国士舘大アメフト山崎滉登 母に支えられ、兄の背中を追い、全身全霊の挑戦
アメフト関東大学リーグ1部BIG8 第4節
10月20日@富士通スタジアム川崎
日大(4勝)35-10 国士舘大(4敗)
アメリカンフットボールの関東1部BIG8の第4節で、日大が国士舘大に35-10で勝った。負けた国士舘大には、以前から気になっていた選手がいた。OL(オフェンスライン)兼DL(ディフェンスライン)の山崎滉登(ひろと、3年、知徳)だ。
チームでただひとりの「リャンメン」
山崎はチームでただひとり、攻守ともに試合に出場する「リャンメン(両面)」。ラインの人数が足りない訳ではないが、チーム事情から身長170cm、体重95kgとラインとしては小さな体で攻守に奮闘している。日大戦の前半はリャンメンで出場し、消耗が激しかったため、後半からはディフェンスに専念した。山崎は試合中、誰よりも叫んでいた。フィールド上でもベンチでも、声を張って仲間を励ます。悔しいプレーがあると、大げさなほどに悔しがった。面白い選手だと感じた。試合後に話を聞きにいくと、試合中の気性の荒さはどこへやら。物腰の柔らかい好青年であることに驚いた。
3歳上の兄は日大のキャプテンだった
山崎には3歳上の兄がいる。2017年に日大フェニックスの主将としてチームを27年ぶりの甲子園ボウル優勝に導いた奨悟さん(現・富士通フロンティアーズ)だ。兄は日大時代もいまもDLとしてプレーしている。山崎がフットボールを始めたのも兄の影響だ。奨悟さんは、知徳高校(静岡)のアメフト部で活躍し、主将も務めた。中学まではバスケに熱中した山崎だったが、兄を見ていると、自分もアメフトがしたくなった。兄のつてで知徳高の足立有三監督に相談すると「山崎の弟ならぜひ」と誘われた。
進学が決まった中3の夏には、早くも知徳高アメフト部の合宿に参加した。主将としてリーダーシップを発揮し、活躍する兄は、家で見る以上にカッコよく見えた。入れ替わりで一緒にプレーすることはなかったが、先輩からいつも「お前のアニキはすごかった」という話を聞いた。そのたび、プレッシャーを感じるよりも、誇らしさの方が大きかったという。「とにかく尊敬してるし、本当にすごいと思ってます。当時からずっと、あこがれの人です」。山崎にとってのヒーローは、昔もいまも奨悟さんだという。
もちろん兄のいる日大にもあこがれたが、知徳の同期4人とともに国士舘へ進んだ。大学でアメフトを続けることに対して、迷いもあった。女手一つで育て上げてくれた母のまゆみさんの苦労を見ていると、早く就職して、楽をさせてあげたい気持ちがあったからだ。しかし、母は背中を押してくれた。大学でアメフトを続ける道を選んだ。やるからには、常に感謝の気持ちを忘れず、しっかり取り組むことで恩返しすると決めた。「休まずに働きながらも、試合の応援には静岡から東京まで、ほぼ毎回来てくれます。本当にありがたいと思ってます」。山崎は少し上を向きながら、そう話した。
最近は、試合前に奨悟さんからメールが送られてくる。いつも短い文章でアドバイスが書かれている。日大戦に向けては「とにかく声を出せ。暴れてこい!」だった。それを聞いて納得した。あれだけ感情を表に出してプレーしていた背景には、兄の言葉があったのだ。日大のエースQB林大希(3年、大正)は「今日は相手の方が必死でした。そこは負けてました」と言った。
スタンドを見上げ、流した涙
山崎がDLとして日大のQBやRBにタックルを決めるシーンが何度かあった。「ボールを狙ったのに取れなかった、ダメですね」。決して妥協しない強さも彼の魅力だ。リャンメンで出るのはもちろんキツいが、「期待の現れだと思うので、ちゃんと応えていきたいです」と話している。
山崎に得意なプレーを尋ねると、すぐに「手で相手をコントロールすること」と返ってきた。奨悟さん直伝の日大式の練習方法があって、夏休みに静岡の実家で会った際、徹底的に叩き込まれたのだという。この練習はシーズンに入っても、ずっと続けているそうだ。
国士舘には、今シーズンまだ勝ち星がない。チームの課題と残りのリーグ戦3試合について山崎に聞いた。「試合でやるべきことを練習から徹底する意識がまだまだ足りない。自分ももっと、試合だけでなく練習から声を出して、チームを引っ張るという基本をしっかりやらないといけないんです。全員が当事者意識をもって取り組み、残りの試合には全部勝つことが目標です」と、まっすぐな言葉が返ってきた。
山崎は日大に負けたあと、スタンドを見上げながら涙を流していた。母に支えられ、兄の背中を追って。山崎滉登、全身全霊の挑戦は続いていく。