陸上・駅伝

特集:第96回箱根駅伝

筑波大が26年ぶり箱根駅伝出場へ 医学群医学類5年の川瀬宙夢が空を舞った日

筑波大の仲間に「川瀬さん! 」と輪の中に呼び込まれ、胴上げされた(撮影・松永早弥香)

第96回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会

10月26日@東京・陸上自衛隊立川駐屯地~立川市街地~国営昭和記念公園
6位 筑波大学 10時間53分18秒

10月26日の箱根駅伝予選会で前回17位だった筑波大が43校中6位に食い込み、26年ぶり63回目となる本戦出場をつかんだ。「同期と一緒に箱根を走りたかったという思いもありましたけど、やっぱり箱根を目指すチームには踏まなきゃいけない段階というのがあります。その踏み台に僕らの代がなれたと思えば、悔しさはないです。本当にうれしい気持ちでいっぱいです」。たった一人の5年生、医学群医学類の川瀬宙夢(ひろむ、刈谷)は笑顔で言った。

筑波大・川瀬宙夢 医学を学び、箱根に見た夢

17km通過時点で箱根行きを確信

筑波大がレース前に立てた戦略はこうだった。金丸逸樹(4年、諫早)らの第1グループ、相馬崇史(3年、佐久長聖)らの第2グループ、岩佐一楽(1年、東邦大東邦)らの第3グループ、そのほかのメンバー、という四つの集団に分かれて走る。ハーフマラソンの距離を上位10人が計10時間44分で走れば突破できる。それだけの力はいまの筑波大にあると、選手たちも弘山勉監督も自信をもって立川に向かった。

午前9時35分に号砲が鳴った。スタート時に18度だった気温はみるみるうちに上がり、強い日差しが照りつける中での戦いとなった。筑波大は予定通りに四つの集団で走り始めたが、チームの先頭を走っていた金丸の調子がよかったこともあり、第1、第2グループの選手は互いの状況を見ながらレースを各自で組み立てる戦略に変更。10kmはそれぞれのグループを目視できる程度のタイム差で通過する予定だったが、気温上昇の影響もあり、前の二つと第3グループとの差が想定よりも広がった。

15km地点、想定より上位10人の通過タイムが遅れてはいたが、この時点での8位だった。「ラストの走りはしっかり練習してきた。ここから大きく崩れることはないだろう」と、弘山監督は10位入りに自信を持った。その自信は17km通過で確信に変わった。

筑波大のトップは金丸(右、240番)で、全体では13位だった(撮影・小野口健太)

終わってみれば10時間53分18秒で6位。弘山監督は「7位か8位だろう」と踏んでいたため、6位で「筑波大学」とアナウンスされたときは驚いたという。それでも「レース前も、うまくいったら6位ぐらいいくかなとは思ってました。そのぐらいの力はあると思ったんです。結果、その通りでした」と話すと、柔らかな笑みが広がった。

本気で箱根を目指すために重ねたミーティング

17位に終わった昨年の予選会、当時4年生で駅伝主将だった川瀬は「来年こそは結果を残してくれると信じています」と悔し涙を流し、夢を後輩たちに託した。医学を学ぶ川瀬は5年生でも規定上は予選会に参戦できる。それでも競技に専念できるのは4年生までと考え、志願して駅伝主将になっていた。しかし4years.を終えた後も、川瀬はチームに残る道を選んだ。

チームはこの夏前、本気で箱根駅伝を目指すチームをつくるために何度もミーティングを重ねてきた。その中で駅伝よりもトラック種目に注力したいと考えた当時の駅伝主将を含む10人ほどの選手がチームから離脱。大土手嵩(しゅう、3年、小林)が駅伝主将となり、3年生が中心になってチームを再建。目標管理シートを活用して、練習や試合に対する一人ひとりの意識を高めてきた。

5年生になった川瀬はチーム運営にはタッチしていない。メンバーが抜けたことで各自の負担が増え、活気がなくなったと感じることもあったという。しかしチームは変わった。「それまでは箱根にいけるメンタリティーを持ってるチームじゃなくて、予選会に挑戦しようというチームでした。でもいまは箱根で走るために一人ひとりが努力する姿が、明確に見えるようになりました」。川瀬自身は平日は実習に追われてチーム練習に参加できず、実習が終わったあとに一人で走ってきた。

ここまでに多くの苦悩と犠牲があった(撮影・松永早弥香)

川瀬は5月の関東インカレ3000m障害に出場し、9分7秒88で9位。9月の日本インカレでは9分2秒90で4位に入った。この9月に駅伝チームは筑波大の大先輩でもある金栗四三の地元・熊本と、長野で合宿。質の高い練習を積み、チームとしても合宿を通じて本気で箱根駅伝を狙う覚悟が芽生えたという。ただ川瀬は日本インカレと実習があったため、合宿に参加できなかった。「そんな中でも弘山監督に信頼してもらえて、予選会を走れてよかったです」と川瀬。予選会は相馬とともに第2グループで走り、チーム5位の1時間5分1秒でゴール。1年前に悔し涙を流したのと同じ場所で、川瀬は仲間の手で立川の空高く胴上げされた。

弘山監督「出るからにはシード権は意識したい」

筑波大の前身である東京高等師範学校は第1回箱根駅伝の優勝校であり、箱根駅伝には計62回出場している。そんな常連校の復活を願い、卒業生たちの強い要望で2011年に「筑波大学箱根駅伝復活プロジェクト」が始まった。15年には筑波大OBの弘山さんが監督に招聘(しょうへい)された。当時の弘山監督は「3年あれば大丈夫だろう」と思っていたが、選手層の薄さから「3年なんてとんでもない。5年はかかる」と早々に思い知らされた。5年目の今年、悲願を達成。「これまでの負けが、やっとうまくつながりました。みなさんに『お待たせしました』という感じです」。監督はホッとした表情で語った。

喜びを爆発させる筑波大のメンバーたち(最前列の右から4人目が川瀬、撮影・松永早弥香)

レース後の報告会では、涙まじりの声が聞こえてきた。

「26年間なしとげられなかった偉業を果たすため、いろんな犠牲を払って、もがきながら苦しみながら今日までやってきました。絶対箱根に出られるという確信があったから、今日は襷(たすき)を新しく作って乗り込んできました」

しかし、本当の戦いはこれからだ。弘山監督は「本戦での目標はまだ分からない」としながら「出るからにはシード権は意識したい。現実的に到達できるかどうかは、見極めないといけませんけど」と語った。

挑戦を続けてきた多くの人たちの思いを胸に、筑波大は夢の箱根路で襷をつなぐ。

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