陸上・駅伝

エース育成重視から全体の底上げに方針転換 法政大・坪田智夫駅伝監督(上)

坪田監督は法大を指導し10年目。いままでにない手応えを感じている(撮影・寺田辰朗)

今シーズンの大学駅伝を占うにあたり、勢いの感じられるのが法政大と國學院大だ。昨シーズンの全日本大学駅伝は國學院大が6位で法大が7位、箱根駅伝は法大が6位で國學院大が7位だった。今シーズンの箱根駅伝は、國學院大が同校最高の3位を、法大は戦後最高タイの4位を目標にしている。

2人の4年生エースがいることも共通点だ。法大は佐藤敏也と青木涼真、國學院大は浦野雄平と土方英和が学生トップレベルの活躍を見せている。今年5月の関東インカレも1部(法大)と2部(國學院大)の違いはあるものの、佐藤と浦野が5000mと10000mの2種目で日本勢トップを奪った。

今回は両校の監督が同学年という点に注目した。今シーズンで42歳になる法大の坪田智夫駅伝監督と國學院大の前田康弘監督が指導者として熟練してきたからこそ、両チームの躍進があるのではないか。その仮説をもとに両校の取材を進めた。坪田監督、前田監督の順に上下2回ずつの連載でお届けする。

今シーズンは「骨組みがしっかりできている」

法大卒の実業団ルーキーである坂東悠汰(富士通)が春先から絶好調で、5月の日本選手権10000mで2位に入った。坪田監督が「いやぁ、すごいですね。どんな練習をしているのか教えてほしい」というほどの活躍だ。その坂東をはじめ箱根駅伝を走った5人が、この春卒業していった。普通に考えれば、戦力ダウンに苦しむはずのシーズンだ。だが、彼らが抜けた穴を埋める存在について「メドはまだ立っていませんよ」と話す坪田監督の声に、暗さが微塵(みじん)も感じられない。

今年5月の日本選手権10000mで2位でゴールした坂東(撮影・安本夏望)

その一番の理由は、両エースと坪井慧(4年)の「3本柱」に絶対的な自信があるからだ。青木は箱根駅伝山登りの5区で2年生のときに9人抜きで区間賞、今年も7人を抜いて区間3位という実績を持つ。トラックでは3000m障害で日本選手権3位と国内トップクラスで、7月のヨーロッパ遠征では8分32秒51をマーク。9月27日開幕の世界陸上の参加標準記録まであと3秒強と迫った。

そして坪井は今年の箱根駅伝で、山下りの6区で区間4位。区間新記録を出した小野田勇次(青学大~トヨタ紡織)とは33秒差だった。

「駅伝は骨格ができないと悩むんですが、今シーズンはそこがしっかりできてます。あとは肉付けをしていけばいい。4年生には(3本柱以外にも)出雲、全日本の経験者がいますし、2年生にも面白い選手がいます。私がスタッフになった2010年以降で一番手応えがあります」

坪田監督は法大卒業後にコニカミノルタで力を伸ばし、10000mで02年アジア大会、03年世界陸上パリ大会に出場した。ニューイヤー駅伝でも5度の優勝に貢献。10年に法大のプレイングコーチになり、11年にコーチ、13年に監督に昇格した。スタッフになって最初の2シーズンは学生三大駅伝に一つも出られなかったが、3シーズン目に箱根駅伝で総合9位になり、4シーズン目には三大駅伝すべてに出場(箱根は11位)。5シーズン目に箱根出場を逃したのは誤算だったが、至近の3大会は連続してシード権を確保している。

今年の箱根駅伝で5区を走った青木。区間3位で走りきった(撮影・松嵜未来)

坪田監督は「5年目に箱根の予選会で落ちて、エースの育成よりも全体の底上げを考え始めました」と語る。これが、いまにつながる契機になったという。

エースの生まれる伝統があった

法大にはエースの生まれる伝統があった。00年の箱根駅伝では1区の徳本一善、2区の坪田が連続区間賞。総合10位ではあったが、往路を沸かせ、“オレンジエクスプレス”と話題になった。古くは成田道彦(現・総監督)が箱根駅伝2区であの瀬古利彦(現・陸連強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダー)に勝って区間賞を獲得したこともあった。01年には2区の徳本を中心に、04年は1区の圓井彰彦(現・マツダ)や3区の黒田将由らを軸にして、2度の総合4位があった。駅伝で優勝を争うことはできていないが、学生長距離界のトップランナーたちを送り出してきた。

坪田体制になってからは西池和人(現・コニカミノルタ)がトラックで学生トップレベルのタイムを出し、箱根駅伝5区では関口頌悟が13年大会で区間2位。同学年の2人がチームを牽引し、13年大会は総合9位と7年ぶりにシード権を獲得。坪田監督も「西池と関口がいたので、チーム全体のレベルも上がったと思います」と、当時を振り返る。

練習中、選手に直接指導する坪田監督(撮影・寺田辰朗)

だが、翌14年大会は西池がけがで欠場し、総合11位。翌シーズンの予選会は西池が欠場し、関口も下位に沈んで法大は15年の箱根に出場できなかった。「落ちたことで、いろいろと考えました」と坪田監督。「それまではエースがチームを引っ張る形が理想だと思ってました。実際、13年の箱根は1区の西池がポーンと行って(区間3位)、その勢いでシードを取れたんです。しかし、その形ではエースがけがをすると、どうしようもなくなります。チーム全体を固めてからエースを育てる形にしないと、いまの箱根は出るのも厳しいんです」

全体をレベルアップさせるノウハウへに手応え

15年シーズンから坪田監督は方針を変更した。「やりたくなかった金太郎飴チーム(どの選手も同じような特徴を持ったチーム)を作ることから始めた」という。その象徴的な事例が朝練習だった。それまでは選手個々に任せていたが、そのシーズンから全員がトラックかその周辺を走ることにした。「指導者が動きを見ることができる。ケガをさせない。サボらせない。意図したことはその三つですが、ジョグの重要性を再確認したということでもあるんです。西池クラスの選手ならポイント練習重視でいけるんですが、そのレベルの選手はウチにはなかなか来てくれません。練習の7~8割はジョグですし、そこから見直しました」

骨組みはできた。あとは肉付けだ(撮影・寺田辰朗)

トップレベルの選手を育てることよりも、チーム全体の底上げを狙った変更だった。その後の箱根駅伝は16年こそ1区のブレーキもあって19位に終わったが、17年は8位、18年が6位、そして19年も6位と、方針の変更は結果に現れ始めている。今シーズンのチームに“肉付け”できる自信を坪田監督が持っているのは、全体をレベルアップさせるノウハウへの手応えなのだろう。

坪田監督の後編では、戦力が育ってきた法大の現状などについてお伝えします。

自ら考えられる選手が強くなる 法大・坪田智夫駅伝監督(下)

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