野球

連載:4years.のつづき

どうすれば成長できるか、その本質を伝えていきたい 久古健太郎・4完

野球をやめて、驚くほど違和感なく今の会社になじめたという久古さん(撮影・佐伯航平)

大学生アスリートは4年間でさまざまな経験をする。競技に強く打ち込み、深くのめり込むほど、得られるものも多いだろう。大学時代を経て活躍した先輩たちは、4年間でどんな経験をして、社会でどう生かしているのか。「4years.のつづき」を聞いてみよう。シリーズ11人目は青山学院大硬式野球部のエースで、社会人野球に進んだあとプロ野球の東京ヤクルトスワローズに8年間在籍し、左の中継ぎ投手として実働7シーズン。いまはコンサルティング会社の「デロイト トーマツ コンサルティング」に勤務する久古(きゅうこ)健太郎さん(33)です。最終回はプロとしての考え方とこれからについてです。

日産自動車野球部で学んだ「とにかく出しきろう」精神 久古健太郎3

中継ぎ投手という役割に徹した

久古さんはプロ8年間、1度も先発で投げることなく終わった。ヤクルト球団と契約する際に「中継ぎで」と言われていたという。「左打者を抑えてね、と言われてたので、バカ正直に左打者だけを抑えればいいのかなと思ってました。そしたら1イニング投げきるまで交代させられなくて、あれ? って最初は思いましたよ」と笑う。先発で投げたいという思いはなかったのだろうか。「それは、やりたくても自分には無理だと思いました。1イニング、1巡目だったら抑えられるけど、プロのバッターの2、3巡目を抑えるのは、自分には難しいと思ってました。だったら役割を与えられて、そこに徹したほうが全然いいな、と」

はじめから中継ぎでと言われてプロ契約した(2列め左端が久古さん、本人提供)

青山学院大時代も東都のリーグ戦で慣れ親しんだ神宮球場だったが、プロとして戻ってきたときはまったく違う場所に感じたという。「お客さんもたくさんいますし、雰囲気がまず違います。相手も違うし、集中の仕方も違いました」。ルーキーイヤーには52登板、5勝2敗1セーブ、20ホールド。リードしているときだけではなく、ビハインドの状況で投げることもあった。毎日準備するのはキツくないんですか? 「1年目はとにかくキツかったです。でも、それを超えるやりがいがありました」と久古さん。「体力的にはキツいんですけど、精神的には全然キツくないです。あとは、連投したほうが給料が上がるという裏事情もありますから、たくさん投げたいと思ってましたね」と言って笑った。

力を入れず、イメージしたことをやる

久古さんの出番は、ほとんどがピンチの場面だ。「考えることは二つです。体をコントロールして、力を入れない。イメージしたことをやる。それだけです。自分がやりきることに集中してました」。抑えても、イメージ通りの投球でなかったら反省する。打たれても、自分の思った通りにやりきれていたら、落ち込まないようにしていたという。「ワンポイントで相手に対峙(たいじ)する場合、相手が上だったら単純に力負けして打たれてしまいます。なんで打たれたんだろう、と考え始めると答えが見つからない。だから、相手がどうこうではなく、自分のプレーに集中するんです」。やりきる、出しきる。社会人野球で学んだ精神が、プロでやっていく上でも土台になった。

2015年、ソフトバンクとの日本シリーズにも登板し好投した(撮影・岩下毅)

久古さんは1年目のオフに血行障害の手術をした。肋骨を1本取る手術だった。「手術したら血は流れ出したんですが、それまで投げてた感覚とまったく変わってしまいました。正直に言うと、2年目からはだましだまし投げてた感じですね。プロ1年目が自分のピークだったと思います」。そして2018年、プロ入りして初めて1軍登板がなかった。「18年が精神的に一番キツかったです。引き出しがどんどんなくなっていく感じがして、いろんなことをやっても何もよくならないんです。伸びしろがなくなってきたと、自分でも感じました。2軍で投げてても、期待されてないのってわかるんですよ。戦力として見られてないと思いながら、必要とされてないのに仕事をするのは、めちゃくちゃキツかったですね」。10月2日に戦力外通告を受け、トライアウトは受けたが、18年限りで引退した。

もっと自分が成長できる場所へ

野球をやめた後に自分の中で湧き上がってきたのは「何かを積み上げていきたい、力をつけたい」という感情だった。やはりスポーツに携わりたい、今度はマネジメントする側になってみたいという気持ちがあり、さまざまな職種について調べた。就職活動のために自己分析もした。そして自分は「野球をうまくなっていく過程」が好きなのだと改めて分かった。

目に止まったのが、コンサルタントという職業だった。「33歳で、いわゆる社会人経験もほぼなくて、そこから始めるにはどうしたらいいだろうと考えました。コンサルはキツいですが、スキルは早く身につく。厳しい環境に自分の身を置いて、高い意識を持っている人が周りにいたほうが早く成長できるだろう、と思いました」。30社ほどに履歴書を送り、採用されたのが、いまの会社だ。今年2月に入社し、もう半年以上が過ぎた。

アスリートのセカンドキャリアにも興味がある。突き詰めてきた人は、社会でも活躍できるはずだ(撮影・佐伯航平)

入社してパソコンの操作などに苦戦することはあったが、驚くほど違和感はなく会社に溶け込めたという。各々が得意分野、プロ意識を高く持って、プロジェクト単位で仕事に向き合う。「コンサルの人って、プロのアスリートと感覚が近いかもしれない」と語る。

現在の仕事は、サッカーのJFLに所属するFC今治の集客支援がメインだ。「ほかのコンサルタントに比べたら、まだまだ足りないものは分かってます。だからこそやりがいもある。早くお客さまに価値を提供したいなと思います」。興味があるのは、アスリートのセカンドキャリアだという。「みんな受け取る情報量って一緒なんです。いい選手はアンテナを張ってて、たくさんの情報を受け取るけど、成長しない選手は受け身。原理をわかってる人は、スポーツをやめて社会に出ても活躍できるんじゃないかなと思います。そういう本質的なところをバックアップしていけるようになれたらいいですよね」

そう語る久古さんは、すっかりオフィスに溶け込んでいた。ボールを投げることはなくなったが、久古健太郎の向上心はなくなりはしない。

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