「いつか世界で戦える選手を育てたい」 駿河台大駅伝部・徳本一善監督4完
10月26日の箱根駅伝予選会に出場する駿河台大学は、法政大学時代に箱根駅伝のスターだった徳本一善(かずよし)監督(40)の下で力を蓄えてきました。連載「監督として生きる」の第9弾は徳本さんです。4回の連載の最終回は「監督・徳本一善」として思うことです。
「一からやるのは僕らしいな」と駿河台大へ
駿河台大では、徳本さんの法大時代の同期で短距離ブロック長だった邑木(むらき)隆二さんが、2005年から陸上部の監督を務めていた。そこで駅伝部の指導者にと、邑木さんから徳本さんに声がかかった。徳本さんは当時まだ現役選手だったこともあり「ゆくゆく考えさせてほしい」と、何度か断ったという。
もともと徳本さんは将来的に大学で教えることを視野に入れ、順天堂大の大学院でコーチング学を学び、順大を拠点に練習をしていた時期もあった。「海外の選手は陸上だけじゃなくて、弁護士の免許も持ってたりするじゃないですか。だから『陸上しかやってないのは問題だな』って思ってたんです。いろんな方向性を担保として持ってて、もし食べられなくなっても違うところで別のキャリアを生かせるのも大事かなって」。
改めて自分の競技人生を振り返ると、いわゆる強豪校で走ってきたわけではない。入学当初の法大も、学生三大駅伝すべてに出場できる状況ではなかった。「一からやるのが僕らしいな」。そう考えた。初めは週に数回の指導という条件で、現役選手だった11年に駿河台大駅伝部のコーチになった。
地元・飯能の人々にも支えられて
埼玉県飯能市のキャンパス内には当初からタータンの400mトラックがあり、すぐそばには寮もあった。徳本さんは申し分ない環境だと感じていたが、本気で箱根駅伝を目指して強化している大学とは予算に大きな差があった。それでも箱根駅伝の関東学生連合チームの一員として選手が箱根を走るなど、徐々にいい結果を残せるようになってからは、大学側も少しずつ投資してくれるようになったという。
変化の一つに、応援してくれる声が大きくなったことが挙げられる。大学からも近い阿須運動公園を選手たちが走っていると、かつては周辺の住民から苦情の電話が寄せられていた。しかし、いまは「頑張れ!」と声をかけてくれる。しかも後援会をつくって箱根駅伝予選会の応援に来てくれる。「飯能の人たちも楽しみにしてくれてます。その分プレッシャーはありますけど、いい結果を出して、もっと盛り上がっていけたらいいなと思ってます」
現在、駅伝部の部員はスタッフを含めて58人いる。監督の悩みは尽きない。
「自分だったらいくらでも耐えられるんですけど、学生の中には耐えられない子もいるじゃないですか。そこを理解するのがしんどい。『かわいそうだな』って思ってしまうこともあります。選手のときに感じていた苦しみよりも、いまの方がずっと苦しいです。だから日々発見で『これをうまくできるようになったら、自分のスキルも上がっていくんだろうな』ってとらえるようにしてます」
何のために走るのか、何のために決まりがあるのか
いま一番心を砕いているのは「目的意識の共有」だ。駿河台大駅伝部が「箱根駅伝出場」を目標に強化している以上、その意識で走ることが目標達成の絶対条件となる。しかし中には「楽しく走りたい」と思っている選手もいる。そういう選手には「楽しくないから。楽しいというのは目的を共有した上で見つけていくしかないよ。箱根を目指すんだよ、ウチは。その中で楽しいことを見つけてくれるのはウェルカムだけど、『目指したくないけど楽しく走りたい』と言われたら、ここじゃないよね」と言うしかない。実際、それで退部した選手もいた。徳本さんはそれを責めるつもりはない。
「それを悪いことだと伝えてしまうのは、やっちゃいけない。自分を見つけられる最良の選択をしたということです。ただその意識のまま、目的を箱根にして頑張ろうとしているチームにいると、ほかの子が『なんで? 』ってなる。そういうネガティブをチームに与えたくない。その環境を守るのが僕の仕事だと思ってます」
もう一つ、選手たちに言っていることがある。「5000mで14分、10000mで29分を切れたら言うことを聞くよ」と。例えば寮の門限は夜10時だが、このタイムを切った選手なら自己責任で外泊も認めている。「いっぱしの大人なんだし、ちゃんと自制ができる選手なら決まりなんていらない。ただ、そうできないから決まりがつくられてるってことを理解してほしい」。そう選手たちに伝えている。もちろん、いいタイムが出なくなるようなら「不摂生して弱くなったら、そのルールはダメってことだよね」と諭して元に戻す。現状、ケニアからの留学生であるブヌカ・ジェームス・ナディワ(2年)と、今年4月に5000mで13分57秒56をマークした吉里(よしざと)駿(3年、大牟田)の2人は、ときには自己裁量で練習している。
学生たちと寮生活、予選会15位以内を狙う
徳本さんは12年から監督になり、2、3年前からは学生たちと同じ寮で“単身赴任”生活をしている。「当時はいろんなことが同時多発的に起きて、どうしようもなかったんです。だから自分が監視役でいくしかないなって。でもいまはもう、相談役ですね。練習のことはもちろんですけど、単位を落としそうだとか、どうしても寝坊してしまうとか、そういう陸上以外のことも含めたお悩み相談を受けてます」。徳本さんは柔らかい笑顔でそう言った。
監督として臨む箱根駅伝予選会は今年で8回目となる。昨年は総合18位。ブヌカ・ジェームスに次いでチーム2位だった西澤晃佑(当時4年、長野日大)が関東学生連合チームに入って2区を走り、現在は実業団の新電元工業で競技を続けている。
今年は、予選会の結果発表でボードに表示される15位以内を目標にしている。
「大学からは『1年でも早く箱根に出てほしい』と言われてます。初めは『5年を節目に』と言われたけど、『5年を目指しますけど、10年かかると思いますよ』と伝えてあります。箱根常連校の選手とはスタートラインが違うわけですから、育てるにも限界はあります。それでもいままで(5000m)15分だったのが14分40秒と、ようやく入ってくる選手のレベルも上がってきました。『箱根駅伝出場』という大学からの指令がある以上、そこにたどり着かないといけない。どうアプローチするかをいまやってて、徐々にその成果は出てると思うんですよね」
チームは主将の石山大輝(3年、指宿商)を中心にまとまり、夏合宿を経て、過去最強のチームになってきたという実感が徳本さんにはある。「この夏にやってきたことは間違ってないと思うし、成長してきたところは大きいと思ってます。ちゃんと結果として出させてあげたいですね」。徳本さんは穏やかに語った。
コーチとは、気づかせてあげる存在
監督として「いつか世界で勝負できる選手を育てたい」という思いがある。それは自分の選手時代、世界と戦うための目標設定について、誰もアドバイスをくれなかったという経験があるからだろう。監督になってからは「コーチの立場って何なのか」ということを考えた。
「ほぼほぼ、選手は自分でできるもんです。僕なんていらない。ちゃんと本人に目的があって理解力があれば。なぜ僕がいるかと言うと、経験上気付かせてくれる存在としてです。テーブルにいっぱいカードを並べて、『いろんなカードがある。自分でトライして勝負するかどうかは、自分でカードを引いてみて下さいね』って伝えることなんじゃないかって。ただ僕にはそういうカードを提示してくれる人がいなかった。『一時的にでもそういうコーチに出会えてたら、もうちょっと違ったのかな』と思うことはありますね」
選手時代の悔しさや無念さはいま、監督8年目を迎えた徳本一善の血肉になっている。