陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2025

東洋大・中澤啓太 選手で入部がかなわず、マネージャーへ「自分の居場所」を見つけた

短距離部門で唯一の男性マネージャーとしてチームを支えた中澤啓太(撮影・東洋大学スポーツ新聞編集部)

東洋大学陸上競技部短距離部門の主務・中澤啓太(4年、千葉南)は選手としての入部がかなわなかった。短距離部門で唯一の男性マネージャーとして、誰よりも近くでチームを支え続けた大学生活だった。

心に刺さった梶原道明監督からの言葉

東洋大には一般入試で入学し、当初は選手としての入部を望んだ。中学から陸上を始め、全国高校総体(インターハイ)出場をめざした高校時代、3年時は新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になってしまった。自身もケガに苦しみ、出場できたレースは肉離れ明けの1本だけ。万全とは言えない状態で100mに挑み、11秒00(±0.0m)。不完全燃焼のまま引退し、やりきれない気持ちが残った。

高校までは自身も短距離の選手として競技に打ち込んだ(本人提供)

大学でも選手として陸上を続けたかったが、国内トップレベルを誇る東洋大陸上部に入るには、タイムが足りなかった。「自分で練習して、速くなって入部しよう」と決意し、1年目は1人で練習に打ち込んだが、ケガも多く、なかなか思うようにはいかなかった。

そんな時、Xで部からマネージャー募集のポストが流れてきた。「マネージャーもありかもな」。そう思った中澤は、思い切って連絡した。選手としての未練もあったが、練習見学に行った際、梶原道明監督から伝えられた言葉が、迷う気持ちを消し去った。

「選手と感動を共有して、彼らのことを思って涙を流せるマネージャーになれるなら、ぜひ入ってほしい」。心に刺さり、1年目の終わりごろにマネージャーとしての生活が始まった。

1年目は1人で練習に励み、2年目を前にマネージャーとなった(本人提供)

「自分にしかできないこと」を探した

練習の準備に始まり、動画の撮影やタイム計測などで選手をサポートするのが、基本的なマネージャーの役割だ。他にも、選手一人ひとりのスケジュール管理、大会のエントリーと遠征先のホテルや移動手段の確保、記録の集計、会計、SNS運用と業務は多岐にわたる。「はじめは苦手な部分も多かった」という中で、中澤が最も大切にしてきたことは「コミュニケーション」だった。寮でともに暮らす選手や監督と積極的に話し合い、自分にしかできないことを探した。

大変なことはあっても、マネージャーとして過ごした3年間にネガティブな気持ちはないという。理由は「陸上が好きだから」。2年の秋からは主務としてマネージャーをまとめる立場になり、計2年間務めた。

3年時の日本インカレ男子4×100mリレーで優勝を果たしたとき(本人提供)

ひときわ忘れられない日本インカレ4継決勝

中澤にとって昨年9月19日~22日に開かれた日本インカレは、陸上人生で最後の大会となった。4日間は目の前のことに夢中で、感傷に浸っている暇はなかった。それでも、自分の中で決めていたことが一つあったと言う。「4年生のコール(招集)だけは絶対見送りに行こう」。3年間をともに過ごした同期が戦う姿を見届けた。

すべての瞬間に思い入れがある中でも、ひときわ忘れられないレースがある。大会3日目の4×100mリレー決勝。中澤はチームの応援席とは別の場所から、レースの様子を動画に収めるために仲間たちを見守った。レースは早稲田大学との一騎打ちとなり、混戦のままアンカーの大石凌功(りく、2年、洛南)がゴール。目視ではどちらが先着したのか、分からなかった。

早稲田大との一騎打ち。正面から見た限りでは、どちらが先着したのか分からなかった(撮影・井上翔太)

全員が祈るように見つめた大型スクリーン。一番上に表示されたのは、早稲田大だった。「負けたのか……」。そう認識した瞬間、泣き崩れた。両チームとも大会記録と日本学生記録を塗り替え、そのタイム差は0.02秒。中澤は気持ちの整理がつかないまま、「ごめんなさい」と謝る大石にかける言葉が見つからなかった。

中澤が泣いたのは、このときだけではない。1年前の関東インカレ4×100mリレーで優勝を果たしたときも、涙を見せた。以来、メンバーはずっと「優勝して中澤さんをまた泣かせます」と話してくれていたという。

今季のチームが掲げていた目標は「4継(4×100m)、マイル(4×400m)の両リレーともに学生記録で連覇」。最後はうれし涙ではなかったものの、本気でチームのために捧げてきたから、流せた涙だった。

レース後、アンカーの大石と握手を交わした(本人提供)

これからも、誰かを支えることは変わらない

本当は、選手としてスポットライトを浴びたい気持ちもある。それでも、マネージャーとして過ごした3年間については「365日、全部が輝いていて。きっとこれから先、こんな時間はないんだろうなって思えるくらい、濃い毎日でした」。チームを支えてきた日々は、かけがえのないものになった。

「事あるごとにみんなは『中澤のおかげで』って言ってくれたけど、そんなこと1ミリもなくて。僕の方こそ、みんなのおかげでいい思いばかりさせてもらいました」。仲間の活躍が、何よりもうれしかった。もし東洋大でなければ、選手を続ける選択肢もあったかもしれない。だが、国内トップクラスのみならず、世界の舞台を狙う選手もいる東洋大でしか、見られない景色がたくさんあった。

卒業後は銀行員として仕事に携わる。陸上競技から離れるが「誰かを支える」という根底は変わらない。「やっと自分の居場所を見つけられた。自分が本当に輝ける場所を見つけることができました」。自身の記録は残らず、表舞台に映らないところで、チームとともに懸命に戦った経験を今後の糧にする。

中澤が支えてきた"日本一速いチーム"で記念撮影(撮影・東洋大学スポーツ新聞編集部)

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