アメフト

法政大・岩松夢乃 アメフト一家に生まれ、アメフトに生きる女子大生の心意気

試合中、法政二高の選手に声をかける岩松(撮影・北川直樹)

アメフト全国高校選手権 関東地区決勝

1123日@東京・駒沢第二球技場
法政二(神奈川1位)21-35 佼成学園(東京1位)

アメリカンフットボールの秋の高校関東王者が決まる試合は、後半に地力の差を見せた佼成学園が35-21で法政二を下した。負けた法政二のサイドラインには、選手とともに悔し涙を流す女子大生がいた。

傘も差さず、フードも取って動き回る 

法政二のディフェンスの選手たちは、彼女の出すサインを頼りに戦った。試合中は「選手の動きが見づらくなるので」と、雨なのに傘も差さず、上着のフードも取り、チームエリアを動き回った。その豊かな表情、精力的な姿勢に惹(ひ)きつけられた。実は彼女のことは、この春の法政大と日大の試合のときから気にかかっていた。試合前の練習で、ボールを抱えて心から楽しそうな表情をしていたからだ。私は無意識に彼女にカメラを向け、シャッターを切っていた。 

今年6月の法政大―日大戦で、心から楽しそうにアメフトと接している岩松を見つけた

彼女は法政大3年の岩松夢乃(法政女子)。昨シーズンまでは大学のアメフト部で学生アシスタントコーチ(SA)を務めていたが、今年の1月から付属校の法政二高でディフェンスコーディネーターをしている。具体的な仕事は試合中にディフェンス側のサインを決め、選手に指示を出すことだ。高校生とはいえ男子のアメフト部員だから大きい。彼らの間をうろうろする身長152cmの女子大生は、しかしながら、気迫に満ちていた。 

岩松(最前列の左)は小学生になると長男(最前列の右)の試合を応援に行った(写真は父の薫さん提供)

岩松は、3人きょうだいの末っ子として生まれた。父の薫さんは、舞岡高(神奈川)のアメフト部でOLLBを務めた。七つ離れた長男の秀将(ひでまさ)さんは、法政二高でDLだった。そして五つ離れた次男の慶将(よしまさ)さんは、松陽高(神奈川)から日大を経て、いまも社会人Xリーグの富士通フロンティアーズでWRをしている。末っ子は幼稚園のころから、父に連れられてアメフトの試合会場に行っていた。「生まれたときから、アメフトがあるのが当たり前の生活でした」と、岩松は当時を振り返る。 

岩松の父薫さん(左)と、富士通のWRとして活躍する次男の慶将さん(撮影・北川直樹)

兄とのキャッチボールも、野球のボールではなくアメフトのボールだった。「夢乃専用のボールがありました」と、父の薫さん。小学校に上がると、長男・秀将さんの法政二高の試合があるたびに、家族で応援に駆けつけた。「普通の小さな女の子なら、アメフトみたいなむさ苦しいのは怖がると思いますけど、夢乃は違いました。『これが心地いいんだよね』と言ったのを、よく覚えてます」と父。試合後は、自宅で開かれる父と兄の「反省会」で、試合のビデオも一緒に見た。現在もそれは変わらない。「いまは、私がビデオを見ながら父と反省会です」と言って、夢乃が笑う。

 法政二高アメフト部のマネージャーが夢だった

 「活気あふれるチームの雰囲気、そして掛け声がカッコよかったんです。自分も法政二高でアメフト部に入って、マネージャーをするのが夢でした。二高へのあこがれが強すぎて、ほかのチームでやるという選択肢はなかったです」。彼女が高校へ進む当時、法政二高はまだ男子校だったため、この夢はかなわなかった。それならばと、法政大のアメフト部に入るために、法政女子高に進学した。

 岩松家には、父のつくったルールがいくつかある。

「転んではいけない」「泣いてはいけない」「家にいるときは居間にいなければならない」「大きな声であいさつする」などなど。ほかにもたくさんあったというが、その一つに「高校を卒業するまでは運動部に入ること」というものがあった。当初は男子だけのルールだったが、体を動かすのが好きだった末っ子もこのルール通りに、小学校では水泳部、中学では陸上部、高校はソフトボール部に所属した。「小さいころからチャレンジするのが好きで、興味を持ったことや、新しいことに取り組みました」。言葉の節々に、強い意志が垣間見える。父のもと、二人の兄とともに鍛えた心身の強さ、しなやかさが、いまに生きている。

 大学に進学すると、当たり前のようにアメフト部に。迷わずにディフェンスチームの学生アシスタントコーチを志望した。理由は明確だった。五つ上の慶将さんが富士通のオフェンスにいるからだ。ライスボウルで対戦し、兄を止める側で勝ちたいのだ。「兄の敵として戦って、勝ちたいという気持ちが真っ先にありました」と岩松。慶将さんは高2の途中で、バスケ部からアメフト部に移り、日大に進んだ。日大ではエースWRとして活躍、甲子園ボウルにも出た。岩松には、そんな兄の活躍を見ながらも、あこがれるでもなく「自分が法政に進んだら、日大に絶対勝つんだという思いしかなかったです」と言ってのける強さがある。

法政二高のディフェンスメンバーにサインを出す岩松(最前列の右、撮影・北川直樹)

 岩松が務めるSAの仕事は、対戦相手の分析、試合のプラン立て、練習メニューの構成起案から、試合時のゲームマネジメントまで多岐にわたる。大学では、これらの仕事を複数のスタッフで分業する。3年前に法政アメフト部の組織が新しくなり、高校と大学の連携を強化する動きが生まれた。昨シーズンからは、大学のSAが高校のコーディネーターとして出向くプログラムが始まった。今春のシーズン前、法政大の有澤玄監督との面談で「二高でディフェンスコーディネーターをしないか?」と打診された。小さいころに抱いた法政二高で戦うという夢をかなえるチャンスだと思った。岩松は迷わずに首を縦に振った。

 法政二高でコーディネーターをすることになり、胸が踊った。しかし、実際に着任すると、様々な課題や問題に直面した。女子の岩松には、当然アメフトのプレー経験がない。当時はアサイメントや戦術に対する知識、造詣が深いわけでもなかった。そんな中、いきなりディフェンスコーディネーターとしてチームに入ってきた女子を歓迎するほど、高校生たちは物分かりがよくなかった。「当然のように信頼関係はないし、お互いに疑問をもったまま暗中模索という感じでした」。岩松は当時をこう振り返る。

それでも、チームを勝たせるために変化を作り出さなければならない。とにかく状況を前に進めるためにしたのは「理屈じゃなく、会話をすること」だった。選手一人ひとりと向き合うために、とにかく話しかけた。春シーズン終了後には、11の個人面談をした。選手それぞれに「春の反省、何を目標にしているか、どういうディフェンスをしたいのか」といった話を徹底的に聞いた。 

コミュニケーションを取る上で、岩松が意識していることがある。それは、何か課題に直面しても答えを与えないこと。徹底的に考えさせて、まず自分の口から言わせるようにした。春シーズン前に掲げた目標は、「常に考えるディフェンス」。それは、監督やコーチにやらされるアメフトではなく、全員が自発的に考え、動くチームを作るということ。これを実現するためには、一つひとつの行動すべてに「なぜ?」という考えを持たせたかった。面談以外でも、気になる選手がいれば話しかけ、練習中も気になることがあれば、プレーを止めてでも話をした。議論した。こうして日頃から濃密なコミュニケーションをとり、ハードな夏合宿をともに乗り越える中で、徐々に信頼関係が形成されていった。

いいプレーをした選手をたたえる岩松(中央左、撮影・北川直樹)

高校生は、まだ何もない無地のキャンバス 

大学では分担していた仕事を、高校では一人でやりきる必要がある。対戦相手を分析してデータをまとめ、練習メニューを決める。そして1プレーずつ、丁寧に選手と振り返る。試合となれば、サイン出しから采配までを一手に負う。仕事は大変だが、その分だけ充実している。高校生と一緒に取り組むことの醍醐味も、もちろんある。「高校生は、まだ何もない無地のキャンバスのようなものです。真っ白くて、どんな要素を足しても必ず成長する」。岩松は目を輝かせながら話した。しかし、悩むこともあった。春シーズンを前にディフェンスコーディネーターに就任したが、岩松自身がプレーヤーを経験していないため、選手に技術的なアドバイスができないという葛藤だ。 

そのころ、たまたま昨年の法政大の主将でLBだった寺林翼がコーチ部屋に出入りしていた。学年が二つ離れていることもあり、はじめは挨拶(あいさつ)をする程度だったが、このチャンスを逃す手はないと思った。何気なく、スマホで練習のビデオを見せながら相談し、プレーヤー目線のアドバイスをもらった。そこから話す回数が増え、「高校の練習を手伝ってほしいと、しつこく、しつこく誘いました」と岩松。寺林は法政育ちではないため、当初はあまり関心を持ってくれなかったが、練習に顔をだすうちに、川村智紀(3年)をはじめとしたLB陣のポテンシャルに魅せられ、のめり込んでいった。LB担当の寺林に続いて、寺林の同期の藤田廉三郎がDBコーチに加わり、岩松はコーディネーターとDLを担当することになった。技術面の指導を二人に協力してもらいながら、三人四脚でのチーム作りが始まった。 

自分が女だからといって、岩松が技術的な指導を寺林と藤田に丸投げしたわけではない。こんなエピソードがある。技術指導をするには自分でやることが大事と考え、ダミーに当たってみた。「正直、痛かったです。肩に刺青(いれずみ)みたいなアザができましたし、ひどい筋肉痛にもなりました」。それまでは、学んだ知識をただ選手に伝えてきた。しかし、実際に自分でやると、頭のなかで分かっているつもりの動き一つにも、全然違った側面が見えた。体の使い方や、意識を置かなければいかない部分を深く理解でき、指導の幅も広がった。加えて、ハードな練習ゆえの安全面への配慮についても、身に染みて感じたという。 

自分ができることに最善を尽くし、チャレンジもする。足りない部分は周囲を巻き込み、助けを求めた。彼女のなりふり構わない取り組みに応えるように、法政二高は、春、秋ともに神奈川県大会を制した。

法政二高の負けが決まり、涙を流す岩松(左から2人目、撮影・北川直樹)

二高生は私の息子、めちゃくちゃかわいい 

岩松に今シーズンの収穫について聞いた。「成長率です。春の段階では基礎もなく、感覚でプレーしてる感じでした。でも夏を越えてそれが変わってきた。それぞれがしっかりと考え、行動できるようになったんです。春の関東大会決勝で佼成学園と対戦したときは、はっきり言って試合にならなかった。それが秋にこれだけのチームになれたのは、本当に感慨深いですね」。細めた両目に、涙がにじんだ。「正直、ここまで来たからにはクリスマスボウルの舞台を見たかったです。春のシーズンは試合の途中であきらめてしまっていた選手たちが、最後まで戦った。11の勝負に負けても、最後までやりぬく姿勢に胸を打たれました」。そして、最後にこう付け加えた。「これはもう、母親の心境だと思います。二高生は私の息子です、この一年で母親の心境というものがよく分かりました。みんながめちゃくちゃかわいいです」 

来年の春には大学4年生になる、来シーズンの体制は決まっていない。高校に残るのか、大学に戻るのかも分からない。しかし、コーチとしてなりたい姿は決まっている。「上から指示を出すのではなく、選手と同じ目線で一緒にチームを作っていくということを大事にしてます。そのためには、まず自分が動くこと。たとえば、試合中にチームの雰囲気が落ちてるとき、人に声を出せというのではなく、自分から声を出す。それが一番の影響力なんじゃないかと思います」。そして、こう続けた。「一人ひとりに、しっかりアプローチすることです。シーズン中はどうしても、主力の選手にかかりっきりになってしまう。自分が1年生のころ、みんなについていけず、置いてけぼりになったことがあるんです。自分がそれを経験したからこそ、フォローできる部分なんじゃないかなと思ってます」。活躍する選手だけでなく、全員がそれぞれの役割をやりきり、チーム力で勝つ。それが岩松の描くチーム像だ。 

練習が休みの日は、授業のあとに友だちと女子会もする普通の女子大生。しかし、シーズンに入ると、すぐに帰宅して戦術の整理に没頭する。岩松にとっては、小学生のころから夢見たアメフト漬けの生活が心底幸せだという。フィールドに立つことはなくても、等身大の自分で選手とともに戦う。岩松夢乃はいま、夢の途中にいる。

岩松(最前列)のアメフトにかける思いは、そこらへんの選手よりずっと強い(撮影・北川直樹)

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