて出場し、計6度の区間賞を獲得されました。箱根駅伝総合優勝2回、全日本大学駅伝優勝3回、出雲駅伝優勝1回。駒澤大学が「平成の常勝軍団」と呼ばれる礎を築かれたお一人でもあります。
駒澤大学が初めて箱根駅伝総合優勝を果たした2000年の第76回大会では、7区を1時間03分12秒で走り区間賞。この記録は年始の第101回大会で佐藤圭汰選手(3年、洛南)が1時間00分43秒の区間新記録を出すまで、25年もの間、駒大記録として残り続けました。

私、M高史にとっては駒澤大学の大先輩でもあります。高校時代に揖斐さんをはじめ、駒澤大学の諸先輩方が活躍されている雄姿や現在の総監督・大八木弘明コーチの熱血指導に憧れて駒澤大学の門をたたきました。
大学卒業後は実業団のエスビー食品で競技を続け、世界クロカン日本代表にも選ばれました。現役引退後は麗澤大学陸上競技部でコーチを2年間経験された後、東亜大学女子駅伝部で4年間監督を務め、全日本大学女子駅伝出場を果たしました。2012年に故郷の岐阜で、岐阜経済大学(現・岐阜協立大学)駅伝部監督に就任されました。全日本大学駅伝に4回、出雲駅伝には1回出場。同時に都道府県駅伝の強化にも携わられています。
陸上競技で岐阜県の強化と普及のために
都道府県駅伝の岐阜県チームへの思いや岐阜県陸上界の現状についてお聞きすると、「岐阜は近年、都道府県では(順位が)20番台から抜け出せない年が続いていて、根本的な現場の強化が求められています」とお話しされました。
「まず、指導者の数が減っているんです。昔は県内の各地区に熱心な先生方がいましたが、熱量のすごかった先生方が定年退職をされ、現在指導者不足が課題です。それにともなって競技人口も少し減りつつあるので、ここ10年、15年かけて若手の現場指導者育成、指導者も一緒に参加できる強化合宿などの取り組みを行い、再建していきたいです」。この問題は岐阜県だけではなく、他の都道府県も直面しているかもしれません。揖斐さんは県単位で強化するため、定期的に練習会を開催。岐阜県の強化プロジェクトにも携わられています。

また普及活動の一環として、2月22日には小、中学生を対象に「第1回 Enjoy Running Carnival」を開催されました。陸上に興味のある子から、陸上をやっていない他の部活の子まで参加できる取り組みです。
趣旨は競技力向上よりも、まずは走って体を動かすことで、少しでも陸上の楽しさを感じてほしいというものです。約50人が参加し、運動神経系のゲームや音楽に合わせた動的ストレッチ、一本歯げたを使ったトレーニングなどが行われました。
中学生対象の強化練習会のような目標に向かって取り組む機会を作るだけでなく、今回のように「まずは陸上競技のイベントに参加してみよう」「ちょっと体を動かしてみよう」という競技の裾野を広げる活動にも、今後は力を入れていかれるそうです。
昨今は部活動の地域移行によって中学の部活が減っていき、クラブチームでの活動にシフトする傾向があります。ただ、クラブチームは少しハードルが高いと感じる中学生もいるかもしれません。そういった子でも気軽に参加できるイベントというのは現在、必要になっているのかもしれません。
岐阜協立大学でも「アスリート育成クラブ」を毎週木曜に開催し、地元の小中学生に練習場所を提供しています。
「うちの学生(駅伝部員)の教職志望者が、指導員として子どもたちの指導にあたっています。月謝は運営費を除いて、学生に指導代として渡しています。学生にとっても勉強になりますし、伝えることの難しさを知ることも良い経験になりますね。卒業して、地元の教員になって、盛り上げてくれればいいですね。どこの地域でも指導者がいるという状況を目指したいですね。県内には熱心なクラブチームがいくつかできていますし、そこからも良い選手が育ってきている。中学生が強くなれば、高校生が強くなります」

印象に残っている都道府県駅伝は
揖斐さんは選手時代、都道府県駅伝に8回出場され、現在は岐阜県チームの強化にも携わっています。印象に残っている都道府県駅伝について伺ったところ、いくつか教えていただきました。一つ目は揖斐さんが高校1年生の時に始まった第1回大会です。
「初めての全国の舞台で10人ぐらいに抜かれました(区間31位で順位を9位から19位に)。今と区間距離が違うのですが(4区7.3km)。次の年は逆に19人抜き(4区区間賞で29位から10位)をしました。新聞にも載せていただいたのを覚えています」
大学4年時の第7回大会も挙げられました。「この時はケガもあってあまり走れていなかったのですが、それでも走ってほしいと頼まれまして出場しました。1区の加藤直人、2区の大西智也がトップで持ってきたんです。『これは来た!』と思いましたが、練習もできていなくて大ブレーキでした(区間31位で8位に)。1km2分40秒ちょっとで入っても、実業団選手がすごい勢いで突っ込んできまして……。これが実業団か、と思いましたね」
快走した年だけでなく、悔しさを味わった年もあった都道府県駅伝ですが「良い経験をさせてもらいました」と当時を総括されました。
いまは大学の指導者、そして岐阜県全体の強化を――。故郷を盛り上げるため、揖斐祐治さんの挑戦は続きます。

