強くなるチームの「流れ」を作り出す指導とは? 國學院大・前田康弘監督(上)
いよいよやってくる大学駅伝のシーズンを考えたとき、國學院大の存在感が大きくなっている。以前は下位が定位置だったが、昨シーズンの全日本大学駅伝は6位、箱根駅伝は7位と、ともにチーム最高順位でシード権を獲得した。
「来年の目標は往路優勝と総合3位以内です」
3年生からキャプテンを務める土方(ひじかた)英和(4年、埼玉栄)は、今年の箱根駅伝レース直後のあいさつで1年後の目標を言いきった。今年5月の関東インカレ(2部)では浦野雄平(4年、富山商)が5000mと10000mで日本勢トップを占め、ハーフマラソンは土方が優勝した。
國學院大を指導するのは前田康弘監督(41)。駒大で箱根駅伝初優勝を経験し、実業団の強豪である富士通で競技を続けた後に、若くして指導者の道を歩み始めた。國學院大の監督に就任して11年目。前田監督のチーム運営は、どのようにして軌道に乗ってきたのだろうか。前編は國學院大がたどってきた「流れ」についてです。
箱根駅伝の前から「流れ」がきた
今シーズンの國學院大はダブルエースだけではない。7月の関東学生網走夏季記録挑戦競技会の10000mでは、藤木宏太(北海道栄)と島﨑慎愛(藤岡中央)の2年生コンビがワンツーフィニッシュ。ともに自身初の28分台をマークした。学生長距離選手のステータスでもある28分台は、チーム内で浦野、土方、青木祐人(4年、愛知)と合わせて5人になった。「箱根駅伝の前から『流れ』がきましたね。何かをやったというよりも流れです」と、前田監督は説明する。きっかけが昨年11月の全日本大学駅伝だったという。2区の浦野が区間3位(区間1位とは5秒差)で11人抜き。チームを7位に浮上させると、その位置の流れに完全に乗った。前田監督が指摘したのは「チームの流れ」だが、國學院大の躍進を示す「レースの流れ」について先に触れておきたい。
駅伝は優勝争いの流れ、上位争いの流れ、シード争いの流れ、下位争いの流れなど、走っているポジションによって流れがある。その流れに乗ると、多少力が落ちる選手でも走りきれるが、その流れから抜け出すには力の差が必要になる。業界用語でいう「ゲームチェンジャー」だ。全日本大学駅伝では浦野がその役割を果たした。
箱根駅伝では2区の土方と5区の浦野が、チームを上位の流れに押し上げた。土方は区間7位ではあったが1時間7分台の好タイムで、チームを10位から6位に引き上げた。山登りの5区では浦野が区間賞の快走で、6位から3位に浮上して往路を終えた。
復路は5人全員が区間12~13位と沈んだが、チームは7位に踏みとどまった。仮に往路があと3分遅かった場合は、7~8位で芦ノ湖にフィニッシュしたことになり、復路の6~7区で8~9位争いの流れに入っていた可能性がある。最悪、シード争いに巻き込まれていたかもしれない。
土方と浦野の両エースの今シーズンの充実ぶりからすると、駅伝では昨シーズン以上の順位にチームを押し上げるだろう。そして両エース以外にも28分台ランナーが育った。昨年より上の順位の流れに乗る力を、今シーズンの國學院大はつけている。
チーム全体の「流れ」も確実にとらえる
前田監督のいう「流れ」はレースだけでなく、チーム全体の流れをも指している。駅伝で上位を走れば、エース以外の選手も「やれる」という手応えを持つ。自分たちが頑張ればもっと上にいけると実感すると、練習や生活での取り組みも、より積極的になってくる。そういった選手が1人、また1人と増えて、チームのレベルが上がっていく。
「去年の全日本大学駅伝後ですね。それまでなかなかできなかった練習を、10人くらいがやってしまえるようになったんです。これがチームの勢いなんだな、と。ほかの大学を見ていても、強くなるチームには必ずそういう状況がやってくる。そのときだけで終わるチームはシードと予選会行きを繰り返しますが、継続させられれば上位に定着できます」
前田監督は「特別な何かをやったから」というニュアンスを出したくなかったのだろう。だがチームに「流れ」ができたのは、やるべきことをやってきたからにほかならない。地道なことを継続し、キツいことを習慣化してストレスをなくすなど、國學院大と前田監督は当たり前のことをやってきた。
チームの成長と指導者の成長
前田監督がコーチとして着任した2007年ごろは、エースを育てられる状況ではなかった。「(5000mの)14分30秒前後は1人だけで、10人の平均は15分前後でした。スピード化を求めるのは無理。練習で長い距離を踏んで、箱根駅伝予選会も本戦も、20kmを確実に走る選手を多くつくって臨むしかなかったですね」
2009年8月に監督に昇格。翌シーズンには早くも箱根駅伝(11年大会)10位とシード権を獲得し、翌12年大会も10位と連続で好結果を出した。前田監督自身は「2区と5区の選手がいたこともありますが、チーム全体が我慢強く努力を重ねた結果です。上位候補の大学にトラブルもあって、うちが滑り込めた部分もある」と謙遜気味に話す。
しかし13年大会以降はシード争いに加われず、16年大会は予選会の通過にも失敗した。17、18年大会も16位と14位と、結果的にシード権に近づくこともできなかった。だが國學院大のような新興勢力は、箱根駅伝に続けて出場することで周りの見方が変わってくる。「常連校として見ていただけるようになりました。入ってくれた選手をしっかりと伸ばし続けることで、高校の先生方も信頼してくれる。時間はかかりましたが、信頼を構築できましたかね。浦野の富山商業高校の先輩にあたる細森(大輔、現YKK)が5000m14分41秒で入ってきて、大学で10000m29分7秒まで伸びました。その流れで、高校で14分36秒だった浦野もウチに来てくれた」
前田監督の眼力も上がっている。土方は埼玉栄高では、館澤亨次(東海大4年)と中村大聖(駒澤大4年)と同学年で、スカウトはそのふたりに集中した。土方は故障が多く14分43秒20が高校時代の5000mのベスト。しかし「高2の冬に走りを見ましたが、14分40秒レベルの動きではなかったです」と、前田監督は土方の潜在能力を看破していたのだ。
「運もありましたが、いい素材の選手が集まり始めました」。ちなみに「運がよかった」というフレーズだが、やるべきことをやった人間が、最後の1ピースとして“運”があったと感じて口にすることが多い。スカウトがうまくいき始めたことは大きいが、國學院大のスタンスは、前述したように、やってきた選手をしっかり伸ばすことだ。
大八木監督の「情熱」を引き継いで
前田監督はフィジカルトレーニング、体幹トレーニングなどの新しいことに「常にアンテナを張っている」という。M高史さんの記事にもあるように、「走る量を増やすだけではなくフィジカルも鍛えていこう」ということで、3年ほど前からフィジカルトレーナーが週1回、トレーニングを指導している。「若くて熱心で、根気強くやってくれるトレーナーと、走りを進化させることを目的にやってます。全体に共通のメニューもありますが、強化すべき箇所や動きは選手によって違いますから、選手個々に合わせてやってます。いまの強化は『走る以外に何をやるか』という視点と、選手・スタッフとのコミュニケーション力を持ち合わせてないとダメです」
チーム内のコミュニケーションにはLINEも活用しているが、前田監督は「大事なことは必ず面と向かって話します。話さないことには変わらないと思ってます」と、直接話すことの重要性を説く。そのあたりは駒大時代の恩師である大八木弘明監督から引き継いでいる部分だ。「根本的に大事だと思っているのは情熱です。絶対に負けない、という熱い気持ちを指導者が持ち、それをどう伝えるか」。恩師である大八木監督への思いも、M高史さんの記事で紹介されているので参照してほしい。
後編では、國學院大のチームを引っ張るエースの系譜に迫ります。