陸上・駅伝

連載:M高史の駅伝まるかじり

日体大OGの大宅楓さん 中距離から3000mSCへ、病気を乗り越え世界への挑戦!

大東建託パートナーズ所属アスリートの大宅楓さん。バセドウ病を克服し、3000m SCで世界を目指しています。※撮影:M高史(以下、写真全て本人提供)

今回の「M高史の駅伝まるかじり」は、大宅楓さん(26、大東建託パートナーズ)のお話です。日本体育大学では800mで日本選手権4位、日本インカレ3位などの活躍。大学卒業後は3000mSCで世界を目指そうとした矢先に、甲状腺の病気であるバセドウ病に。闘病、手術を経て競技復帰し、再び世界を目指しています。

器械体操から陸上の道へ

大宅さんは大阪府出身。小学1年生から中学3年生までは器械体操をしていましたが、中学では器械体操のかたわら陸上部にも所属。大塚高校に進んでから本格的に陸上に打ち込みました。

「器械体操をしていたので自分の体をコントロールするのが得意でしたね。動き作りなどもすぐにできるようになりました。ただ逆に、体の柔軟性がありすぎました(笑)。陸上競技では柔らかすぎても可動域が広すぎても走りの効率が悪くなってしまうので、柔らかくしすぎないようにしていましたね(笑)」と器械体操出身ならではの思わぬ課題についても話されました。

大塚高校ではメインは400m、800m、4×400mリレー(マイルリレー)を中心に取り組んでいましたが、その他にもいろんな種目に挑戦していました。100mや200mといったスプリント種目から、1500mや3000mから駅伝といった長距離。さらには走る種目だけではなく「器械体操経験者ということで棒高跳も誘われたんですよ(笑)」とマルチな活躍をみせました!

高校2年生で800m2分11秒88をマーク。翌年のインターハイを目指していましたが……

高校2年生で800m2分11秒88をマークし、3年生ではインターハイ決勝で勝負するつもりで冬季練習にも励みました。けがもなく順調に練習もでき、インターハイ出場をかけた近畿高校総体。決勝でまさかの7位に終わり、あと1歩でインターハイ出場を逃してしまいました。

近畿高校総体では惜しくも7位。あと一歩でインターハイ行きを逃す悔しい結果となりました

この時の記録2分10秒16は、各地区大会で6位までに入れなかった選手のこの年の最速記録だったそうです。

この経験が大宅さんの気持ちに火をつけることになりました。「当時はすごく落ち込みましたが、今思えば逆に行けなくて良かったなと思います。大学で陸上を続けるか迷っていた時期だったのですが、インターハイに行けず悔しい思いをしたので、『大学でも本気でやりたい』と思いが変わったんです」と決意する出来事となりました。

名門・日体大中距離ブロックへ

高校卒業後は日本体育大学へ。中距離ブロックがあり、専門的に中距離の指導を受けられる点にも魅力を感じていました。

中距離ブロックを指導されているのは1500mの元日本記録保持者の石井隆士先生。学生時代トラックシーズンはマイルリレーで400mを走り、冬は箱根駅伝で1区区間賞を獲得されるなど、マルチなご活躍をされた方です。

大学に入ってからは環境の変化もありとにかく必死な日々。入学後、貧血に苦しみましたが、貧血も改善して1年生ながら日本インカレにも出場。予選では自己ベストとなる2分09秒29をマークし、準決勝まで駒を進めました。

2年目はさらに2分08秒68まで記録を伸ばしましたが「日本選手権の標準を狙っていた(当時のA標準2分08秒00)ので悔しかったですね」。3年生では関東インカレも日本インカレも決勝で勝負したいという思い、さらに日本選手権に出場したいという思いがありましたが、自己ベストを更新したものの2分08秒00を切れず。なかなか思い描いていた理想の走りができませんでした。

4年生になって最後の関東インカレでは準決勝で2分07秒87。ついに日本選手権の標準を突破しました。決勝では2分08秒61で4位となりました。

4年生の関東インカレではついに日本選手権の標準記録を突破しました

日本選手権初出場となりましたが、出場だけに満足していませんでした。「大学生が強かったので、メンバーを見て優勝を狙える位置にいると思っていました」。初出場ながら優勝を狙った800m決勝では2分09秒82で4位に!「周りからは初めてなのに入賞できて良かったと言われましたが、内心は悔しい気持ちでしたね」

実は日本選手権の前、4週間ほど母校・大塚高校で教育実習があった大宅さん。教育実習中はなかなか練習時間を確保できず、授業、指導案作成、部活の付添などの合間に時間を見つけて練習をして挑みました。「日本選手権では予選は走れましたが、決勝は練習不足が出てしまってスタミナ切れでしたね(笑)」

そんな中でも教育実習は大宅さんにとって貴重な経験となりました。「高校生からエネルギーをたくさんもらいましたし、充実していましたね。陸上に集中できる時間を大切にしていこうと思いました!」

4年生ラストイヤーで優勝を狙っていた日本インカレ決勝。ラストの直線に入る直前に他の選手が転倒するなど波乱の展開の末、2分09秒18で3位となりました。

地元・大阪で開催された日本インカレということで友人たちも応援に駆けつけてくれました

「800mではちょっとしたタイミングで(結果が)変わってしまうんです。本当に強かったら挽回できるのですが。レース中の細かい動き、位置取りなど、心理戦が800mの魅力ですね」と悔しさの中にも800mの醍醐味を感じていました。

マイルリレーにも登場!

また、400mでも55秒81のベストを持っていた大宅さんは4年生になるとマイルリレーのメンバーにも誘われました。「高校時代からマイルリレーには出ていましたし、みんなで勝負できる種目で楽しかったですね」。関東インカレでは3走を務めチームも3位に。日本選手権リレーにも出場しました。

「高校時代からマイルが好き」という大宅さん。写真は大学4年の関東インカレ

4年生の時には陸上部の女子副将を務めていたこともあり、個人種目だけでなくリレーでもチームを鼓舞したいという思いもありました。

「日体大は部員も400人くらい、中距離ブロックだけでも男女合わせて40人くらいいましたし、他ブロックの選手とも仲良くしていたので刺激になりましたね」とチームメイトの活躍も大いに刺激となりました。

チームメイトと切磋琢磨し、刺激を受けた濃い学生生活となりました

また、恩師である石井先生について「メニューは細かく出していただけますが、練習に関しては黙って見守ってくださる先生でした。こちらから質問、相談しにいくと親身になって相談に乗ってくださいましたね」と信頼のおける恩師のもとで記録も伸ばしていきました。

1500mの元日本記録保持者でもある恩師・石井隆士先生を囲んで

「大学4年間で人生が変わりました。自分にとって人生を左右するくらい大きい4年間、濃い時間でしたね」と学生時代を振り返りました。

上野敬裕コーチとの出会い

大学卒業後も陸上をやりたいと決めたのは大学3年の時でした。現在、大宅さんのコーチをされている上野敬裕さんとの出会いがきっかけでした。「当時、上野さんは日体大を拠点に練習をされていた岸川朱里さん(当時・長谷川体育施設所属)のご指導をされていていたんです。一緒に練習はしていなかったのですが、下級生の頃から顔見知りで上野さんは私の走りを褒めてくださっていたんです」

卒業後も陸上を続けるか就職活動をするか迷っていた時に、上野さんからかけられたのは意外な言葉でした。「3000mSCでオリンピックに出よう!と声をかけていただきました。そのときは『なんで3000mSC?』と思いましたね(笑)。上野さんからは『大宅選手のスピードと身体能力を活かし、じっくり土台を作っていけば、チャンスがある種目』というお話を伺いました。正直なところ、800mで世界を目指すのは難しいと思っていたんです。世界の舞台で戦うことができないのであれば、社会人で競技を続けるという考えはなかったのですが、3000mSCならまだ可能性があるかもしれないと思い、決断しました」

アスナビに登録し、所属先を探していたところ大東建託パートナーズに採用していただき、競技を継続できることになりました。

4年計画の途中、バセドウ病に

大東建託パートナーズにアスリート採用として入社した大宅さん。「業務もありますが、競技に集中できる環境で全面的に応援してくださり、本当にありがたい環境です」と会社への感謝を口にされました。

2017年の日本選手権800mに出場する大宅さん

3000mSCで五輪を目指すにあたって、4年計画で競技に取り組みました。「1、2年目は800m、そして1500mに距離を伸ばしていくことでした。長所であるスピードを活かして、世界で活躍するために4年計画で距離を伸ばしていこう」と決めたのは2016年のこと。当初2020年開催予定だった東京五輪から逆算しての計画でした。

2017年ホクレンディスタンス網走大会1500mに出場。少しずつ距離を伸ばし始めました

スピードを活かしながらも距離も伸ばし始め「持久力もついてきて、これなら勝負できるな」と手応えを感じ始めていた3年目、2018年のシーズン。

冬季練習は順調でしたが、春になりシーズンに入る前から少しずつ調子が悪くなってきたそうです。「だんだん日に日に悪化してきまして、試合で思うように走れなくなってきたんですね。ちょっとずつで気づかなかったんです。7月にはポイント練習もできない状態、ジョグもキツい状態でした」

病気発覚前に出場した金栗記念1500m。不調の原因がわからず苦しい日々が続きました

最初は貧血かと疑いましたが、血液検査の結果は正常。会社の健康診断も問題ありませんでした。原因不明の不調に苦しみましたが「親身になってくれる先生に診ていただき、検査できるものは全部しようと調べてくださいました」。その結果、7月下旬に病気が発覚。バセドウ病という甲状腺の病気でした。

「ホルモンが普通の人よりも出すぎてしまい、すごく汗をかいたり、体重がどんどん減ってしまう、脈が常に早くて、動悸があったり、ちょっとしたことで疲れてしまうなどありました」。そんな状態でも陸上をやめようとは一切思わなかったそうです。

甲状腺専門の伊藤病院で、3つの治療法から選択することになりました。「薬による治療」「手術」「放射線治療」の中から選ぶことになりましたが「1番早く治るのが手術と聞いて、迷いなく手術を選びました。早く手術して治すのが一番と思いました。とにかく早く復帰したかったんです」。無事に手術も成功し、術後1週間で退院。

手術後、初練習の日。体の変化にショック、戸惑いがありました

ところが手術後、全く思うように体が動きませんでした。「一時、体重がすごく減ってしまったところから逆に体重が増えてしまって、筋力も衰えていたんです。練習再開と思って10分ジョグから始めたのですが、以前の自分の体じゃないみたいで、ショックでしたね」。戸惑いもありましたが「それでも目標は変わらず『オリンピック!』と思って、毎日毎日を大事に少しずつ積み上げていこうと思いました」

上野コーチとも今まで以上に話し合い、試行錯誤しながらいろんな壁に当たりながら1つ1つ乗り越えていった数カ月となりました。

復活、そして3000m SCで世界へ!

復帰戦となったのは2019年7月のホクレンディスタンス千歳大会1500m。4分34秒10で11位という結果でしたが「まずはスタート地点に立てましたし、練習もかみ合ってきました」と一歩前進でした。

10月に新潟で開催されたデンカ・アスレチック・チャレンジカップでは待ちわびた3000mSC初レース。「とりあえず出るという感じでキツかったですが、伸びしろを感じたレースでした」。10分46秒99とタイムには納得していないそうですが、その先につながるレースとなりました。

3000m SC初挑戦となったデンカ・アスレチック・チャレンジカップ

その後、2020年には新型コロナウィルス感染拡大により東京五輪延期、試合も中止が相次ぎ、練習環境がなかなか整わない日々が続きました。

東京選手権で優勝し、秋のシーズンで記録を狙う予定でした。ただ、なかなか試合もなくて唯一出場できたのが10月に香川県で開催されたナイタートライアルin屋島。出場選手は大宅さんを含めて2人というレースで10分37秒99。トップをとったものの日本選手権の標準には届かない記録でしたが「落ち込んではいたが、上野さんとしては全然大丈夫と。レース内容を含めてこれくらいで走れていれば来年はいけるという言葉をいただきました」

大障害でも足をかけずに跳んでいく大宅さんのハードリング

大宅さんは大障害を超える際に足をかけずに跳んでいくスタイル。「足をかけていたら世界の舞台では勝負できないと思い、このスタイルになりました」。ちなみに、中学まで器械体操をしていたこともあって、水濠やハードルを越える際は恐怖心なく跳んでいけるそうです!

練習にて。水濠も軽やかに越えていきます

「私は元々、過去を振り返ればそこまで競技力もなくて、インターハイにも出られませんでした。それでもずっと目標を掲げてやっていれば叶う、目標を達成できるということをいろんな人に伝えていきたいです。また、病気の時に周りの方のサポートや応援、ありがたみを感じました。その気持ちを忘れずに 特に苦しい時に手を差し伸べてくれた方を一番大切にしたいですし、どういう状況でも忘れないようにしたいですね。病気になっても温かく見守って支えてくれた会社にも感謝しています」

病気を乗り越え、目標達成のために走り続ける大宅さん

自ら掲げた目標に向けて、数々の困難や挫折を乗り越えて現状打破してきました。「支えてくれて応援してくれた方々のためにも結果で恩返ししたい」という大宅楓さんの挑戦は続きます!

M高史の駅伝まるかじり

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