陸上・駅伝

特集:第97回箱根駅伝

東海大の“3本柱”塩澤稀夕、名取燎太、西田壮志「3人そろって区間賞を」

高3の都大路では(左から)名取、塩澤、西田の順に1区区間1~3位となり、そろって東海大に進んだ(撮影・東海大学)

“黄金世代”と呼ばれた昨年の4年生が卒業する際、「来年はお前らの代で優勝してくれ」と託された。その言葉も励みにして戦ってきた東海大学は、箱根駅伝で「往路優勝」「総合優勝」を目標に掲げている。チームを支える4年生の中でも、「3本柱」と呼ばれている主将の塩澤稀夕(きせき、伊賀白鳳)、副将の名取燎太(佐久長聖)、西田壮志(たけし、九州学院)は強い思いを胸に、最後の箱根駅伝に挑む

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トラックで見せた主将の雄姿、往路で勢いをつける

「新型コロナウイルスの影響でなかなかチームがまとまらない時期もあったのですが、今こうして箱根に向かってチーム一丸となって戦えていることが何よりかなと思います」。そう話す塩澤はこの1年、70人近いチームを主将として引っ張っていく難しさを感じていた。4月に緊急事態宣言を受けて大半の選手が帰省。それでも駅伝があることを信じて練習を重ね、チームメートにも声をかけ続けていた。6月下旬から段階的に選手たちが寮に戻っていき、夏合宿を通じてチームは再び駅伝に向けて動き始めた。

選手たちのパフォーマンスにバラツキを感じた両角速監督は、トラックレースで記録を狙うよりも、駅伝を見すえたトレーニングを継続させる方法を選択。その中で塩澤は9月の日本インカレで5000mと10000m、12月4日の日本選手権では10000mに出場した。調整のために別練習をすることもあったが、名取や西田などがチーム練習を引っ張ってくれている姿は心強く、「ふたりには感謝しています」と塩澤は言う。だからこそ、主将として自分が結果を出すことでチームに流れをつくりたいと考えてきた。日本インカレではともに7位入賞、日本選手権では28分08秒83で自己ベストを更新。目指していた順位やタイムには届かなかったが、主将としての走りを見せてくれた。

9月の日本インカレで塩澤(6番)は5000mと10000mに出走し、ともに7位入賞を果たしている(撮影・藤井みさ)

11月1日の全日本大学駅伝で塩澤は2年連続となる3区を任され、17位から11位に順位を引き上げて襷(たすき)をつないだ。昨年よりも12秒速い33分45秒で走ったが、区間2位の結果に「力不足」と言葉をもらした。東海大は6区で一度首位に立ち、アンカー勝負で2位になった。「しっかりと先頭で走ることができた、積極的なレースができたので、そこは手応えに感じていました」と話すも、「勝ち切れないところと、4年生の3人が『三本柱』と言われているからには区間賞を取らないといけない」と改めて痛感させられた。

これまでの悔しさも全て、箱根駅伝にぶつけるつもりだ。自身初となった前回の箱根駅伝では2区を走り、区間7位。今大会では特に希望区間はないと話すが、往路でチームに勢いをつける走りをして、学生3大駅伝初の区間賞を狙う。

走れなかった日々があったから、名取が狙うリベンジ

名取は前回の箱根駅伝で4区区間2位と結果を残したが、そこに喜びはない。「あの時の青山学院大の吉田祐也さん(現・GMO)とは1分近く差を広げられてしまったので、そこにすごい悔いが残っているというか、その部分を今年は晴らしたいなと思っています」。昨年の12月上旬に足を痛めてしまい、十分な練習を積めないまま箱根駅伝を迎えてしまった。今年12月の状況としては「特に可もなく不可もなく」と言いながら、リベンジとなる箱根駅伝に向けて最終調整に入っている。

東海大での4年間で最も印象に残っているのは昨年の全日本大学駅伝。アンカーを任され、自分の走りで首位に立ち、笑顔で優勝のゴールテープを切った。最初から順風満帆だったわけではない。東海大に入学してから相次ぐけがで結果を残せず、2年生の11月に両角監督から別メニューの提案を受けた。歩くことから始め、ジョグも1km5分を切らないペース。「まずは両角先生の言うとおりに走ってみよう」と考え、この先で結果を出せている自分の姿をイメージしながら継続した。その日々があったからこそ、エースとして期待されている今の自分があると実感している。

全日本大学駅伝で名取(左)は駒澤大・田澤とアンカー勝負になり、2位でゴールした(撮影・朝日新聞社)

今年の全日本大学駅伝でもアンカーを任されたが、駒澤大学の田澤廉(2年、青森山田)を終始引っ張る形となり、残り1.2kmで勝負に出た田澤に置いていかれ、2位でのゴールとなった。「僕自身としてもすごい精神的に追い込まれた部分ではあったんですけど、あそこでやっぱり勝ちきれるのが本当のエースなんじゃないかな」と名取。コロナ禍での大会ということで今年はゴールに仲間の姿がなかったが、LINEのグループ内ですぐにメッセージが飛び交い、「箱根駅伝では絶対勝とう」と前向きな気持ちになれたという。

最後の箱根駅伝では4区か2区を希望しているが、「どこを走っても区間賞を取れるような成績を残せればいいなと思います」と話し、チームに勢いを与えられるような走りを思い描いている。

西田「誰にも抜かれないような新記録を」

前回が初の箱根駅伝だった塩澤と名取に対し、西田は2年生の時から箱根駅伝を経験している。「4年間、箱根の山だけを考えてきて、箱根の山に強くしてもらったので、感謝の気持ちを込めて挑みたいです」。3年連続となる5区をまっすぐに見すえている。

2年生の時に挑んだ初の山登りで、当時國學院大學3年生だった浦野雄平(現・富士通)に次ぐ区間2位の走りで初の総合優勝に貢献した。大学4年間の中でも、チームメートと優勝の喜びを分かち合えたこの瞬間が最も印象に残っている。

その一方で、前回の箱根駅伝では大きな悔いを感じている。レース1週間前に体調を崩し、3日間走れなかった。そこから調整を始めたが、無理に戻した影響でアキレス腱を痛めてしまった。両角監督や当時の4年生からの励ましを受けてなんとかレースに臨んだが、思うように体が動かず、区間7位に沈んだ。箱根駅伝直後の全体集合では悔しさから涙が止まらず、気持ちも塞いでしまっていた。ただその時、「5区はお前しかいないから、お前が走ってくれて本当によかった」という同期の言葉に救われた。

前回の箱根駅伝で西田は名取から襷を託され、2度目の山登りに臨んだ(撮影・北川直樹)

今年は最上級生としてチームを支える中、西田は自分が「3本柱」と言われることに引け目を感じているところがある。「僕は彼ら(塩澤、名取)のような力はまだないですし、あのふたりにはまだ及ばないところもありますが、『3本柱』と言っていただいている以上、チームをまとめるひとりとして、彼らが走って引っ張っているところを、僕はチームの雰囲気を盛り上げるのが役割」と西田。きつい練習が続く時には積極的に周りに声をかけ、普段の生活面でもチームの雰囲気を盛り上げようと心を砕いている。特に塩澤に対しては、「ここまでの大きな組織、チームをああやって背中や言葉でもそうですし、まとめるのは難しいことだと思っています。だから塩澤がキャプテンでよかったなとつくづく思いますし、塩澤はチームの強みで、チームにとって大切な存在です」と信頼を寄せている。

今年の全日本大学駅伝では7区を走り、区間6位。箱根駅伝に向けては「右肩上がりで段々と調子が上がってきたと感じています」と話す。3度目となる山登りを前にして、西田はあくまでも自分は“挑戦者”だと言い切る。登りはもちろん、ほぼ平坦な最初の3kmや登り切って下った後の1.5kmでも、1秒を争う走りを狙う。「69分台の記録に挑戦し、誰にも抜かれないような新記録を出して卒業していきたい」と意気込んでいる。

互いに支えあってきた3人が、最後の箱根駅伝でそれぞれ区間賞を狙う(撮影・東海大学)

3人は高校3年生の時の全国高校駅伝(都大路)で1区を走り、名取、塩澤、西田の順に区間1~3位となっている。競い合った3人がそろって東海大に進み、同じチームで戦う今でも、互いに負けたくないという思いはある。「3人とも区間賞を狙っていますので」と塩澤。切磋琢磨(せっさたくま)してきた3人が柱になってチームを支え、2度目の箱根駅伝優勝を狙う。

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