陸上・駅伝

特集:第97回箱根駅伝

「強い東洋」復活の先頭に立つ4年生 西山和弥、吉川洋次が語る最後の箱根への思い

エース西山の快走が「強い東洋」復活には欠かせない(写真提供・東洋大学)

12月11日に東洋大学の箱根駅伝事前オンライン会見があった。「強い東洋」の復活を掲げ、「回帰と挑戦」のスローガンのもとまとまってきたチーム。その先頭に立ってきたのは4年生たちだ。登壇した西山和弥(4年、東農大二)と吉川洋次(4年、那須拓陽)に最後の箱根駅伝への思いを聞いた。

箱根駅伝3位以上を目指す東洋大 酒井俊幸監督「鉄紺らしい走りを見せる」

エース西山「しっかりチームに恩返しを」

エースとして走りでチームを引っ張ってきた西山。「今までの駅伝では不甲斐ない結果でチームに迷惑をかけているので、しっかりチームに恩返しをして卒業したい」と抱負を語った。

西山は箱根駅伝では3年連続で1区を担当した。1、2年次は区間賞、前回は14位。昨年のこの時期は「自分に自信がなく、それが走りに出てしまった」と振り返る。新チームになり自宅待機となる中で、走り以外の部分も見直しながら徐々に調子をあげてきた。

夏場には大迫傑の主催する「Suger Elite」のキャンプに参加し、大迫や他の選手の取り組みを間近で見た。練習で特別なことはしていなかったというが、練習に対しての意識ややり切る姿勢、意思を学んだという。合宿に行く前と後では意識が変わり、「より高いところを目指せるようになったきっかけになった」という。

今年の全日本大学駅伝では7区11位、12月4日の日本選手権10000mでは28分54秒30と目立った結果を残せなかったが、「自分自身、自信のつくような練習ができていると思います。しっかり調整すれば走れるのではという練習はできていると思います」と前向きだ。その一方、状態は悪くなかったがパフォーマンスにつながらなかったことについて重ねて問われると「練習自体は質の高いものができていて、最後にいい状態に持っていくことができなかったのが課題」と口にした。

世界を目指すのは東洋大のエースとして必然

全日本大学駅伝を走ったあとは、箱根駅伝に合わせたいので日本選手権への出場をどうするか考える、とも語っていた西山。日本選手権もあるが箱根駅伝をも見すえ、少し賭けに出るような練習もしていた、という。酒井監督も西山の「日本選手権に出たい」という気持ちを汲み取った。

常々酒井監督は、学生のうちから世界を目指すことの大切さについても口にしている。「チームとしても目指しているところではあるので、(日本選手権に出るのは)エースとして必然と考えました。日本選手権出場を目指して標準記録を突破し、本人も出場を強く望んでいました」

日本選手権は高速レースとなり西山は先頭から周回遅れに。だがこの経験が今後活きてくると酒井監督(撮影・朝日新聞社)

結果的に日本選手権では東洋大の先輩である相澤晃(現・旭化成)が日本記録を更新して優勝、オリンピック内定をつかんだ。「速い展開でのレースを経験できているのは、今回の箱根やそれ以降につながっていくと思います」と西山の成長にいい影響があるとみている。西山も「今回は結果的には結果に繋がりませんでしたが、箱根に向けての練習もできているので、監督と話してピークを合わせることに集中しています」と前向きだ。

体作りから見直した吉川、最後の箱根では区間賞を

キーマンとして酒井監督に名前を挙げられた吉川は、1年次は4区、2、3年次は3区といずれも往路を任されている。前回は区間13位で「チームにとっても不甲斐ない結果で終わってしまい、個人としても後悔が残った」と振り返る。最後の箱根駅伝では「区間賞を取りたい」と特別な思いを持って臨む。

去年から故障している期間が長かったという吉川。前回の箱根が終わってから故障があまりにも多いことを反省点として挙げていた。練習をしていても自分の走りに納得がいかなかったり、他の選手を見て焦ることもあったという。感情がどうしても前に出てしまい、自分を客観視できていなかった、とその頃のことを振り返る。

最後の箱根駅伝では「区間賞を取りたい」という強い思いで臨む吉川(写真提供・東洋大学)

その上で自分に必要なものは何かと考え、体作りが一番大事だと気づいた。トレーナーの協力を得てケアをしっかりしたり、練習前の準備の時間を長くしたりと、走る以外で必要な部分を見つめ直してトレーニングしてきた。そしてこのコロナ禍で「当たり前が当たり前でなくなってしまった」からこそ、与えられた環境、今ある環境が素晴らしいものだと感じ、多くの人に支えられていることに気づくことができたという。

帰省期間が終わり、6月に帰寮してからも左のシンスプリントに痛みを感じることがあった。その後状態は上がってきていたが、全日本大学駅伝は「出走できる状態ではない」と冷静に判断でき、監督にも相談した。「全日本に出られないのは悔しさもありましたけど、無理のあるレースは避けたほうがいいかなという思いもありました」。下級生を伸ばすためにも枠をゆずるという意識もあった。「それでもモチベーションを落とさず練習を継続できていました。最大の目標は箱根なので。悔しさはあるけど間違いではない選択だったと思います」

主将・大森の存在の大きさ

2人がともに口にしたのが、主将・大森龍之介(4年、佐野日大)の存在だ。いま、東洋大陸上部では感染防止対策のため、箱根駅伝のメンバー候補以外の選手を帰省させ、寮での密を避ける対策をとっている。その中でも4年生は全員寮に残り、走るメンバーのバックアップをしてくれているという。メンバーに入れなかった大森もその一人だ。

大森は痛みを抱えながらも11月の関東インカレに出場。「最後まで諦めない姿勢」を示した(撮影・藤井みさ)

西山は春先に自宅待機となった際にも「大森を中心にチーム一丸となれた」と真っ先に彼の名を口にした。思うように走れないときには大森から厳しい言葉をかけられることもあったが、それも西山を思ってのことだった。吉川も大森について「昨年も駅伝メンバーに絡めず、個人で結果も出ない中で悩んだり苦しい時期が多かったと思います。でもそういう顔は一切見せずにメンバーに尽くしてくれたり、チームの雰囲気を良くしてくれています」と感謝する。

東洋大陸上部は長距離ブロックと競歩ブロックが練習をともにしているため、池田向希(4年、浜松日体)、川野将虎(4年、御殿場南)といった世界レベルの選手とも常に刺激し合っている。そういった高いレベルの選手と合わせ、「走れる選手以外がチームにとってすごくプラスになっているのを感じる」と吉川はいう。

大森は11月22日の関東インカレ5000mにも、痛みを抱えながら出場し、主将として、いちアスリートとして最後まで向かっていく姿を示した。酒井監督も大森のことをキーマンのひとりとして挙げる。「同学年からの信頼も厚く、走りで引っ張る西山とサポートする大森、非常にいい学年ができていると思います」

1、2年生の若い力に勢いがある東洋大だが、しっかりとまとまる4年生の存在があってこそ、選手の力が発揮できているのだろう。彼らの最後の箱根駅伝はもうすぐだ。

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