ラグビー

特集:第56回全国大学ラグビー選手権

「チームは毎年変わる。一歩一歩いこうよ」早稲田・相良南海夫監督(下) 

選手ファーストを貫き、就任2年目で日本一になった(撮影・谷本結利)

1月11日、新しい国立競技場でラグビーの大学選手権決勝があり、早稲田大が45-35で明治大を下して11シーズンぶりの優勝を飾った。早稲田を率いたのは就任2年目のOB、相良南海夫(なみお)監督(50)である。その手腕に迫る連載の後編は、監督の指導哲学について。

いぶし銀タイプのフランカーだった

現役時代、相良監督はいぶし銀タイプのFLだった。高校時代は早稲田大学高等学院で、早稲田だけでなく日本代表の監督も務めた故・大西鐵之祐監督の薫陶を受け、花園にも出場した。早稲田大への進学後も、2年生のときには2学年上の清宮克幸主将(現・日本ラグビー協会副会長)らとともに大学選手権優勝を経験した。

三菱重工相模原に進んで競技を続け、現役引退後の2006年度には監督としてチームを初のトップリーグ昇格に導き、翌07年度は監督としてトップリーグも経験。この1シーズン限りで降格してしまったが、その後は、採用などチームの裏方を務めていたという。そして12年度、早稲田に後藤禎和監督が就任すると、3年間は週末にコーチを務めていた。

監督の話をもらい、覚悟を決めた(撮影・佐伯航平)

相良氏に白羽の矢が立ったのは、17年の12月末のことだった。就任2年目の山下大悟監督が指揮していた早稲田は、3回戦で東海大に18-47と負けて、4シーズン連続で準決勝進出を逃した。2018年シーズンは早稲田大創部100周年ということもあり、悪い流れを断ち切る期待を受けて、相良監督が就任した。

相良監督は当時をこう振り返る。「話をもらったときには、覚悟を決めてました。結果を求められるプレッシャーがあったと思われるかもしれませんが、『こいつだから失敗してもしょうがないだろう』と思ってもらえるかな、という気楽さもあった。ただ、前任の山下(大悟監督)が連れてきた本当にいい選手がいることは間違いないし、いいチームになれないはずがないと思ってました」

学生主体が早稲田の原点

高校、大学と早稲田ラグビーで育ち、OBとなってからも大学のコーチとして携わってきた相良監督は、当時の学生たちに物足りなさを感じていた。もしかしたら、前任の山下監督がトップダウンで指導にあたっていたことが大きく影響していたのかもしれない。

「ラグビーを取り巻く環境が変わってるし、トレンドもありますし、コーチたちが一生懸命やってくれてます。ただ、いま風に言えば『選手ファースト』ですが、早稲田の原点は学生が主体となって、学生自身が考えてやること。それを大事にして(2年間)一貫してできたと思います」と相良監督。就任してすぐに学生主体を強調し、選手たちのリーダー陣の集まりである「委員会」から選手たちの要望を聞くことを続けている。

大西監督の存在は、相良監督の原点でもある(撮影・佐伯航平)

相良監督にとっての指導者といえば大西監督である。「大西先生と密度が濃かったのは高校3年間。大西理論の素晴らしさもありましたが、やはり勝負どころが、どこかということを教えてくれたような気がします。『やるのは君たちだ』と動機付けしてくれた。『努力した経験があるからこそ、社会に入ってもいいランナーでいられる』『何か目標と向き合って努力した、そのプロセスが絶対に後の人生に生きる』という哲学的な教えもありました。僕はたぶん、その100分の1くらいしか伝えられていないかもしれないけど、そういうことを学生たちに感じてもらえたらいいなと思ってます」

トップリーグ経験のあるOB3人をフルタイムコーチに

相良監督は指導するにあたっては早稲田として大事な部分、アイデンティティーだと思っていることを徹底した。サポートをさぼらない、たとえ抜かれてもディフェンスのバッキングアップにしっかりいく、イーブンボールで体を張るという部分は、負けてはならないという強い思いがあった。「(就任)2年目になって、僕が変わったというよりも、学生たちもそういうことが大事と意識してくれるようになりましたね」

今シーズンは、昨シーズンのコーチたちが別のチームに移ったこともあり、相良監督はコーチ陣を一新した。リコーでコーチを務めていた武川正敏ヘッドコーチ、キャプテンとして大学選手権で優勝経験のある元NECの権丈(けんじょう)太郎FWコーチ、元日本代表SHで神戸製鋼でもプレーした後藤翔太コーチ。早稲田OBでありトップリーグ経験のある3人を加え、相良監督と合わせて4人がフルタイムで指導できる体制を整えた。

「後藤にしても権丈にしても、早稲田大の黄金世代を過ごしてきて、『荒ぶる』を歌うということが彼らなりにどういうことが分かってるんです。甘さや選手間の遠慮がちな関係がそのままであれば、殻を破れない。だから、コーチ陣がコンタクトやフィジカル勝負の練習のときに『まだ本気になってないんじゃないか?』ということをだいぶ言ってたと思います」

すぐに立って動く、キーワードは「凸(とつ)」

昨シーズン同様に、まずディフェンスからチームを作り、そしてゲインラインの攻防を大事にすることを軸にすえて、アタックではどの選手も攻撃の選択肢になる「オールオプション」を掲げた。またアタック、ディフェンスにおいて、相手に勝てる姿勢でポジショニングする「勝ちポジ」を強調し続けるのも同じだった。

さらに、今シーズンは「凸(とつ)」という言葉をキーワードとして加えた。2000年前後に、倒れても倒れてもすぐに起き上がってくる運動量豊富なHOとして活躍したOBの中村喜徳氏のあだ名が「凸」だった。「大西先生の教えでも、1人で勝てなければ2人で勝てばいい。つまり2倍働けということだったんですが、今シーズン、すぐに立って動き続けることをキーワードにしたいという話になって、『凸』となりました」

課題のスクラムにも正面から取り組み、克服をめざした(撮影・谷本結利)

春シーズンに課題だったスクラムも、やはりOBの佐藤友重スクラムコーチの指導の下、少しずつ課題を克服していった。「バックス陣が充実してましたし、ファンの期待も大きかったので、そういった意味ではプレッシャーがありました。セットプレーで戦えることが最低条件だったので、去年の7月、FWはスクラム練習に1カ月を費やしました。夏合宿である程度の結果が出たのが大きかったです」

主将の齋藤に「自分に矢印を向けてやってくれた」

キャプテンのSH齋藤(直人)について相良監督は「あまりキャプテンとしての立場を背負いすぎると、プレーが死んでしまうことが多々あった。とにかくグラウンドで、プレーで表現してくれればいいと思ってましたし、一人で背負うことはないと言ってました。シーズン中にけがをして、もどかしさはあったと思いますが、しっかり自分に矢印を向けてやってくれました」と、たたえた。

相良監督の息子・昌彦もトライを決めた(撮影・谷本結利)

また高大連携の強化の成果も見えた。大学選手権決勝でHO森島大智(4年)、No.8丸尾崇真(3年)、そして相良監督の息子の昌彦(1年)と、早稲田実業高校出身者の活躍が目立った。相良監督は「好きなように推薦で選手を取れない環境なので、早実とはうまく連携ができてます」と語る。

自分から先頭に立って指導し、引っ張っていくタイプの指導者ではない。相良監督はあくまでも「選手が主役」「選手ファースト」という信念の下、コーチにある程度は任せつつ、選手の成長を待ち、サポートし続けた。たとえCチーム、Bチームの選手でも、いいプレーをすればコーチたちが推挙して上のチームでプレーできる環境も整えた。

人生は大学で終わる訳じゃない

相良監督は「就任してから選手を大事にしてきたつもりですし、怠けてたり、一生懸命やってなかったりした選手を正すことは、一貫してできたかなと思います。レギュラーではない選手も、目標を持って一生懸命やってくれてます。そういう(環境は)いいな、よかったなと思います。プロ集団ではないし、成功も失敗も糧になります。成功してる人の方が少ないし、大学で人生は終わりではない。そのあとの人生の方が長いので」と、しみじみ言った。

プレーだけではない。プレーを通して感じられるものを教える(撮影・佐伯航平)

来シーズン、早稲田は追われる立場になる。「明治、天理、東海、帝京も強いですね。ちょっと息苦しい、プレッシャーですね」。そう言って苦笑いした相良監督は「大学生は毎年チームが変わるので、連覇ということは意識せず『一歩一歩いこうよ』と学生には言いたいですね」と話した。今後も「選手が主役」「やるのは選手」というスタンスを変えるつもりはない。

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