聖光学院の4番須田優真、100回という特別な夏「あっという間でした」
夏の甲子園で熱戦が繰り広げられています。4years.では昨夏の第100回全国高校野球選手権で活躍し、今春大学に入学した選手たちにインタビューしました。高校生活のこと、あの夏のこと、そして大学野球のこと。大いに語ってくれました。「僕らの甲子園~100回大会の記憶」と題して選手権の期間中に随時お届けしますので、去年を思い出しながら読んでいただければと思います。第6回は聖光学院(福島)の4番打者として甲子園を経験し、いまは富士大(岩手)でプレーする須田優真です。
100回大会で日本一、を目指していた
聖光学院は昨年、5年ぶりに春夏とも甲子園の土を踏んだ。夏は戦後最長記録を更新する12年連続の出場だった。勝負強いバッティングで春は5番、夏は4番として打線を引っ張ったのが須田だ。
「(福島大会の前に、)12連覇というのは意識するなと言われてました。斎藤(智也)監督や横山(博英)部長が、僕らにそういう声が届かないように配慮してくれたのもあったと思います。それよりも、100回という特別な大会で日本一になることを目指してました」
昨夏の福島大会はいわき海星との準決勝こそ3-2と競ったが、聖光学院はほぼ危なげなく勝ち進み、12年連続の選手権出場を果たした。須田は6試合で19打数9安打11打点の活躍で優勝に貢献。福島商との決勝(15-2)でも2点リードの3回、左へソロホームランを放った。
甲子園では初戦の2回戦で報徳学園(東兵庫)と対戦。秋のドラフトで4球団から1位指名を受けることになる小園海斗(現・広島カープ)に3本のツーベースを打たれ、どれも失点につながった。須田は1回の同点タイムリーを含む2安打を放ったが、結局2-3で敗れた。「夏の甲子園はあっという間でした。小園君にあんなに打たれるとは思ってなかったです。(自身のタイムリーは)2アウト三塁で回ってきて、初球から振っていこうと。詰まったので(ライトに)捕られるかなと思ったんですけど、いいところに落ちてくれました」
1年生の秋から4番、そこからけがに苦しんだ
1、2年生のころはけがに苦しんだ。
バッティングを評価され、1年生の秋から4番に抜擢(ばってき)され、チームは福島大会を制した。須田は右ひじの痛みをこらえながら出場し続け、続く東北大会初戦の利府(宮城)戦、準々決勝の大曲工(秋田)戦で決勝点をたたき出している。準決勝で仙台育英(宮城)に敗れ、翌春の選抜大会には出られなかった。
「ひじは疲労骨折だったんですけど、痛み止めを飲んだり治療を受けたりしながら試合に出続けました。骨に血がたまってる状態で、もろくなってしまって。それを補強するために、1年生の12月にボルトを入れる手術をしたんです」
さらに翌年3月、5月と計3度の手術を受けることになる。半年近くプレーすることができず、状態が上がりつつあった2年生の7月上旬に、今度は左ひざの靱帯(じんたい)を痛めてしまった。「新チームの始動には間に合いそうだと思ってた矢先でした。秋の大会に間に合うかどうか不安だったんですけど、周りの人にサポートしてもらったおかげで、なんとか秋の大会には出られました」
その2年生の秋も、福島大会を制して東北大会に進んだ。須田は左ひざにテーピングを巻いて出場し続けた。東北大会決勝の花巻東(岩手)戦、同点の8回、須田はレフトポール際に勝ち越しの一発。聖光学院は初の東北大会優勝を成しとげ、翌春の選抜大会に出場した。
たどり着けなかった日本一を富士大で
須田はこの春、岩手県花巻市にある富士大に進学し、北東北大学リーグで昨秋まで10連覇を果たした強豪でレギュラー獲得を目指している。「富士大の野球部は人数も多いですし、高校野球よりもっともっとレベルが高いところに来たなっていう感じです。課題はたくさんあります。自分の持ち味はバッティングですけど、まだまだ木製バットを使いこなせてません。しっかり体もつくって、スイングも自分のものをつくらなければいけないと思います」
高校時代にたどり着けなかった日本一は、富士大での4years.で果たすつもりだ。