大学野球

特集:第50回明治神宮野球大会

関大野球部主将・松島恒陽 神宮で始まり、神宮で終わった4年間に見た景色

決勝 関大主将、松島とスタンド

第50回明治神宮大会 決勝戦

11月20日@神宮球場
慶應義塾大 8-0 関西大

3度目の神宮の打席にゆっくりと向かう関大野球部主将、松島恒陽(4年、履正社)。4年間のつらかった思い出、楽しかった思い出が止めどなく頭に流れる。ふと、目線を上げると、紫紺のメガホンを持って大声援を送る野球部員と応援団員の姿が瞳に映った。「本当にいい応援で、間違いなく日本一。スタンドを見て泣きそうになりました。その中で打席に立てたのが一生の宝物」と、全国に誇れる最強の応援を肌で実感した。

最後の打席はフルスイングで

決勝戦の慶大との対決。8回裏、8点ビハインドで2死三塁とこの日最大のチャンスで、主将の松島は代打でバッターボックスに立った。ランナーを返すことだけを考え、積極的にバットを振る。「これが大学野球最後の打席と分かっていたし、最後の打席っていうのは人生において忘れられないものになる。悔いのないように、自分の持ち味であるフルスイングで」。大学最後の打席、バットに当たった球は三塁へと転がる。決死のヘッドスライディングを見せるも、判定はアウト。一塁ベースには、土だらけのユニフォームでゆっくりと立ち上がる松島の姿。主将の一打で慶大に一矢を報いることはできなかった。

神宮で最後の瞬間を迎えた松島

3年前も似たような状況だった。まだ1回生だった松島にとって初めての明治神宮大会も、代打で出場。相手は、慶大と同じ東京六大学野球連盟の明治大。4点ビハインドで2死三塁。唯一違うのは、当時の松島はそこでタイムリーを放ったことだ。「打てたら良かったんですけどね」と笑いながら振り返った主将は、この4年間の景色を昨日のことのように覚えていた。

誰よりも野球に全てを捧げた4年間

思えば、波乱万丈の大学野球人生だった。言わずと知れた名門・履正社高から関大に進学したが、1学年18人と決まっていた高校と、200人もの部員が在籍する大学の人数の差に戸惑いを隠せなかった。練習時間も場所も限られ、与えられた量をこなすだけでは野球はうまくなれないと危機感を抱いた。さらに、同じ学部の肥後皓介(4年、広陵)と本城円(4年、履正社)が1年春でベンチ入り。いつも一緒にいる3人の中で自分だけが置いていかれたことが、悔しくてたまらなかった。「オフでもジムに行ったり練習したりしたし、授業に行かずに練習していたこともありました」。自他ともに認める負けず嫌いな性格がひたすら練習に打ち込ませた。その甲斐(かい)あって、その年の秋季リーグでは開幕スタメンの座を勝ち取る。そして、ルーキーながら神宮の打席に立った。

2回生の松島は好調だった。秋季リーグ、負けたら優勝の可能性が消える近大戦で逆転ホームランを放って勝負強さを見せると、関西地区代表決定戦でも本塁打を放つ。松島の大活躍により関大は2年連続の神宮出場を決めた。そして迎えた2度目の神宮、今度はスタメン出場。しかし、それまで絶好調だった右打者の姿はそこにはなく、3打席3三振の結果に。「悔しすぎて何かを変えないと、と思って」と、改善を試みるも、どんどん泥沼に足を取られていく。この苦しみは、3回生、4回生になっても続いた。さらに、ポジション争いは熾烈で、最後のリーグ戦も最後の神宮もほとんどベンチから見守り続けた。今大会の初戦・金沢学院大戦と準決勝の東海大戦には出場機会がなく「自分も試合に出たいが、最後にどこかにチャンスがあると思って待つ」と、同期が神宮の土を踏んでいく姿をただただ見送った。

決勝後のミーティングの松島

誰より野球に全てを捧げてきたが、暗闇から抜け出すことのできない日々が続いた。それでも松島は、苦労を苦労だとは思わないという。「うまくなるためには、悩みも必要だと思ってずっと我慢してきました」。誰よりもグラウンドに足を運び、時間を忘れて練習に打ち込むその姿は、後輩の心に深く刻まれた。今年は自主練習に取り組む部員が格段に増加した。「考えて野球をやらないと、とずっと思っていました。自分は言葉で伝えるのは下手だけど、そういうのを見てくれていたのかな」。確かにチーム全体の意識が上がっていた。「自分がキャプテンをしてきて何が全国2位につながったのかは全く分からないけど、もがけて良かった。自分は試合に出られていない立場だから、出られるようにもがいたのがチーム力につながったのかもしれないですね」。主将をはじめとする4年生の、ひたむきに野球と向き合う姿勢が関大に強さを与えた。

4回生と日本一の応援でのぼりつめた頂点

弱い弱いといわれ続け、春季リーグも4位に沈んだ。だが、諦めなかった。練習に参加しないスタンド組の4回生は、練習補助のためにグラウンドに通って選手を支えた。試合中には声を枯らして声援を送った。そんな4回生がいたから、日本一の応援で関大は神宮の決勝までのぼりつめた。飛び抜けたスター選手がいないからこそ、「一丸突破」というスローガンのもとで、メンバーもスタンドもスタッフも関係なく全員で一つとなって新たな歴史を残した。

メンバーの4年生(トロフィーを持つのが松島)

今年の春の最終戦で、試合中に松島は足を負傷した。練習できない日々を過ごして再確認したのは、野球が大好きな自分。ベンチに入るためにバットを振り続けたあの日と、気持ちは何も変わっていなかった。「あのけががなかったら、野球が好きな自分に気付けていない。野球ができることにありがたさを感じたし、けがの間は野球がしたくて仕方なかった」と、今ではけがをして良かったとさえ思っている。神宮が終わって引退を迎え、練習に参加する必要はなくなったが、松島は「引退しても野球をしていると思う。野球が好きだし、自分の居場所は野球だから」と、笑顔を見せた。関大を聖地で準優勝に導いたのは、苦しみながらもひたむきに野球を愛し続けるキャプテンだった。