早稲田が完全勝利でインカレ4連覇 村山豪「自分の役割」を全うしたラストイヤー
第73回 全日本大学男子選手権 決勝
12月6日
早稲田大学 3(25-18.25-20.25-21)0 日本体育大学
早稲田大学が4年連続8回目の優勝
2セットを連取した早稲田大学のマッチポイント。24-21の場面で、サーブ順が巡ってきたのは、主将の宮浦健人(4年、鎮西)。前衛に並んで立つふたりの4年生、ミドルブロッカーの村山豪(駿台学園)とセッターの中村駿介(大塚)はすでに半分泣きながら、祈るような思いでサーブの行方を見ていた。
「絶対決まる。ここで健人に決めてほしい」
祈りが通じたのか、宮浦が放ったサーブは日本体育大学の主将、西村信(4年、高川学園)のもとへ。レシーブの名手でもある西村も返すことができず、25-21。今度は半分ではなく、勝利の喜びに涙しながら、村山は4連覇の喜びをかみしめた。
戦術的な声掛けが、4年生になった自分の役割
「健人がキャプテンになって、嫌なこともきついこともたくさんあった。口数が多いわけではないし、自分でグイグイ引っ張るヤツではないけれど、でも絶対にサボらないし、どんな時も手を抜かない。その健人に最後のサーブが巡ってきたから『ここは絶対決めてほしい』と思ったし、本当に決めてくれる健人がすごい。しかも同じようにキャプテンとして頑張ってきたマコ(西村)のところにボールがいくのも、すごくドラマだな、って思ったら、涙が出てきちゃいました」
村山は駿台学園高校(東京)3年生の時に3冠(インターハイ、国体、春高)を達成し、早稲田でも下級生の頃からコートに立つ機会を得た。身体能力と相手との駆け引きができるバレー知の高さ。ブロックのみならず、スパイクでも抜群の存在感を発揮してきた村山だが、自分が「できる」と思うことが多いせいか、周囲に対する要求も高い。できなければ「なぜできないのか」と責める気持ちの方が強く、自分から歩み寄ることもしない。昨年まではそれでも先輩たちがリードしてくれたこともあり、自分は自分、とマイペースを貫けばいいと思っていた。
だが最終学年になり、次々公式戦が中止になる。それでもチームをつくらなければならず、4年生として果たさなければならない役割もある。鎮西高校(熊本)で全国優勝の経験もある水町泰杜(たいと)、荒尾怜音(れおん)といった“スーパー1年生”も加入し、傍から見れば早稲田の戦力の厚さは群を抜く。だが強く優れた「個」がそろうからこそ、チームとしてまとめるのは至難の業。もともと自身の背中やプレーで見せるタイプの宮浦や、発信することを得意とするタイプではない中村に全てを背負わせるわけにはいかない、と自身の役割を自覚した。村山はそう振り返る。
「もともと声を出したり、人に教えたりするのは苦手なんです。でも泰杜も怜音も分からないことを聞きにきてくれるし、高校でやっていたバレーがそのまま大学で通用するわけではないと自分たちも分かっている。今まではただ打つだけだったかもしれないけれど、ストレート(のブロック)が高いならリバウンドを取った方がいいとか、そうやってチャンスをつないでクロスに攻めれば効果的だよとか、戦術的な声掛けをするのが自分の役割だと思うようになりました」
「チームの頭脳」として
決勝の日体大戦もそう。サーブを打ち、後衛の3ローテはベンチにいるため、その間に相手のブロックがどうついていて、どのスペースが空いているかをコートに戻った時に中村へ伝える。セット間には松井泰二監督から示されるデータで打数の多い選手と、どのコースに打たれているかを共有し、コート内に伝える。そんな村山に松井監督が「チームの頭脳を担ってくれた」と全幅の信頼を寄せた。
試合中も自ら声を出し、周りを鼓舞(こぶ)する。村山の変化をともにコートへ立つ4年生は最も近い場所で感じ、主将の宮浦は「練習中も試合中も、自分以上に豪が引っ張ってくれて支えてくれた」と述べ、セッターの中村はこう言った。「去年までは豪の打数が少なかったり、トスが悪いと怒られたり、積極的に声をかけるどころか嫌なことは無視して、自分の中に閉じ込めるタイプだったんです。でも今年は全然違う。インカレ直前にチームがバラバラになりかけた時も、まとめてくれたのは豪でした」
水町「今の4年生のような選手になりたい」
開幕3日前の11月28日。最後のゲーム練習としてチーム内でAB戦を行うも、普段は12~13点で圧勝するAチームがBチームに負けた。しかも競り合うわけではなく、自分たちで崩れた自滅に近い展開。口には出さずとも、全員が感じている焦りをくみ取り、Aチームの選手を集めて鼓舞したのが村山だった。
「一人ひとり思うところがあって、『絶対勝たなきゃダメだ』と思い過ぎていたんです。だから余裕がなくて、勝つことしか考えられない。これじゃダメだ、と思ったので『楽しんでいないよね。これが最後だから、後悔せず思いっきり自分たちのバレーをやろうよ』って。今まで試合でも負けていない分、余計なプレッシャーを背負い過ぎていると思ったので、まずは楽しむこと。それだけできれば大丈夫だと思いました」
直前の檄(げき)の成果か、12月1日のインカレ初戦から強さを存分に発揮し、個の力、組織力、全ての面で相手を圧倒した。大会が始まれば多くを語らずとも、コートで着実に引っ張ってくれる姿に、感じるのは頼もしさだけだった。そう言うのは水町だ。
「たまに劣勢になることがあっても、4年生がいれば絶対に大丈夫、と思える絶対的な安心感がありました。だから自分もミスを気にせず攻めることができたし、たった一言で力をくれる。自分もあんな風に信頼されて、チームを引っ張れる、今の4年生のような選手になりたいって思いました」
最後のインカレに挑めなかった選手のためにも
コロナ禍で迎えたインカレ。当初は開催すら危ぶまれ、大会直前や大会中に出場がかなわなかったチームも多くある。優勝直後のインタビューで松井監督が「全国で苦しかったチームがいっぱいいる中、ここに立てる幸せを感じながら決勝を戦えたことをうれしく思う。選手たちは立派だった」と涙で言葉を詰まらせたように、勝つことだけでなく、それぞれが背負うもの。最後のインカレは、その重さも実感する機会だったと村山は言う。
「(駿台学園の同級生の土岐)大陽(中央大)や(吉田)裕亮(東京学芸大)、試合に出られなかった仲間や、決勝に立てずに負けていった仲間の思いも全部背負って戦いたかった。4年間の中で一番勝ちたいインカレで、勝たないといけないとも思っていたので、最後は健人が決めてくれて、『こういう形で終わりたい』と思う最高の形で終わることができて、本当によかったです」
4年間、インカレの勝率は10割。しかも最後は失セット0の完全優勝。“最強”の4年生たちが迎えた、最高のフィナーレだった。