波乱万丈の野球人生、後悔はまったくない 元巨人育成・柴田章吾(下)
国指定の難病・べーチェット病を背負いながら甲子園出場を果たし、明治大を経てプロ野球・巨人に育成で入団した柴田章吾さん(31)。その高校時代はこれまでたびたび紹介されてきたが、大学時代もまた激動の日々だった。現在は会社経営者として活躍する柴田さんに明治大での4years.を振り返ってもらった。後編は、イップスを克服して活躍しプロ入り、そして引退後のいまについてです。
チャンスをものにしてプロ入りをつかむ
3年生の夏頃、ようやくイップスを克服してリーグ戦のマウンドにも立った柴田さん。しかし、あろうことか3年冬にまたイップスが再発する。ごまかしながら4年生春のリーグ戦では打者2人に登板したが、アピールには程遠い内容だった。プロはおろか、社会人野球入りにも黄色信号がともった。
追い詰められた状況を好転させたのが、秋のリーグ戦前に行われた巨人2軍との交流戦だった。柴田さんはこの試合で真価を発揮し、走者を1人も許さず3回を零封。ネット裏で見ていた社会人の2チームからすぐに打診があったばかりか、巨人首脳陣の目にも留まった。ドラフトではイップスの前歴があったことから育成指名になったが、念願だったプロ入りをつかんだ。「父親には『その状態なら社会人野球に行ってほしい』と泣かれましたけど、育成から這い上がってやろうという気持ちでしたね」
高校では難病と向き合い、大学ではイップスと戦った。柴田さんは「病気にもならず、イップスにもならず、普通にできていたら、野球人生は変わっていただろうなとは思いますね」と話す。一方でこうも言う。
「何も苦労しないでそのままだったら、人としてどうなっていたか(笑)。病気とイップスという過去があり、人の痛みが手に取るように分かるようになりました」
張り合っていたライバルとも今ではいい関係に
柴田さんにとって学生最後のシーズンとなった4年秋、明治大は神宮大会も制し、秋の大学日本一を勝ち取る。「僕自身は貢献できませんでしたが、感無量でしたね」。有終の美は必然でもあったという。
「メンバー外も含めて同期は結束が固かったんです。僕たち4年生が引っ張っていたので、チームが1つの束になっていました。最後の秋は『優勝しよう』ではなく、『優勝する』という強い気持ちがチーム全員にありましたね」
チームの先頭に立ったのは、リーグ通算30勝のエース・野村だった。2年時からずっとキャッチボールのパートナーでもあった野村は意識する存在だったという。柴田は「野村の力は別格でしたが、対抗心はありました。それもあって、グラウンドを離れても話をするような間柄ではなかったですね」と明かす。
関係が一変したのは1年前から。東京で食事を共にするようになったという。
「2人とも30歳になって、大人になったんでしょうね(笑)。お互いのことをごく自然に話せるようになったんです。僕の事業に興味を示してくれたり、野村がプロの第一線で活躍できている理由を話してくれたり……前とは違い今ではいい関係です」
選手時代の過去に悔いはない
育成3位で入団した巨人での選手生活は3年で終わった。プロでもイップスと戦うことになってしまったが、2年目は2軍のイースタンリーグで27試合に登板するなど好調を維持。台湾ウィンターリーグに派遣されるなど、球団から期待されていた中で3年目を迎える。だがキャンプ中に盲腸になったのがたたり、このシーズン限りで戦力外になった。
野球をやめる時は誰しも「もし……」という思いがよぎるというが、柴田さんにはまったくなかったという。
「野球をやめてから、『もっとできたのでは』と思ったことは一度もないですね。野球が好きなのは今も変わりませんが、病気と向き合った高校時代、イップスにさいなまれた大学時代、そして巨人での3年間があるから、今があります」
選手引退後は球団職員として1年間働いた後、大学時代から関心があった就職活動を行い、難関で知られる外資系総合コンサルティング会社に内定した。3年半の在籍期間でプロのビジネスマンとしてのベースを築くと、柴田さんは起業を決断。2019年にNo border株式会社を立ち上げ、代表取締役を務めている。事業はスポーツブランディングとコンサルティングの2つが柱。前者はフィリピンにおける日本文化を取り入れた野球アカデミーの運営で、柴田さんは現地を活動拠点にしている。
充実した日々を送っている柴田さんにはさらなるビジョンもある。それはメジャーリーグの経営に携わることだ。「長期的な目標は引退後から一貫しています」と夢を語る。
ところで柴田さんにとって、明治大での4years.とはどんな時代だったのだろうか?
「病気のことを気にすることなく、野球と真剣に向き合えた時代ですね。それとお酒の席も含め、人との付き合い方、コミュニケーションを学んだ時代でもありました。明治大での4年間が経営者としての現在に活きているのは間違いないですね」
波乱万丈だった選手時代の過去を悔いることなく、過去があるから今があると言い切れる柴田さん。ビジネスマンとしての益々の活躍に期待したい。