慶應端艇部主将・新井勇大、史上最高に圧倒的に勝つ
慶應義塾体育会端艇(ボート)部主将の新井勇大(新4年、慶應志木)には、忘れられないレースがある。2年前、2年生の春の早慶レガッタだ。新井は下級生として唯一、Aクルーの一員として対校エイトに出場した。この年のAクルーは「慶應史上最速」とも言われる強さを誇り、対校エイトに史上初の6連覇を期待する声も大きかった。Aクルーの選手たちも勝利を信じて疑わなかった。
慶應史上最速メンバーたちの誤算
最高気温26.1度、南南東からの微風という春らしい陽気の中、第86回早慶レガッタは開催された。対校エイトは午後3時半に新大橋上流からスタート。3750m先の桜橋上流のフィニッシュ地点へ向けて両校とも順調に漕ぎ進めた。試合が動いたのは中盤、1500mくらいのところだった。早稲田が攻めに出た。
「早稲田が先にアタックしましたけど、私たちはすぐには仕掛けませんでした。早稲田がどのように動いても、いつでも抜き返せる自信がありました。自分たちのやり方でやれば勝てると」
ところが最後まで差を詰め切れず、1艇身の差を残して慶應は負けた。「コンディションもよかっただけに、敗北の原因は私たちの慢心としか言いようがありませんでした。6連覇だけはなんとしてもさせないという早稲田の意地を、過小評価してました」
身をもって知った全国大会の壁
いまはU23日本代表にも名を連ねるほどの実力を誇る新井だが、ボートを始めたのは慶應志木高校に入学してからだ。中学では陸上の短距離の選手だった。
「高校に入学して短距離を続けようとしたら、慶應志木の陸上部は短距離のパートがなかったんです……。そんなときに誘われました。実は祖父が東大漕艇部でボートに乗ってたんですよ。そういう縁もあってボートは身近に感じてたので、入部しました」
新井は高3のインターハイでベスト16まで進んだ。そこで全国トップレベルとの差に衝撃を受けた。
「身体の大きさも技術も全然かないませんでした。部活を引退しても自分の中でやりきったという感情は湧いてきませんでした。だから大学でボートを続けることに迷いはなく、入学前の2月から合宿所に入って練習に参加しました」
「大学入学後は運がよかった」と新井はいう。トップレベルの選手と一緒に漕ぐ機会もあり、オリンピックに3回出場した経験を持つ外部コーチの田邉保典氏(現ヘッドコーチ)の指導を受けるチャンスもあった。新井はこの恵まれた環境をムダにせず、学んだことを積極的に採り入れてレベルアップを目指した。
人生初の優勝から飛躍へ
新井のターニングポイントとなったのが2017年のえひめ国体だ。新井は埼玉県選抜で出場し、舵手つきフォアで優勝。人生で初めての優勝だった。
「この年の埼玉県のクルーは私以外4人全員が日本代表選手というメンバー構成で、その方たちに優勝までつれていってもらったにすぎません。でもトップ選手と漕ぐことによって学ぶことも多かったですし、国体で優勝してからは急に視界が開けたような感じになり、競技力も向上しました」
たしかにえひめ国体での優勝以後、いい結果が出るようになった。高校時代には勝てなかった相手にも勝てるようになり、18年と19年のU23日本代表選手に選ばれるまでになった。
3万人の見守る中でも冷静に
通常のレースは2000mなのに対して、早慶レガッタは3750mと長い。コースが蛇行しているため、コーナーごとにインアウトの差が生まれ、両艇は詰めたり詰められたりする中で漕いでいく。さらに遊覧船などの波があって、通常のボートでは転覆する可能性もあり、両校とも特注の艇を使う。観戦者も3万人を超え、選手たちはどのような状況でも冷静に対応できる精神的なタフさが求められる。
対校エイトは舵手(コックス)と漕手(そうしゅ)8人の計9人で戦う。座る順番は進行方向の艇首からバウ、2番、3番……、と7番まで続き、漕手の最後がストローク。そして艇尾に舵手となる。バウと2番はテクニックもあり、声を出して仲間を元気づけられる選手。3番から6番は身体も大きくパワーのある選手が配置される。ストロークはボートのリズムを作り出す。新井は7番を任せられている。
「私のポジションは一番重いところなので、もちろんパワーが重要ですけど、ストロークがつくるリズムを的確に他の漕手に伝えないといけません。そして全員でアタックを仕掛けるというタイミングでは声を上げて、クルーの最大出力を引き出す。これが私の役目だと思っています」
対校エイトは慶應が5連勝したあと、2連敗している。さらにこの2年間は第2エイトも女子エイトも負けている。前述のように新井は2年生のときから対校エイトに乗っている。とくに2年生のときは、勝てるという思い込みが敗北につながった。この連敗の責任を感じているだけに、今年の一戦にかける思いは強い。
「絶対に勝たなくてはいけません。しかもただ勝つだけでは、この2年間の悔しさは晴らせません。史上最高の圧倒的な勝ち方をしたい。残念な思いをさせ続けてしまっている先輩たちに、勝利の姿を見せます」