陸上・駅伝

特集:第51回全日本大学駅伝

東海大16年ぶりV 「再生工場」で復活の名取燎太で逆転、箱根連覇へ視界開けた

名取はゴールの向こうにいる仲間を見て安心したという(撮影・藤井みさ)

第51回全日本大学駅伝

11月3日@愛知・熱田神宮西門前~三重・伊勢神宮内宮宇治橋前の8区間106.8km
1位 東海大   5時間13分15秒
2位 青山学院大 5時間14分59秒
3位 駒澤大   5時間15分4秒

学生三大駅伝の今シーズン2戦目は東海大が制した。「黄金世代」と呼ばれる4年生の4人がけがなどでメンバーを外れたが、選手層の厚さを見せつけた。箱根駅伝の連覇へ期待の高まる16年ぶり2度目の優勝だった。

郡司は言った。「4人がいなければ、僕らが担うだけ」

東海大は1区(9.5km)の小松陽平(4年、東海大四)がトップに9秒差の3位で滑り出す。2区(11.1km)で西川雄一朗(4年、須磨学園)が七つ順位を下げたが、1位までは23秒差。3区(11.9km)で塩澤稀夕(きせき、3年、伊賀白鵬)が7人を抜いて3位に押し上げた。続く4区(11.8km)でも西田壮志(3年、九州学院)が区間賞の走りで2位に浮上。5区(12.4km)の市村朋樹(2年、埼玉栄)でトップに立った。6区(12.8km)の郡司陽大(4年、那須拓陽)は区間新・区間賞の快走で後続との差を19秒から54秒に広げた。7区(17.6km)では松尾淳之介(4年、秋田工)が青山学院大のエース吉田圭太(3年、世羅)に抜かれたが、抜き返す。また抜かれたが、粘ってわずか2秒差で最終8区(19.7km)へ。アンカーの名取燎太(3年、佐久長聖)が4.3km付近で青学の飯田貴之(2年、八千代松陰)を抜き去り、1分44秒の大差をつけてゴールした。

6区で後続との差を広げた郡司の力走(撮影・安本夏望)

館澤(亨次)がいない、鬼塚(翔太)がいない、關(颯人)がいない、阪口(竜平)もいない。「黄金世代」と呼ばれる4年生、しかも「ど真ん中」の4人を欠いての日本一だった。4人が出られなかったことについて、郡司は言った。「何も思わなかったです」。同じ4年生でも、郡司は自分を「黄金世代」の一人だと思ったことはない。「僕なんかぜんぜんです。小さな努力を積み重ねてここまで来ただけなんで。4人は僕からしたらあこがれの人です」

さらに続けた。「別にいなくても、いや失礼ですけど、いたらやっぱり強いんですけど、僕らもしっかりした練習をしてきましたから。いなかったらいなかったで、まあ自分たちがそこを担えばいいと思ってるんで」。その言葉通り、身長160cm、体重53kgの小さな体で力走した。笑いながら走っているように見えたが「いや、あれが自分のキツい顔なんです」。両角速監督は優勝の可能性を感じた瞬間について「郡司が後続を引き離して先頭で渡したときに、『チャンスあるかな』と思いました」と言った。

4区で区間賞の西田はレース後、同学年の名取に抱きつき「よかったなあ」と言った(撮影・安本夏望)

鳴り物入りで入学、どん底をさまよった名取

そして東海大の優勝を決め、駅伝ファンを驚かせたのが3年生の名取だ。3年生にして三大駅伝初登場。19.7kmと最長の最終8区を託され、青学の2年生飯田に地力の差を見せつけて逆転。両腕を空に突き上げて日本一のゴールテープを切った。タイムは57分46秒、東京国際大のルカ・ムセンビ(1年)に次ぐ区間2位。大会のMVP賞にも輝いた。

彼は苦労人である。佐久長聖高(長野)3年生のとき、全国高校駅伝の「花の1区」で区間賞。鳴り物入りで東海大へ進んだが、入学直前に疲労骨折。夏に復帰したが、そこからアキレスけんや足首のけがを繰り返した。

昨年11月、そんな名取に両角監督が声をかけた。「みんなとは別で、俺の出す練習メニューをやってみないか?」。いい結果が出ず、けがが続くという悪循環から抜け出したい。その一心で、監督の提案にかけた。監督はこの取り組みを「再生工場」と呼んだ。

恐ろしく地道で孤独な「脚づくり」だった。ひたすら歩く日々。毎週日曜日の朝は丹沢山の山道を50kmも。ジョグもやるが、1km5分より速いペースには上げない。走れるペースで30km。それも1度には走らず、3分割して走った。目標は今年3月10日にあった日本学生ハーフマラソンに置いた。「不安とか焦りもあったんですけど、そこは割り切って。いままでの練習で成果が出てなかったんで、監督の言うことを信頼して、やると決めてやりました」。2月の下旬にはポイント練習を再開した。

そして、復帰レースとなった日本学生ハーフで63分31秒と自己ベストを更新。我慢の日々が形になった。思いっきり走っても悲鳴を上げない脚を手に入れた。それ以降もハーフでベストを更新。「再生工場」は6月で終わり、夏合宿からはみんなと一緒に練習を積み上げてきた。

ゴール後の名取(右から2人目)をたたえる鬼塚、關、塩澤(左から、撮影・安本夏望)

全日本のラスト2区間に活路

ときに名取と一緒にジョグをしながら、両角監督の視線の先にあったのは全日本大学駅伝のラスト2区間の強化だった。一気に距離の長くなるこの2区間で、過去2年連続で東海大は逆転を食らってきた。そこに名取と4年生の松尾をぶつける。そのための「再生工場」でもあった。

7月から、二人はほかの選手たちとは別路線の試合に出て、距離を踏んできた。出雲駅伝のメンバーから外れ、10月6日の札幌マラソンの「ハーフ男子10、20歳代の部」に出た。松尾が10kmまでレースを引っ張り、名取が62分44秒の大会新記録で優勝。松尾も64分7秒で5位に入った。「松尾は腹痛になってしまったんですけど、おそらく名取と同じぐらいで走れるところまできてるというのがあったので、全日本の後ろの2区間に二人を持っていきました」と両角監督。松尾は4年生らしい粘りの走りで、名取は高校時代の輝きを取り戻して余りあるような走りで、監督の期待に応えた。

「黄金世代」ばかりがクローズアップされてきた東海大だが、こんな地道な取り組みも形になってきている。両角監督は言った。「パッと見、仕入れだけがいいように感じられてしまうんですけど、実はこういうたたきあげの選手も、苦しんで上がってきた選手、小松や郡司もそうですけど、3年目、4年目でチャンスを得た選手もいるんです。そういう選手たちが、もともと力のある選手たちと融合してきました。鬼塚、關、館澤、阪口といったところが箱根に向けて復活してきますので、大きな弾みになってくると思います」

両角監督(中央)の「再生工場」でよみがえった名取(撮影・安本夏望)

「駅伝は何ていうか、いいなあ」

高3の全国都道府県対抗男子駅伝以来の駅伝を走った名取は、しみじみと言った。「走っててやっぱり駅伝は何ていうか、いいなあという感じです」。彼を囲んだ報道陣もなんだかほっこりして、みんなで笑った。
今回しっかり走れたことで、箱根駅伝への意識も変わってきたという。「いままでだったら箱根駅伝で自分が走るとしたら2日目(復路)かなと思ってたんですけど、できるのであれば2区を走りたい気持ちも出てきましたし、僕が2区を走れるってことになれば、ほかの区間の厚みがもっと増してくると思います」

前回は箱根初優勝のゴールテープを切った郡司も、それ以降のけがを乗り越えて戻ってきた。名取の復活について尋ねると、こう言った。「小さな努力を積み重ねて、いい結果を出すのってカッコいい。僕もそういうタイプなんで。だから名取が結果を出し始めたときは、うれしかったですよ。でもちょっと悔しさもありましたね。僕と似てるから。今日は僕も『MVP、1%あるな』と思ってたんですけど、やっぱ名取でしたね。あんだけいい走りをされちゃ仕方ないです。でも悔しい。僕がアンカーいきたかったです」。面白い男だ。箱根についてはきっぱり言った。「僕は2区を走りたいと思ってます」

箱根駅伝まで2カ月を切った。連覇へ向け、切磋琢磨の日々が始まった。

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