陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

駒澤大学OB・安西秀幸さん「駅伝優勝請負人」が駆け抜けてきた道!

2019年都道府県駅伝で福島県チームの優勝監督となった安西秀幸さん(後列一番右)にお話うかがいました (M高史の写真以外は全て本人提供)

今回の「M高史の駅伝まるかじり」は安西秀幸さんのお話です。13年前、駒澤大学が箱根駅伝総合優勝した時の主将です。選手としては箱根駅伝優勝、日清食品グループでニューイヤー駅伝優勝。さらに監督として都道府県駅伝で福島県チームを優勝に導いた「駅伝優勝請負人」の安西さんにお話を伺いました!

ロードへの適性を見せた高校時代

福島県出身、中学ではサッカー部だった安西さん。「陸上部がなかったのですが、駅伝シーズンが近づくと特設駅伝部ができ、駅伝も走っていました」。特設駅伝部ながら県大会で8番に入り、陸上の魅力に惹かれていきました。

会津高校では陸上部。会津高校といえば、早稲田大学・中国電力で活躍した北京五輪日本代表・佐藤敦之さんの母校。指導されていた越尾咲男先生は、日体大時代に箱根駅伝10区で優勝のフィニッシュテープを切った方でした。

「走るたびに記録を伸ばしていきました」という高校時代。高校1年生の最初の5000mでは15分50秒。2年生では14分54秒まで伸ばし、3000mSCでは東北高校新人で優勝。

3000mSCでは東北総体7位で惜しくもインターハイ出場はなりませんでした

3年生になり、インターハイ出場を目指していた3000mSCでは東北大会でまさかの7位。優勝から7位の安西さんまでわずか1秒以内という大混戦。東北地区のランキングトップで挑んだものの悔しい結果となりました。

秋の東北高校駅伝では1区(10km)を走り29分42秒の好タイムで区間3位。青森山田高校のジェームズ・ムワンギ選手、仙台育英高校のサムエル・ワンジル選手に次ぐ日本人トップの好走。トラックのタイム以上にロード、駅伝での強さを見せました。

都道府県駅伝では4区(5km)を走り区間6位で14分40秒。ちなみに現在、福島県の代表監督をされていて4区を走る区間の設定タイムは「自分を超えてほしい」という思いから毎年14分40秒にしているそうです(笑)。ちなみに、福島県チームがこの14分40秒をクリアしたのは、優勝した2019年だったそうです!

強い選手がそろう駒澤大学へ

会津高校の先輩・加藤剛史さん(現・駒澤大学陸上競技部コーチ)が当時、駒澤大学で主務をされていたこともあり、大学は駒澤大学へ。会津出身の大先輩である大八木弘明監督のご指導を受けることになりました。ちなみに、M高史の1学年後輩です。そして、文学部社会学科社会福祉学専攻と専攻まで一緒だったので、よく同じ授業も履修していましたね!

安西さんが入学したときは、駒澤大学は箱根駅伝で3連覇していました(翌年も優勝し4連覇)。「同級生もインターハイで決勝に残っている選手もいましたし、雑誌で見た人ばっかりでした」

そんな強い選手に囲まれての1年目、意外にも練習ができたそうで、6月の選抜合宿でも距離走をしっかりこなすことができました。ところが、夏合宿で故障。股関節の痛みが長引き、ポイント練習に戻ってこれたのは年明け、チームが箱根駅伝4連覇を果たしたあとでした。

悔しい箱根路デビュー

2年生になると練習も継続できるようになり、力をつけていきました。「夏合宿はBチームで全部できましたし、選抜合宿のメンバーにも入りましたね」。12月の学内20kmのタイムトライアルではロングスパートで逃げ切り、渾身の走りで走ったメンバーの中でトップをとり、箱根メンバー入りを大きくアピール。

迎えた箱根駅伝本番では復路の7区を走りました。のちに「1番印象に残っているレース」と振り返るレースとなりました。箱根5連覇がかかっていた駒大は往路2位。復路に入り、安西さんは先頭と1分14秒差の3位で襷(たすき)を受けました。

小田原中継所で6区・藤井輝さんの走りを待つ安西さん

初めての箱根駅伝となった安西さんは7区で区間17位、順位を4位に落とし、先頭の順天堂大学とは3分37秒差まで広がる悔しい走りとなりました。運営管理車の大八木監督から「自分のペースでいいからしっかり襷をつなげ」と声もかかりました。

その後、駒大は8区で4位からトップに立つも、9区では追い上げてきた亜細亜大学に逆転を許し、結果的には総合5位に。大波乱の82回大会を象徴する順位変動となりました。

「5連覇を止めるわけにはいかないのに、迷惑をかけてしまいました」と悔しい箱根路デビューとなりました。

3年生で駅伝主将に就任

3年生になると、高校時代から5000m13分台を出し全国でも活躍していた宇賀地強さん、高林祐介さん、深津卓也さんの13分台トリオが入学してきました。

「宇賀地たちが入ってきて、上級生になった自覚が芽生えましたね。後輩に迷惑かけられないと思って自分たちで練習を引っ張るようになりました」

また当時、富士通に所属しながら駒澤大学を拠点にトレーニングを積んでいた、マラソン前日本最高記録保持者の藤田敦史さん(現・駒澤大学陸上競技部ヘッドコーチ)とも夏合宿の前あたりから少しずつ一緒に練習できるようになってきていました。今までは雲の上の存在だった藤田さんと夏合宿では同じ練習ができ、自信も深まりました。

そして、夏以降は大八木監督のご指名もあり、3年生ながら駅伝主将を任されることになりました。チームのために下級生にもしっかりと厳しいことも言える行動が評価されての駅伝主将就任でした。競技の面では走りでチームを引っ張り、また寮生活の面でも「部屋の乱れは心の乱れ」と生活面でも駅伝主将としての姿勢を示していました。

9月の日体大長距離競技会では積極的な走りで5000m14分00秒92の自己新をマークし、夏合宿の成果を発揮。

9月の日体大長距離競技会5000m。ゼッケン9番が安西さん。積極的な走りで自己新をマーク

駅伝主将として迎えた出雲駅伝では1区を担当。事前にチェックしていた第1中継所まであと数百メートルという「おもちゃ屋さん」の看板。安西さんは「ここでスパートしますね!」とレース前に宣言。

そして、迎えた本番。有言実行の「おもちゃ屋スパート」で区間賞を獲得。主務として帯同していた僕も「うわ! 本当にここでスパートした!」と興奮していたのを今でもよく覚えています。

区間賞を獲得した安西さんでしたが「チームは5位でしたし、1年生にエース区間を任せてしまって迷惑をかけてしまいました。申し訳なかったです。自分にまだ余裕がなかったんですよね」と駅伝主将としての責任ある言葉を口にされました。

続く全日本大学駅伝では4区。先頭の日本大学と9秒差の2位で襷を受けます。日本大学の土橋啓太選手に3kmで追いつきますが、すぐ後ろから東洋大学の川畑憲三選手と中央大学の宮本竜一選手が追いつき、4人の先頭集団に。

序盤で4人の集団となったので、終盤までこのままいくかと思われた矢先、まだ中間点という7km過ぎた上り坂で安西さんはロングスパートでグングンとペースを上げていきました。

「上りには絶対的な自信があったのと、上りでまわりの選手がキツそうだったので、満を持して一番きついところでいきましたね! 行くしかないと思いました」藤田敦史さんと練習をご一緒していたこともあり、スタミナにも自信があり、鮮やかなロングスパートとなりました。

4区の中間点付近でロングスパートをかけ先頭に立つ安西さん

区間賞こそ第一工業大学のアブデラ・アジス選手に譲りましたが、区間2位(日本人トップ)の快走で2位・日本大学との差を37秒にまで広げる快走でした。その後、駒澤大学は首位を守りきり全日本大学駅伝優勝を飾りました。

「強かった先輩たちにおんぶに抱っこじゃなくて、自分たちでレースを作って優勝できました。今まで先輩たちに練習でも引っ張ってもらっていたので。出雲までは個人の成績で目一杯でしたが、全日本ではチームの成績のことも考えられるようになりました」と駅伝主将として使命感もさらに強くなりました。

箱根に向けては「練習もかなり良くできて、人生で1番良かったと思います」と12月に入ってもかつてないほどの好調ぶり。エース区間・花の2区を走る予定でしたが、前日の調整練習後に体調不良。まさかの欠場となったのです。

3年生で駅伝主将として、エースとしてチームを引っ張り続けてきた安西さん。様々なことを背負わせて負担をかけてしまったのではないか……と、当時4年生で主務をしていた僕ですが、今でも思っています。

急遽、区間配置を大幅入れ替えし、駒澤大学は総合7位でこの年の箱根を終えました。

3年生から駅伝主将を務めた安西さん(中央)。右が僕です。左は翌年主務となった田中克武さん(写真:M高史)

チーム一丸でつかんだ箱根駅伝総合優勝

4年生になって「勝たなきゃだめだ」と安西さんはさらにストイックに自身にプレッシャーをかけて練習に取り組みました。関東インカレでは長距離種目のみで49点を獲得し、2部から1部に昇格! 安西さんも10000m2位に。チームに勢いもついてきたと感じました。

夏合宿を経て、出雲駅伝ではアンカーを任されましたがチームは4位。出雲駅伝を終えたあと故障により全日本大学駅伝は欠場。チームは全日本連覇を果たしたものの「主将として不甲斐なかったです。この思いを箱根にぶつけました」

箱根では上りの強さを買われて5区・山上りを任せられました。当時は23.4kmと最長区間。5位でもらった襷を2位まで押し上げますが、早稲田大学の駒野亮太選手(現・早稲田大学競走部コーチ)も快走。駒野選手に抜かれはしたものの、安西さんもついていきました。

4年生の箱根駅伝では5区山上りに挑みました

「宮ノ下を曲がって上りが急になるのですが、そこでペース上をげられてキツくなってしまいましたね」。駒野選手から離されたものの、1時間20分を切る1時間19分38秒の好タイムで往路2位。先頭の早稲田大学とは1分14秒差でした。

駒澤大学は復路9区で早稲田大学を逆転し、総合優勝を飾りました。ちなみに、今年13年ぶりの総合優勝となりましたが、13年前の総合優勝はこの時です。

歓喜の箱根総合優勝!一番大きくバンザイをしているのが安西さん!

「下級生に負担をかけてしまいましたが、チーム一丸となって優勝できたのは良かったです! 大八木監督の次に主務の田中克武(よしたけ)を胴上げしたんですよ! 監督の次に主務を胴上げできたところに、チーム一丸となれたと感じましたね!」

大学4年間を振り返ると「悔しい気持ちが自分を成長をさせてもらえました。優勝した箱根も区間2位で素直に喜べなかったですし、充実はしていましたが悔しさの残る4年間でした」

箱根駅伝の閉会式にて。右が安西さん。左は副将の藤井輝さん

日清食品グループでニューイヤー駅伝優勝

大学卒業後はJALグランドサービスで2年間、その後は日清食品グループへ移籍しました。この間も大八木監督のご指導も受けながらトレーニングを行なっていました。

日清食品グループに移籍後、2012年のニューイヤー駅伝ではアンカー7区を務め優勝のフィニッシュテープを切りました。

2012年ニューイヤー駅伝。優勝のフィニッシュテープを切る安西さん

日本を代表する選手たちに囲まれて過ごした日清食品グループ時代。多くのことを学ばれたそうです。「キャプテンをしていた保科光作さん(現・慶應義塾大学競走部長距離ヘッドコーチ)は練習から引っ張りますし、しゃべりも、チームの雰囲気作るのも上手で惹かれましたね」

トラック、駅伝での活躍を見せた安西さんでしたが、マラソンへの移行は難しかったそうです。大学4年生の時に30kmで1時間30分40秒の好記録をマークしていましたが「マラソンをやりたかったですけど、練習ができなかったんですよね」とマラソンの難しさについても話されました。

持ち味である強気な走り、ロングスパートを武器に駅伝でも大学、実業団と活躍された安西さん

ご自身の競技人生については「背伸びをしながら、自分に過度な期待をして目標を立てて、自分の目標を追っかけてきて、憧れの選手たちと舞台に立てて良かったなと思います」。競技生活の最後の1年間は再び大八木監督の近くで母校・駒澤大学の選手たちとも関わりながら過ごしました。

福島県チーム監督として、都道府県駅伝優勝!

現在は地元・福島県会津若松市に戻り、安西商会で仕事をしています。また、2017年から都道府県男子駅伝福島県チームの監督も務められています。都道府県駅伝には高校3年、大学4年生の時に選手として福島県代表。JALグランドサービス時代には千葉県代表として2度出場し、そして監督として再び福島県に貢献されています。「福島の代表として『郷土の誇りを胸に』と選手にも言っていますね」

監督として3回目の都道府県駅伝となった2019年大会では福島県が初優勝。これは東北勢としても初めての快挙でした。優勝インタビューで「福島の人たちが力強く生きているということをアピールできました」という言葉にはまさに「郷土の誇りを胸に」という安西さんの熱い郷土愛が込められていました。

優勝インタビューを受ける安西さんとアンカーの相澤晃選手(現・旭化成)

学生時代に箱根駅伝や全日本大学駅伝で優勝、実業団でニューイヤー駅伝優勝、そして監督として都道府県駅伝で福島県を優勝に、まさに「駅伝優勝請負人」といえる安西さん。

「中学生の試合にも積極的に顔を出し、選手とコミュニケーションとるようにしています」。現場を大切にする姿勢は恩師・大八木監督に共通していますね。

中学生から一般区間まで「郷土・福島の誇りを胸に」優勝を勝ち取りました

駒大の恩師・大八木監督の情熱、JALグランドサービスの恩師・佐藤信春監督のユーモアやコミュニケーション、日清食品グループの白水監督の信念や選手への姿勢と、お世話になってきた恩師の良い所を積極的に取り入れて監督業にも生かしています。

安西商会へ伺った時の写真です。安西さんの愛犬・ももちゃんもお出迎え

安西さんが大学4年生以来となる13年ぶりの母校・駒澤大学の箱根駅伝総合優勝については「1回の優勝で満足しないで、次に向けてまた現状打破してほしいですね!」と後輩たちのさらなる活躍をOBとして見守っています。

安西さんの話から伝わってくる陸上への情熱。これからも福島から勢いのある若きアスリートたちが登場することでしょう!

M高史の陸上まるかじり

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