フロアボール

大学時代に広がった夢を追ってスウェーデンへ フロアボール日本代表・高橋由衣

高橋は15歳で日本代表になってから、8回連続で世界選手権に出場している(写真はIBK Dalen提供)

長らく室内ホッケーの「フロアボール」日本代表として戦ってきた女性がいる。横浜国立大出身の高橋由衣(30)。彼女はこの競技の発祥国で圧倒的な強さを誇るスウェーデンを拠点に、フロアボール日本代表と小学校の先生という二つの夢を実現させた。高橋は言う。「日本では両立できなかった夢です。そのための大学時代でした」

小学生で出会い、すぐに夢中になった

フロアボールはスティックと空洞になったプラスチック製のボールを用い、6対6で得点を争うスポーツ。日本の競技人口は、より簡易版の「ネオホッケー」を含めても約3000人とまだ多くないが、スウェーデンやフィンランド、スイス、チェコなどヨーロッパの国々で親しまれている。とくに発祥国のスウェーデンでは、小学校や学童保育など早い段階でフロアボールに取り組む。日本では大学で初めて競技を知るという人が多いが、川崎市で生まれ育った高橋は小1のとき、子ども用のフロアボールであるミニホッケーに出会っている。

小学生だった高橋は両親が共働きだったため、学校が終わると学童保育に通った。川崎市内の学童保育全館では、神奈川県フロアボール連盟の加藤宗一会長の働きかけで、ミニホッケーが楽しめるようになっていたという。高橋はすぐにミニホッケーに熱中した。

「最初にどんな練習をしたのかは覚えてないんですけど、とりあえず楽しかったということはよく覚えてます。毎日学校が終わったら走って学童保育に行って、ずっとやってました。親に迎えにきてほしくないなって思ったぐらいで、どんな遊びよりも放課後はすぐホッケーという感じでした」

小2のときに当時日本代表だった七夕すみよさんが学童保育の職員となり、「もっとちゃんとやらない? 大人になるころにはきっと、オリンピック種目になってるから」と声をかけてもらったことが、その後の高橋の夢につながった。

中1のときに「神奈川フロアボールクラブ」で本格的に競技を始めた。競技人口の少なさゆえに、中学生チームではなく、高橋も大人と一緒のチームでプレーしていた。大人に混じってとなるとどうしても体格差がある。「スピードで差がつくスポーツだし、すばしっこさでカバーすればいい。それが自分のウリだ」。そう考えて競技に向き合ってきたという。

初の世界選手権で知らされたスウェーデンの強さ

初めて日本代表に選ばれたのが高1。ただし高橋は中2でも1度、代表選考に挑戦していた。日本代表は高校生からとされていたため、そのときは「経験するだけなら」ということでの参加だった。それでも高橋は「すごくうまかったら選んでもらえるんじゃないか」と期待し、自分の力を出し尽くした。しかし規定は規定。合格者として呼ばれなかったことに落胆し、選考会場から家までの車の中で2時間泣き通したという。「次の選考では誰にも文句言われないぐらい、満場一致で受かってやる」。そう決意してつかんだ日本代表だった。

高橋は現在、日本代表(左)とスウェーデンのクラブチームのふたつのユニフォームを着てプレーをしている

フロアボールの練習は週2~3日。それ以外は自主練習でやってきた。中学、高校ではソフトテニス部に入り、高校では「一番キツい部活はなんですか? 」と先輩に尋ねた上で選んだ部だった。走り込みも多く、室内のフロアボールと違う炎天下での練習はハードなものだったが、「部活がなかったら、いまの体力はなかった」と高橋は振り返る。授業を終えてから部活、そして夜にはクラブでフロアボールという日々だった。

日本代表は2年に1度あるアジア太平洋選手権を勝ち抜けば、ヨーロッパで開催される世界選手権に臨める。高橋は15歳だった2004年に初めてアジア太平洋選手権に出場し、3ゴールを決めて優勝に貢献した。そして初めての世界選手権で強豪スウェーデンにぶつかった。1-9の大敗。パスやシュートの一つひとつに根本的な違いを思い知らされた。「これが本物のフロアボールで、私たちがやっているのは違うものかもしれない」。そう実感するとともに「私はあっちでやりたい」という思い芽生えた。この世界選手権以降、高橋は今日まですべての日本代表戦に出場している。

ふたつの夢のために選んだ4つ目の教員免許

大学進学にあたり、高橋は二つの条件で志望校を選んだ。ひとつは中学生のときからの夢である小学校の先生になるために教員免許を取得できること。もうひとつは海外遠征が多いフロアボールの日本代表を続けるために、金銭的な負担が少ないこと。その条件に合った横浜国立大学教育人間科学部(現・教育学部)に、公募推薦で入学した。

大学に部はなかったが、神奈川フロアボールクラブで練習を継続し、クラブでの練習がないときは大学のそばの三ツ沢公園で体づくり。ただ3年生になって具体的な進路を考えた際、担任を持つ日本の小学校の教員だと、海外遠征があるフロアボールの日本代表を続けることは不可能だということに思い至った。

競技を極めるとともに小学校の先生になる夢をかなえる道はないか。そう考えたときに頭に浮かんだのが、スウェーデンだった。大学では小学校教員のほか、専攻教科である保健体育の中学校教員と高校教員のための授業と実習が必修となっていた。そこに副専攻としてスウェーデンの小学校でも生かせる日本語教師の資格を受講。3年生からは将来スウェーデンで過ごすための資金のためにアルバイトをし、1年間スウェーデンで過ごせるだけの貯金ができた。

スウェーデンで知った戦術ありきのフロアボール

11年3月に大学を卒業すると、その年の7月にはスウェーデンに飛び、専門学校でスポーツ教育を学びながら2部リーグのクラブでプレーした。ウォーミングアップの段階からすでに、まるで男性かと感じてしまうほどのパワー差があったが、それ以上に衝撃的だったのは戦術面だった。

大柄の選手が多いスウェーデンのチームで力の差を実感されたが、それ以上に根本的な戦術の違いを知らされた(写真はIBK Dalen提供)

「1年目のクラブでは仲間に恵まれたこともあっていい結果につながったんですけど、2年目からクラブが変わったら全然通用しなくなりました。コーチには『アジリティーやテクニックやスピードは持ってる。でも戦術理解の面においてはまったくダメ』と言われました。でもこれは当たり前なんです。いまも日本には戦術を指導できるコーチがいません。それまではずっと自分の感覚で、ただがむしゃらにやってきました。スウェーデンは戦術ありきで、その戦術に合う選手を起用していく。そのための引き出しがない選手は厳しいです」

初めての世界選手権で対戦相手だったスウェーデンに思い知らされた本物のフロアボールが、目の前にあった。そこから一つひとつ戦術を学び、体感することから始めた。さらにスウェーデンの女子選手は身長170cm、体重70kgというような大柄な選手が一般的。スウェーデンでプレーを始めた当時、高橋は身長147cm、体重52kgだった。肩同士の接触であればファウルにならないスウェーデンのフロアボールでは、簡単に当たり負けてしまう。体づくりにも積極的に取り組み、現在の体重は57kg。とくに腕は一回りも二回りも大きくなった。「帰国すると『でっかくなった』ってよく友だちにびっくりされます」と高橋は笑う。

小学校の先生になる夢は、16年にスウェーデンでかなえた。現在、スウェーデン北部のウメオという街で2部リーグのIBF Dalen(イーベーエフ ダーレン)でプレーする傍ら、小学生に日本語と日本文化を伝えている。「スウェーデン語で日本語を教えるという難しさはありますけど、子どもたちを通じて私も日々学ばせてもらってます」と高橋。

ウメオにて。秋には森でブルーべーリー摘みも(写真は本人提供)

フロアボールのウリを普及に生かすために大学院へ

昨年、高橋はスウェーデンの永住権を取得したが、日本には年に1、2度帰国している。日本国内では日本代表ともに練習をするほか、フロアボールの普及のために、主に小学生を対象とした講習や授業にも参加している。

高橋はもともと、楽しいからという理由でフロアボールに触れてきたが、日本やアジアで普及活動をするには「楽しいから」では弱い。北欧の小学校や学童保育ではみんな当たり前のようにフロアボールをやっており、それがごく日常の風景だ。国としてこぞってやっているのであれば、なにか効果があるのではないかと考えた。そこで小学校体育におけるフロアボールの効果を研究するため、16年より横浜国立大の大学院で学び直し、1年の休学を挟み、今年3月に大学院を修了した。

またヨーロッパを拠点に活躍するアジア人として、フロアボールの普及と向上のために自分ができることがあるのではと考え、日本フロアボール連盟の推薦の下、17年にアジア初となる国際フロアボール連盟(IFF)の選手会メンバー入りを果たした。任期4年の選手会メンバーとして、アジアでの普及活動に力を注いでいる。

選手としてオリンピックの舞台に立てなくても

15歳のころから日本代表として活躍してきた高橋だが、21年1月に東京で初めて開催されるアジア太平洋選手権、同年12月にスウェーデンで開催される世界選手権をひとつの区切りにしようと考えている。

「日本代表だけで言えば、私はまだ何年もできるとは思ってます。だからこれまでとくにここまでと決めずにきてしまいました。でもあと3年しか一生懸命できないんだ、この3年で全部出し切ろうって思ったら、新たに身が引き締まる思いがあります。その意味でも区切りを決めてよかったなって。でも21年の世界選手権で9回目だから、スウェーデンのチームの人には『きっと10回目も目指したくなるんじゃない? 』って言われてます。そのときはそのときかな」

日本の正解がスウェーデンでは大間違いなこともある。それを身をもって知ったいまだからこそ、できることがある

高橋は今シーズン、スウェーデンのIBF Dalenと初めて3年の長期契約を結んだ。現在チームは2部リーグに所属しているが、アジア人初となるトップリーグでのプレーもまた、高橋の夢だ。

「大人になるころにはきっと、オリンピック種目になってるから」。当時はまだ子どもだった高橋はその言葉を胸に、フロアボールに向き合ってきた。しかし現状、オリンピックへの道はまだ見えない。

「選手としてオリンピックの舞台に立つことは難しいかもしれない。でも選手会メンバーとしていま、フロアボールをオリンピック競技にするというミッションに参加できるのは救いでした。もし引退して『日本代表の監督をお願いします』と言われたら引き受けたいです。でも普及活動も自分にとって大切なものです。私はずっと欲張ってきたので、自分が希望したことは全部できると思ってます」

日本を飛び越えて大きくなった高橋の夢は、これからもまた多くの夢を生み出していくことだろう。

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