陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

駒澤大学・篠原倖太朗選手を高校時代に指導された北原慎也さん 土台を築いた富里時代

駒澤大学OBの北原慎也さん(右)。富里高校時代の篠原倖太朗をご指導されました(最後以外すべて提供・北原さん)

今回の「M高史の陸上まるかじり」は北原慎也さんのお話です。駒澤大学時代は4年連続で箱根駅伝に出場し、4年生の時には5区山登りで区間賞を獲得。大学卒業後は教員の道へ進みました。富里高校(千葉)時代の教え子・篠原倖太朗選手(2年)が先日の丸亀ハーフマラソンで日本人の学生記録を更新。篠原選手は3月12日の日本学生ハーフマラソン選手権でも優勝を飾り、FISUワールドユニバーシティゲームズの日本代表に内定しました。北原さんは現在、東金商業高校に赴任して陸上競技部の副顧問をしながら都道府県駅伝の千葉県チームをサポートされています。

駒澤大・篠原倖太朗 向上心が強い学年のエース「誰かから憧れてもらえる競技者に」

当時は選手が食事を作っていた大学時代

千葉県出身の北原慎也さん。小学校低学年の頃は走るのが得意ではなかったそうですが、高学年になるにつれて、そして距離が長くなるにつれて学校でも速い方に。中学では陸上部に入りました。「中学では、なんとか県大会に出られるレベルでした。顧問の先生は厳しかったですが、量や質を追い求めない方で、結果として長続きしましたね」

高校は山武農業高校へ。高校では3年連続で関東高校駅伝に出場しました。「一つ上の学年に全国の中学の大会に出た方が集まっていました。当時の顧問がマラソンに取り組んでいて、千葉県の教員クラブでマラソンに出場する先生方と一緒に走っていましたね」。顧問の先生と一緒に汗を流す高校3年間を送りました。

高校卒業後は駒澤大学へ。選手だった大八木弘明監督が卒業するタイミングで入学されました。「私たちの代の4年間は、大八木さんがヤクルトで現役でやっていた4年間だったので、一番接点が少なかったんですよ(笑)。その中でも大八木さんは卒業してからも外部コーチで、一緒に走ってくれる機会もありました。一緒に練習しても太刀打ちできるレベルではなかったですね。当時から陸上好きで熱い方でした!」

ちなみに当時の駒澤大学の寮では、自分たちで食事を作っていました。「1年生が朝食作り担当なので、朝練の途中で早めに切り上げていましたね。卵料理、肉料理、練り物が多かったです。お金の関係もありましたが、今考えるとアスリートの食事としてはどうなのかというメニューでした(笑)」。1年生の食事作りはその後も続き、大八木監督がコーチに就任して奥様の京子さんが寮の食事を作ってくださり始めたのが1995年。そこから駒澤大学は予選会常連校から優勝争いをするチームに変貌(へんぼう)を遂げ、やがて常勝軍団と呼ばれるまでになっていくのですが、それはまだ先のお話。先輩たちが受け継いできたものが現在につながっているんですね。

北原さんはM高史にとっても大学の大先輩です。学生時代から大変お世話になりました

北原さんは4年連続で箱根駅伝に出場しました。1年生ではアンカーの10区。「順天堂大学が復路新記録(当時)で優勝した年でした。15校中、たしか11校が繰り上げスタートでした。11人でよーいドンなので、正直ロードレースみたいでした(笑)」

2年生からは5区を3年連続で任されました。4年生の時には5区で区間賞を獲得。「1時間13分台で区間賞なので、ラッキーな区間賞でした。でも、うれしかったですね。そこまで自信はなかったですが」と謙遜されますが、駒澤大学の5区で区間賞を獲得したのはこれまでに3人。最初は大八木弘明監督が1年生の時。2人目が北原さん。3人目が東京オリンピックでマラソンの補欠選手となった大塚祥平選手(現・九電工)です。「チームとしてもシード権をとれて、いい思い出です」と有終の美を飾った4years.となりました。

篠原倖太朗選手は「光るものを感じていた」

卒業後は教員の道へ。3年間、講師をされた後、正式に採用となり29年になります。銚子高校、匝瑳高校、富里高校を経て、現在は東金商業高校に赴任しています。中学の「社会」「職業」と高校の「地歴公民」「商業」「情報」の免許をお持ちで、今年は「地理A」と「政経」を教えているそうです。

富里高校時代の教え子が、駒澤大学で大活躍中の篠原倖太朗選手です。丸亀ハーフマラソンではハーフマラソンの日本人学生最高記録も更新されました。「すごくうれしいですね。正直、もう少し年齢を重ねてからこれくらいのレベルかなと思っていたのですが、この短期間での成長は驚きですね!」と北原さんも喜ばれています。

北原さんから見た篠原選手についても伺いました。中学時代は体の線も細かったそうで、3000mもあまり走る機会がなく、記録も9分50秒前後だったそうです。

篠原選手は入学後、6月の記録会で3000mを走ることになりました。「当時から光るものを感じていました。申し込みタイムを9分25秒で持ってきたのですが、練習の様子から8分55秒くらい出るなと思って『8分55秒くらい出るから』と本人に言って申し込んだんです。そしたら本当に8分55秒が出ました(笑)」。北原さんの眼力とそれに応える篠原選手もすごいですね!

また、M高史も部活訪問で篠原選手が高校1年の冬に練習をご一緒させていただく機会がありました。風も吹く極寒のトラックで8000mペース走をご一緒させていただいたのも、貴重な経験ですし、僕にとっても良い思い出です!

2019年1月に富里高校へ部活訪問。M高史の左が当時1年生だった篠原選手

当時、北原さんは篠原選手について「将来性を感じるので伸びしろを残せるように、あえて練習量を抑えています」と話されていたことがとても印象的でした。当時の篠原選手は5000mのタイムが15分04秒34で、身長もまだ伸びている途中でした。

練習量を抑えていたもう一つの理由は自転車通学でした。「駅までかなり距離があるので、篠原君は片道20km、往復40kmの距離を自転車で通っていました。自転車で通う子が多かったので、陸上部の練習量を抑えていた部分もあります」。往復でフルマラソン並みの距離を自転車通学していたという篠原選手。こういった体力や粘り強さも競技にプラスになっているんですね。

そして、性格的にも「本当に素直でいい子です。中学の担任だった先生も彼のことを追っかけて情報を集めているんですよ(笑)。授業を担当していた先生たちから今でも応援されています」。

高校1年生の頃の篠原選手。初々しいですね!この時から身長もさらに伸びました!

2年生になり、北原さんが想像する以上のペースで順調に記録を伸ばしていった篠原選手。3年生の年はコロナ禍によりインターハイが中止となりました。代替となった全国高校陸上1500mでの出場を目指すことに。前年度までの記録で上位40人が出場できるうち、39番目の記録でギリギリ出場権を獲得しました。

ただ8月に骨折し、9月の半ばまで練習できませんでした。急ピッチで仕上げて全国の舞台へ。「練習でもだいぶ調子が上がってきて3分50秒くらいで走れると思っていたら、予選で本当に3分50秒で走ってきました。決勝でも力を発揮して3位になりましたね」。記録以上の強さ、さらに本番での強さを発揮しました。

全国1500mの翌週に行われた千葉県高校駅伝では、1区で29分50秒を記録し区間賞から1秒差の区間2位に。ところが、そのあとまたけがをしてしまいます。

「本当は5000mの記録を狙いたかったのですが、けがが長引き、年明けからようやく練習ができるようになりました。本人も5000mで記録を出したい気持ちはありましたが、けがをしっかり治してから練習をしないと大学に入ってから困るので、5000mの記録よりも、まずは故障なくしっかりした練習のできる体で入学しようということを篠原くんに相談しました。大学の練習にスムーズに入っていけるように1、2月は取り組みましたね」

高校時代のベストは14分36秒11でしたが、目先の結果にとらわれるのではなく、将来を見据えてしっかりと土台を築こうという北原さんの愛情を感じますね。

「高校3年の時は彼と一緒に練習できる子がいなかったので、練習では全て単独走だったんですよ。大学に入って彼より強い選手、田澤(廉)くん、鈴木(芽吹)くんたちと練習できて楽しくてしょうがないんだと思います」

いつかは都道府県駅伝で千葉県チームに優勝を

篠原選手が卒業のタイミングで、北原さんも12年勤めた富里高校から現在の東金商業高校へ異動となりました。千葉県では10年で異動することが基本で、学校の仕事によって特例で最長12年までいられることもあるそうです。

「ありがたいことにご縁があって、篠原くんをはじめ多くの教え子に巡り合わせてもらえました。母校にちょっとでも恩返しさせていただけたらという気持ちで今も箱根駅伝のお手伝いをさせていただいてます」。毎年、箱根駅伝では母校・駒澤大学のサポートをされたり、春の合宿ではおいしいイチゴを差し入れしてくださったりしています。

現在、国体や都道府県駅伝では千葉県チームのサポートもされています。「(都道府県駅伝では)千葉県チームの男子はまだ優勝したことがないんです。上位にはいつも入っているのですが、いつかは優勝したいなと。その時は篠原くんに頑張ってもらいたいですね!」

さらに、篠原選手は3月12日に開催された日本学生ハーフマラソン選手権で優勝を飾り、ワールドユニバーシティゲームズの日本代表に内定しました。

日本学生ハーフマラソン選手権大会で優勝した篠原選手(撮影・井上翔太)

現状打破を続ける教え子に北原さんは「優勝してくれて本当にうれしいです。勝って当たり前、勝たなきゃいけないレースで勝てたのは、すごいことですね。今後は、けがなく練習を継続してくれるのが一番です。急激にレベルアップしているので、けがだけが心配です」。恩師ならではの目線で篠原選手の活躍を応援し、見守っています。

M高史の陸上まるかじり

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