筑波大・山口颯斗 自分の伸びしろにかけて進学、大学こそ日本一を
バスケットボールの関東大学リーグ戦は第4節が終わった。男子1部の全勝は白鷗大、筑波大、専修大の3校だけ(第4節の白鷗大-青山学院大は延期となったため、白鷗大のみ3試合の結果)。筑波にとって、主将としてチームを支える牧隼利(はやと、4年、福岡大大濠)と、昨年の得点王で絶対的エースの増田啓介(同、同)の存在はもちろん大きい。しかし「牧さんと増田さんの二枚看板で終わらせるつもりはないです」と言いきるのが、3年生の山口颯斗(正智深谷)だ。苦しい場面で点を取りきるオールラウンダーがいま、筑波の強さを支えている。
チームとしてまとまった結果の全勝
牧と増田はけが明けということもあり、第1、第2節はチームがうまく機能していないシーンもあった。それから2週間後、試合でのフィードバックを生かして第3節の早稲田大戦に臨み、85-64で3連勝を飾った。この試合の第2クオーター(Q)で1度、早稲田に逆転を許したが、増田が確実に点を重ねて再びリードすると、第3Qにはディフェンスからの速攻など、筑波の強みが前面に出るプレーが続いた。終盤にはリザーブメンバーも出場し、安定したパフォーマンスを披露した。
試合を振り返り、山口は「今日はチームとしてまとまりのあるいい試合ができたと思います。チームで勝てたのでよかったです。周りが調子よかったので、僕はやり過ぎず空いてるときはやろうという感じでした。だから個人としてはよくも悪くもないですね」とさらり。確かにまだリーグ戦は始まったばかり。ただ、この約2カ月半の戦いが終われば、学生日本一を決するインカレを迎える。「バスケ人生の中で1度も日本一になったことがなくて。だからインカレは僕にとって特別な大会です」。そう話す山口にとって、このリーグ戦の1試合1試合が、日本一に向けた大事な勝負となるだろう。
肥満体型だった中学時代、鍛えられた正智深谷時代
父が実業団のバスケ選手だったこともあり、山口は小1のときにバスケを始めた。ただ本当にやりたかったのはサッカーだった。家にはバスケットボールしかなかったため、それを蹴って遊んでいたが、蹴るにはどうにも大きくて硬く、仕方なくバスケをするようになったという。
中学生のときには学校の部活と、父が指導している地元・宇都宮のクラブチーム「バディーズジュニアバスケットボールクラブ」を掛け持ちしていた。部活は週5日あり、それが終わると夜7時から2時間、クラブで練習する日々。どちらかだけでもよかったのでは? と尋ねると「小学校のときからやってきた仲間と全中の優勝を目指してて、クラブチームではもっとうまくなりたいという一心でした。別にお父さんに強要されたとかそんなんじゃなくて、自分から進んでやってましたね」と、笑いながら言った。中学最後の全国大会はけが人が多く、1回戦敗退。日本一には届かなかった。
高校は埼玉の正智深谷に進んだ。ディフェンスと速攻を徹底的にたたき込むチームとして知られている。山口は小さいころから、体が縦横両方に大きく、中学校の身体測定ではいつも「肥満でやや危ないレベル」と指摘されていたという。高1のときは身長186cm、体重87kgあったが、正智深谷での練習で体が絞られた。卒業するころには身長は192cmになる一方で、体重は74kgと13kgも減量。高校入学当時は4番(パワーフォワード)寄りの5番(センター)だったが、次第に2番(シューティングガード)や3番(スモールフォワード)へとポジションが変わり、使えるテクニックも増えていった。
山口には高校3年間を通じて、忘れられない試合がふたつある。ひとつは高校最後のウインターカップ出場をかけた埼玉県予選の決勝。正智深谷はウインターカップの常連校だが、決勝で西武文理と接戦になり、終了間際にスリーポイントを決められた時点で山口自身も負けを覚悟したという。しかしそこから奮起し、最後の最後に94-91で勝利をつかんだ。
もうひとつは高3のインターハイ。メンバーの顔ぶれからして、初めて全国大会で勝てるのではないかと自信をもって挑んだが、3回戦で北陸学院(石川)に71-79で敗れてベスト16にとどまった。「正直『勝てるな』と思ってたんです。そこで気が緩んでしまって、後半なんか僕は全然点がとれなかったんです。油断があったから負けたんだなって思い知らされました」。日本一の夢は高校でも果たせなかった。
馬場先輩に歯が立たず、進学に後悔したことも
大学に進む際、当初は筑波を考えてはいなかったという。高2の冬に筑波から声をかけてもらったときも「違う大学に行くつもりです」と言おうと思っていた。しかし高3になって筑波の選手たちと練習をさせてもらう中で考えが変わったという。当時の筑波には馬場雄大(現・アルバルク東京、23)と杉浦佑成(現・サンロッカーズ渋谷、24)らがいた。さらに1年生として、福岡大大濠時代から名の知られていた牧と増田もいた。
選手層の厚い筑波に進んでスタメンになれなかったら、一生後悔すると思った。その一方で、すごい選手たちと毎日練習できるのはなかなかないことだし、その中でポジションを争って自分が出られるようになったら、もっといい選手になれるんじゃないかという思いもあった。悩んだ末、自分の伸びしろにかけ、筑波を選んだ。
山口が1年生のときに馬場はすでに4年生だったため、一緒に練習できたのは数カ月程度だった。それでもマッチアップする機会にも恵まれた。全然歯が立たず、力の差を見せつけられた。当時、山口はまだ下のチームにいたこともあり、「本当に筑波でやっていけるのか。やっぱり道を間違えたんじゃないか」と、自信を失いかけたこともあったという。それでも1年生の夏に主力メンバーが日本代表や負傷などで抜けると、山口にもリーグ戦出場のチャンスが舞い込み、2年生のなるころにはスタメンとして戦うようになった。
海外への挑戦もまた、夢のひとつ
山口の心には、この春のトーナメント戦の悔しさが残っている。4連覇をかけて挑んだ白鷗大との大一番、筑波大は開始早々10-2と突き離したが、第2Qに逆転を許した。筑波も最後まで粘ったが、58-66で敗れ、白鷗大の初優勝で幕を閉じた。山口はこの試合で2点しかとれなかった。「自分の中ではもっとできたんじゃないか、もっとボールを要求した方がよかったんじゃないかって、いろいろと悔いが残ってます」。悔しさから何度も試合を動画で見直し、リベンジのときを待っている。
山口は大学の先にBリーグを見すえているが、海外への挑戦もまた、高校時代から温めてきた夢だ。その前に成しとげたいのが自身初の日本一。「学生スポーツの最終ステージである大学で、今度こそ日本一になりたいです。もちろん今年だけじゃなくて来年もです」と、意気込む。
昨年は東海大がリーグ戦で3年ぶり5度目の優勝を果たし、その勢いでインカレでも5年ぶり5度目の優勝。2冠を手にした。筑波が今後、どこまで勝ち続けるのか注目したい。