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特集:東京オリンピック・パラリンピック

順大・三浦龍司 大学初戦で3000mSC日本歴代2位、“壁”を超えて世界へ

順大トラックの水濠の障害には、歴代の選手たちが練習した跡が激しく残っている(撮影・寺田辰朗)

今年洛南高校を卒業し、順天堂大学に入学した三浦龍司。高校時代から3000m障害(SC)に取り組み、昨年の日本選手権に出場、インターハイでは2位の成績をおさめていた。大学に入って初めての3000mSCのレースとなるホクレンディスタンスチャレンジ千歳大会で、いきなり日本歴代2位の記録を樹立。好記録の理由と今後の目標を、長門俊介監督の視点も交えながら紹介する。

いくつもの“壁”を一度に越えた千歳大会

高校を卒業してわずか3カ月半の三浦龍司が出した8分19秒37は、長年、3000mSC選手の壁となってきた2つの記録を超えていた。

新宅雅也(当時日体大)が79年に出した8分25秒8の学生記録を41年ぶりに、愛敬重之(当時中京大)が83年に出した8分31秒27のU20日本記録を37年ぶりに塗り替えたのだ。また、コロナ禍の影響で世界陸連が適用期間外にしているが、8分22秒00の東京オリンピック参加標準記録も上回った。

8分19秒37の表示の前で笑顔を見せる三浦(代表撮影)

ホクレンディスタンスチャレンジ千歳大会の1000m通過は2分48秒で、03年パリ世界陸上で岩水嘉孝(トヨタ自動車、現資生堂ヘッドコーチ)が出した8分18秒93の日本記録とほぼ同じだった。にもかかわらず三浦は、「シニアの方たちと一緒のレースですから、これくらいついて行かないとダメかな」と、心理的にブレーキをかけることはなかった。2000mは5分41秒で、それも岩水の日本記録と同タイムの通過だった。

「アナウンスは聞こえていませんでした。(3カ月半ぶりと)久しぶりのレースで、自分の走りを確認することに集中していたというか。2000m地点では、高校時代にはなかった“脚が残っている”感覚があったんです。これならキプラガット選手と勝負できると思って、残り2周を一緒にペースアップしました」

P・キプラガット(愛三工業)は三浦と同学年で、インターハイでこの種目3連覇した選手。三浦も洛南高3年生だった昨年、30年ぶりに高校記録を更新してインターハイに臨んだが、キプラガットに29秒00の大差を付けられた。8分20秒台前半を何度も出すなど、三浦が「“壁”だな」と感じていた選手である。

キプラガット(右)と最後まで競ったことも好記録につながった(代表撮影)

2人でペースを上げた結果、山口浩勢(愛三工業)や青木涼真(Honda)らのシニア選手を引き離し、フィニッシュ前ではキプラガットにも0.23秒競り勝った。「記録はまったく考えず」に自身の走りとキプラガットとの勝負に集中した結果、日本記録に0.44秒差と迫る歴代2位のタイムでフィニッシュしていたのだ。キプラガットという“壁”を越えた結果、学生記録とU20日本記録も自然と破っていた。

そして「それまではパリオリンピックを目標にしていましたが、東京オリンピックも狙って行きます」と、 三浦に次の“壁”が現れたレースになった。

三浦の意識する“壁”は通常とは異なるニュアンス?

“壁”を一気に越えられた要因として三浦は、コロナ禍による自粛期間の自宅での練習と、順大に戻ってからの試合に向けたスピード練習が「噛み合った」ことを挙げている。

「4月上旬から5月中旬まで実家(島根県浜田市)に戻って1人で練習していましたが、その期間で距離踏み、脚づくりができたのは確かです。毎日、20kmくらい走っていました。高校では対応しきれなかったロング(長い距離)の力を高められ、それに順大に戻ってから行ったスピード練習がプラスされて、思った以上に走力が上がったのだと思います」

昨年の高校記録も櫛部静二(宇部鴻城高、現城西大監督)が89年に出したタイムを30年ぶりに更新したものだった。順大の先輩に当たる塩尻和也(富士通、順大2年時にリオデジャネイロオリンピック出場)も高校時代に挑戦したが、惜しくも届かなかった記録である。

「高校記録も“壁”として意識していましたが、どうやったら越えられるかを監督(洛南高の奥村隆太郎長距離監督)と相談して、ミドル(中距離)的な動きの練習も加えたことが良かったと思います。最初に高校記録を更新した近畿インターハイも、1500mに出ていました。今思えば、千歳大会に向けての練習パターンと似ていましたね」

この期間で、高校時には対応しきれなかった長距離の力を高められた(撮影・寺田辰朗)

取材の受け答えを文字にして感じるのは、我々が使う壁と三浦の言う“壁”に、違いがあるかもしれないこと。自分に立ちはだかる高い壁、というよりも、自身が乗り超えるべき目標というニュアンスで意識している気がした。キプラガットとの力の差は実感していたが、世界で戦うことを目標とする三浦にとって、超えるべき対象という気持ちが強かった可能性が高い。

学生記録とU20日本記録は“壁”と感じる暇(いとま)もなく出した、というのが実際のところだが、その2つよりも日本記録を“壁”ととらえていた。

「最大目標として歴代記録の一番上を考えていたので、そこを目指す過程として、段々記録を伸ばしていこうと考えていました。(学生記録とU20日本記録を)軽く見ていたわけではなく、細かく見過ぎないようにしていた感じです」

その最大目標に0.44秒と肉薄し、順大での4years.で出せればいいと考えていたレベルに大学初戦で到達した。超異例のケースといえるだろう。長門監督も「今回の記録が壁になってしまう心配」を少しだけ感じているが、そこは三浦もしっかりと考えを巡らせている。

「千歳大会直後は目標設定をどうしようか迷っていましたが、冷静に考えれば8分19秒37は一発出せただけ。幻の記録にならないようにしないと。千歳大会のようにシニアの選手や周りのおかげで出せたタイムでなく、自分の本当の力として出せるところに持っていく。それが直近の目標になります」

万が一今回の記録をしばらく破れず壁となったとしても、それを三浦の“壁”(目標)とする。一般的な言葉で言えば壁と感じないようにする。そこを想定する冷静さも持ち合わせている選手だ。

卓越したハードル技術と駅伝への意欲

三浦が年代別の3つの記録を大きく越えられた要因の1つとして、長門監督は「ハードル技術」を挙げる。

「塩尻は走力があって在学中に日本代表まで成長しましたが、ハードリング技術で行き詰まっていた部分もありました。その点三浦は、小学校の頃から通っていた地元のクラブでハードルもやっていました。(400mH世界陸上入賞者の)山崎一彦監督からもお墨付きをもらっています」

長門監督は三浦のハードリング技術の高さが好記録につながったと見る(撮影・寺田辰朗)

三浦は浜田JASに小学1年時から週3日ほど通い、複数種目に取り組んだ。80mHもそのうちの1つで、浜田市では1位になったこともある。だが「地元のマラソン大会に出たりして、長距離が好きでした」と、中学校からは1500m、3000mをメイン種目にした。全国大会では予選落ちだったが中国大会では2種目で優勝。京都の洛南高から声をかけられて進学し、3000mSCに取り組み始めた。

「中学に入ってもクラブと学校の部活の両方で練習をしていて、高校で3000mSCをやることはクラブの上ヶ迫定夫コーチが勧めてくれました。それも想定して小さい頃から僕にハードルをやらせてくれた。県外へ進学することも、上ヶ迫コーチが背中を押してくれました」

洛南高はインターハイ男子総合優勝史上最多の8回を誇る名門で、110mH、400mH、3000mSCでは何人も全国優勝者、歴代リスト上位選手を輩出している。ハードリング技術を指導することでは全国有数の高校だった。

そして塩尻がそうだったように大学は、3000mSCではナンバーワンの順大を選んだ(表参照)。三浦自身も「滞空時間や抜き脚の動きにロスがある。まだ荒削りです」とハードリングの課題を挙げ、順大での成長を期している。

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◆3000mSC日本歴代リスト(8分30秒未満)
8.18.93 岩水嘉孝(トヨタ自動車)★03/08/23
8.19.37 三浦龍司(順大1年) ★20/07/18
8.19.52 新宅雅也(エスビー食品) 80/07/08
8.21.6 小山隆治(クラレ) ★74/06/22
8.25.04 山口浩勢(愛三工業) 20/07/18
8.25.85 青木涼真(Honda) 20/07/18
8.26.48 内富恭則(中国電力) 97/10/29
8.27.15 山田和人(日産自動車) ★90/08/17
8.27.25 塩尻和也(富士通) ★19/06/27
8.28.98 仲村 明(富士通) ★92/06/14
8.29.05 潰滝大記(富士通) 17/07/13
8.29.85 阪口竜平(東海大4年) 19/06/29
★=OBも含めた順大選手
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そして順大では、3000mSCの選手が駅伝にも取り組んで結果を残してきた。3年時の全国高校駅伝は1区区間21位と悔しい結果に終わった三浦だが、5000mでは13分51秒97と昨年の高校リスト(日本人)2位のタイムを出している。千歳大会5000mで13分28秒31のU20日本記録をマークした吉居大和(中大1年、仙台育英)よりもタイム的には上だった。学生駅伝でも期待の選手であることは間違いない。

水濠から見たトラック。三浦はこの景色を何度も見ながら順大で4年間の学生競技生活を送る(撮影・寺田辰朗)

「駅伝の目標は定番ですけど、区間賞です。全日本大学駅伝なら(10km前後の区間が多いが)、距離の長い7区、8区でも区間賞を目指せる力をつけたい。箱根駅伝なら6区を走ってみたいですね。3000mSCの選手が走ってきた区間だからというより、自分自身下りが好きですし、上りより向いていると思います。最初に6区が思い浮かびました」

6区では今年、館澤亨次(東海大、現横浜DeNA)が57分17秒と区間記録を40秒も更新したが、三浦は「区間記録やコースの厳しさをわかっていないのですが、これから真剣に考えていきます。その前に、ロードをどう走ればいいかを考えていきます」と屈託なく話す。

駅伝やロードレースに「苦手意識がある」と正直に認めるが、三浦にとっては目標に近い“壁”なのだろう。

駅伝の3000mSCへのプラス効果も

駅伝にも意欲を見せる三浦だが、東京オリンピック標準記録を上回った3000mSCの方が高い評価を得ている。三浦自身も「今の力が通用するのは3000mSCだと思います。オリンピックは夢ですし、そこで勝負ができるなら、オリンピックという舞台を目指したい」と言う。アスリートなら当然の気持ちだろう。

長門監督も12月の日本選手権について「塩尻が箱根予選会前にアジア大会に出場したように、三浦も箱根仕様ではなく日本選手権にしっかり合わせる」と、個人種目優先の方針を明言している。

駅伝に取り組むことが3000mSCへのさらなるプラスをもたらすかもしれない(撮影・寺田辰朗)

だがやり方次第では駅伝に出場することが、3000mSCへのプラス効果になるかもしれない。色々な角度からアプローチができることだが、長門監督は障害のハードリングが向上する可能性も指摘する。

「千歳大会ではラスト1周は障害に足を乗せずに着地しましたが、そこまでは他の選手の後ろについていると足が詰まってしまい、障害に足をかけていました。国際大会などでスピードが上がれば、かけないで行けるかもしれません。本人はまだ怖いと言っていますが、そこをクリアすればもっとすごい記録が出る」

今後は独走となることが予想される学生の大会などで、前半から足を乗せないハードリングを試すことも検討している。また、前半からその走りをすることで後半の余力に不安があるなら、「脚力養成につながる」(長門監督)駅伝への取り組みが、3000mSCにも好影響を及ぼす。

4年間で達成したい各種目の記録は?

三浦には大学4年間で達成したい各種目の記録がある。

1500mは「走るチャンスが少ないので難しいかもしれませんが3分30秒台」だ。高校記録につながった中距離のスピード持久力が向上すれば、大学でも3000mSCに間違いなくプラスとなる。

5000mは「吉居君の記録を超えていきたいので、13分20秒台前半か13分10秒台」と同学年選手の名前を挙げた。入学早々U20日本記録保持者になった2人の軌跡が、4年間でどう交わるかも興味深い。

そして10000mは「塩尻さんの背中を追いかけているので27分台」だという。3000mSCの記録はすでに上回ったが、塩尻は10000mでも学生日本人歴代3位の27分47秒87を持つ。

ハーフマラソンは未経験のため「目標を決めるのはまだ早い」という考えだが、この種目でも学生トップレベルの記録を出せば、長門監督が指摘したように前半から足を乗せないハードリングにつなげられる。

日本記録への挑戦はもちろんだが、三浦の学生競技生活には注目すべき点、楽しみな点しかない。いくつもの“壁”を越えながら順大での4years.を駆け抜ける。

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