陸上・駅伝

プロランナー神野大地「原さんの教えが人生を変えた」

神野はいま、エチオピア合宿の準備にとりかかっている(撮影・山口裕起)

後悔のない人生を――。青山学院大学時代に「山の神」と呼ばれた神野(かみの)大地(セルソース)の生き方は、まさにこの言葉を体現している。安定した生活が約束された実業団をやめ、何の保障もないプロランナーとして東京オリンピックを目指す25歳。目標設定の大切さ、前例や周囲の意見に左右されない芯の強さの源について聞いた。

常に掲げる「でかい目標」「半歩先の目標」

神野は3月3日の東京マラソンで、東京オリンピックの代表選考会となるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ、9月15日)への出場権を手にした。あれから2週間あまり経った3月20日、彼は4月からのエチオピア合宿へ向け、調整を始めていた。

神野は東京マラソンを2時間11分5秒で走り、ワイルドカード枠でのMGC出場を決めた(撮影・藤井みさ)

1km5分ほどのペースでゆっくりと走る。「いまはエチオピアに向けて体を整える時期です。エチオピアですぐに強い練習に入れるよう、準備をするのが目標です」

準備が目標? 神野は常に2つの目標を設定する。「でかい目標」と「半歩先の目標」だ。いまなら、前者は東京オリンピックのマラソンに出場し、1番になること。その目標を達成するために、1カ月ごとに目標を立てるのだという。

「月の目標は『半歩先』でいいんです。少しずつ積み上げることで、振り返った時に2歩、3歩と進んでる。僕はそうやって成長してきました」

大学時代から続けてきた習慣だ。設定した目標は必ず、書く。書くことで責任感が生まれる。「目標はみんな持ってる。練習だってみんなやってる」。その中で、青学大の原晋監督は日ごろの体のケア、睡眠、食事など、練習以外の部分を大切にしていた。そこで差がつくのだ。

目標設定もその一つ。「半歩先」という、ある意味で簡単な目標を常に持つことは、神野の性格にも合っていたのだろう。「中学で陸上を始めたときは、女子よりも遅かった。でも、人よりも努力を積み重ねたから、いまの自分があると思います」

東京マラソンのゴール直後、神野は小さく右手でガッツポーズ(撮影・藤井みさ)

青学じゃなければ、プロになる発想なかった

神野にとって、青学大で得たものは大きかった。とくに原監督については「原さんの教えが人生を変えた」とまで言う。

「原さんは『おれは、こう』という持論を持って突き進むタイプ。誰の意見だろうが、自分の中で違うと思えば、『違う』と言える人間になろうと言われてきた。おそらく、青学じゃなかったら、プロになるっていう発想もなかった」

大学卒業後の16年4月、実業団の名門で一部上場企業でもあるコニカミノルタに入社したが、約2年で退社。ある意味で「安定した生活」を捨てた。

プロ転向については「親にも相談しなかった。やめると決まったあとに報告しました」という。「コニカの環境はすごくよかったです。設備もいいし。ただ、ケニアで練習したくてもできませんし、ほかの人と同じような練習をしても、東京オリンピックには届きそうにないと思いました」

そう思ったら、もう動くしかなかった。「後悔のない人生を送りたい」からだ。唯一相談した原監督は「前例がないけど、挑戦したらいいんじゃないか」と、背中を押してくれた。一方で「おれを頼るなよ。自分でプロになったんだから、自分の道をつくれ」とも。事実、監督に頼ることなく、5度目のフルマラソンでMGCの出場権を手にしたのだ。

注目され、いい結果出せば本当の一流

大学3年生で出た15年の箱根駅伝だった。山登りの5区を驚異的な区間新記録で走り、青学大初の総合優勝に貢献。「3代目山の神」と呼ばれた。

神野大地という名前も相まって、「3代目山の神」の相性は広く知れ渡った(撮影・山口裕起)

あれから4年あまり。神野は「そう呼ばれて注目されるのはうれしいことです。半端じゃないプレッシャーもあって、そこに苦しんだ時もありました。でも、その中でいい結果を出せれば、本当の一流。MGCや東京オリンピックは全員にプレッシャーがかかる。そういう意味では、僕はもう、そういうプレッシャーを知ってますからね」

にやっと笑った山の神には、目標に向かって迷いなく、後悔なく、ワクワクしながら日々を突き進む充実感が漂っていた。

in Additionあわせて読みたい